全ては自分のために。

ゆにろく

全ては自分のために。

「え」


 ドアを開けた香菜かなは、私と背後にある『それ』をみて、声をもらした。


「……あ。おはよ」


 私は床にぺたんと座り込んだまま、香菜をみて、いつもと同じように朝の挨拶の言葉を口にした。

 香菜は、ドアを急いで閉める。そして、『それ』をまじまじと見てから、私をみて、口を開いた。


「あ、あかね……、それ……」

「え、あぁ。うん」


 私も、後ろに目をやる。


「――殺しちゃった」

 

 私の背後には、どてっとうつ伏せになった男が転がっている。一応父だった男だ。いや、どうだろう。父と呼べるんだろうか。

 あと廊下の壁にはところどころ血が飛び散っていた。そんなに派手にやる予定じゃなかったのに、しぶとくて歩き回るから、なんか、それを何度も瓶で殴っていたらそうなった。


「な、なんで――」

「香菜は何しに来たの?」


 香菜の言葉を遮るようにして、尋ねる。


「え、いや、普通に、学校行かなきゃだし……」


 そうか、もうそんな時間か。


「あー……そっか。学校だ。……今日、水曜か。水曜って数Ⅱと生物に高山の授業まであるからしんどいよね」

「いや、今はそんなことどうでもいいでしょ?!」


 香菜は声を張り上げた。


「学校なんか行けるわけないじゃん!」

「え、あ」


 あ、そうか。

 確かに、なんか、どうにかしなきゃいけないのか。

 やることやって失念していた。終わりじゃないんだ。そうか。

 でもなんにもしたくない。

 あー。


「どうしよ」

「どうしよって……。嘘でしょ……。何にも考えないで、こんなことしたの?」

「……うん。決めてたから」

「……決めてた? 何を」

「朝起きた時、時計の分と秒がぞろ目だったら、殺すって。起きたら、びっくりした。7時11分11秒で。……ほら、早起きは三文の得って言うもんね。いっつもはもうちょい遅く起きるんだけど」


 香菜は愕然とした表情を浮かべた。

 香菜には、日頃から後ろのコイツの事はよく話していた。そんなに驚くことだろうか。それは、千切れかけのストラップみたいなもので、薄々切れるだろうと思っていたことで、今日、それが切れた・・・


「なんで……」

「え、何をされたとかさ、あざとかさ、見せたよね? 香菜に話したやつは嘘じゃないよ? それが嘘じゃないならさ、殺意そっちだけ嘘ってことある?」

「……」


 香菜は何か言いたげな顔をしていたが、彼女が何が言いたいのかなんて、私には理解できない。


「あー、どうしよっかぁ」


 なんにも考えたくない。


「どうしようって、そのままじゃ……、捕まっちゃうよ……」

「捕まるんだ」


 捕まる。


「そっか」

 

 少しずつ、凍っていた私の脳みそが解け始める。

 

「そっかぁ、殺したんだ」


 手に付いた血をぼんやりと眺め、


「おえぇ……」


 派手にえずいた。

 無意識に考えないようにしていた不安とかそういうのがぐわぁーっと押し寄せて、視界がぐにゃぐにゃ揺れる。


「茜っ!」


 身体に力が入らなくなって、上半身が地面に向かって倒れる。でも、汚いフローリングに頭をぶつける前に、香菜は私を受け止めてくれた。


「どうしよ、どうしよ……」


 考えなくちゃいけないことがいっぱい頭にはあるのに、そのどれにも手を付けたくなくて、「どうしよう」という答えを先延ばしにする言葉が口から出るばかりだった。涙が滲む。すがるように私は香菜をみた。

 香菜は、私を見て。


「……よう」

「え?」


 うまく聞こえなかった。


「埋めよう」


 香菜はそう言った。


「……ほら、あの古い本屋の近くにさ、山あるじゃん。あそこに埋めよう」

「埋める……」


 後ろを振り返り、残骸をみた。 


「……茜が助かる方法は、もうそれしかないよ……。私も……手伝うから」

「……いいの?」

「やりたく……ないよ、こんなの。でも茜がこのままだと……」

「香菜……」


 香菜はなんでこんなに優しいんだろう。


「ほら……」


 香菜は私を無理やり立たせた。


「急がないと、なんか、その……匂いとか、血とか取れなくなっちゃうから」


 香菜の言うのは最もだ。

 ……気持ちを切り替えなくちゃ。

 私は遺体に近寄った。見下ろして、そして蹴った。


「死ねよ……。ほんと……」

 

 全部こいつのせいじゃん。なんで、こう、全部終わってからも私の足を引っ張るかなぁ。


「茜?」


 高ぶる感情を抑えるため、パジャマの胸元をぐしゃっと掴み、深呼吸をした。


「大丈夫?」

「……うん、大丈夫。落ち着いてきた。埋めよう……。やらなきゃ」


 こいつのために人生を棒に振ってたまるか。


「茜。なんか、袋とか、布とかない? 一回くるんでさ……」

「ちょっと待ってて」


 私は寝室に行って、シーツと毛布を取ってきた。


「これでいけるかな」


 死体を二人がかりでくるんだ。重かったので、それにも一苦労した。


「……うん。……やっぱ、これじゃ駄目だ」

「え?」


 香菜は死体を包む作業を一通り終わらせてからそうつぶやいた。


「運べないね。滅茶苦茶重いよ、車とかないし」

「あ」


 私の頭はまだ、めきってないようだ。シーツでくるむにあたって身体を持ち上げるのですら大変だったのに、埋めるために運ぶなんか無理だ。


「……茜、ゴミ袋ある? デカい奴」

「? あるけど」


 台所まで行き、ゴミ出しに使う45Lゴミ袋を取りだす。


「これで良い?」

「ちょっと待って」


 香菜はゴミ袋を受け取ると、それを広げて死体に当てた。サイズを測っているようにみえるが、ゴミ袋に入れてどうするのか。ゴミとして出すってこと? いや、流石に無理だと思う。香菜が来る前の放心状態の私ならやってたかもだけど。


「茜、お父さん運ぶの手伝って」

「どこに?」

「お風呂」


 意図を察せぬまま、香菜に言われた通り風呂場へ運んだ。途中重くて、手を離してしまい死体が床に叩きつけられることが何度かあったが、その時出る鈍い音が非常に心地よかった。


「茜は、飛び散った血とか拭いてて。……あ、これ」


 香菜は、そう言い洗面所にあった箱入りの入浴剤を手に取った。私がお風呂に入るとき使うやつ。絶対欠かせない。まあ、もういらなくなったけど。


「これ使っていい?」

「いいけど……、香菜は何をするの?」

「何って、このままじゃ運べないじゃん」


 香菜は淡々と、遺体の服に手を掛けた。


「バラさなきゃ」


 え。


「あ、昨日の残り湯も残ってるね。良かった。なんかいらないタオルとかある? あと包丁とかのこぎりとか全部持ってきて。あ、着替えも貸して」

「え、あ、うん」


 私は台所と、リビングと必要なものを持って行くため走り回った。

 そうだよね、切ったりすれば、運びやすくなるよね。

 切ったら、血とか出るよね。だから風呂場なのか。いや、でも、その……内臓とかさ……。私は殴っただけだから別にどうもなってないけど、切ったら。

 走りながらそんなことを考えて気分悪くなった。


「うん。これで大丈夫ありがとう。茜」

「で、できるの?」


 香菜はその言葉を聞くと、嫌な顔をした。


「やりたくないよ」


 嫌なことを聞いているし、嫌なことをするのだからその反応はごく当たり前なんだろうけど、なぜか、それが少しだけわざとらしく見えた。


「でも、茜のためだから」


 香菜は私に微笑んだ。


「私の?」

「うん。今は自分のことだけ考えて」


 そう言うと、香菜は作業を進め始めた。

 私は風呂場を後にして、雑巾を濡らして床や壁を拭き始める。


 自分のことを考える。


「……ごめん、香菜。ごめん」


 私は酷い人間だ。




 風呂場から聞こえるえずくような声や、すすり泣く声、私は聞こえないふりをした。




「茜、終わった」


 香菜は洗面所に置いておいた、私の服に着替えていた。


「……ありがとう、香菜」

「うん」


 香菜は私を不意に抱きしめた。そして、震える声で


「凄い辛かった」


 と、口にした。顔は見えないが、泣いているのかもしれない。


「……巻き込んじゃって、……ごめん」

「うん」

「本当にごめん」


 謝罪の言葉を並べる。足りるかはわからないけど。


「……絶対、忘れないでね」


 香菜は蚊の鳴くような声でそう言った。


「え?」


 意味を聞き返す前に、香菜は抱きしめていた私を自分の身体から離した。最後のは――


「茜、今何時?」

「え……えーと、14時前かな」

「運ぶのは夜の方がいいよね。……あ、そういえば学校に連絡してないや。家に連絡行ってるかも」

「あ、多分、それは大丈夫。今年の担任、そういうの緩いから」


 何度か学校をさぼったことがあるので知っている。香菜は知らなくて当然だ。

 香菜は、出会った中学の時から今もずっと真面目で優秀だ。さぼってるのはみたことない。私は成績も悪いし、サボるしで全然タイプは正反対だけど、香菜は私に構ってくれるし優しくしてくれる。出会った時からそうだった。


「お昼にしよっか」


 それから香菜と後始末をしたり、山に行って、埋める場所に目ぼしを付けたりした。気づくと日は沈んでいた。


「あーうん、今日は友達の家に泊まるから。……はーい。じゃあね、お母さん」


 香菜は電話を切る。


「よし、これで大丈夫」

「……誰の家か言った?」

「ん? 言ってないよ」

「そっか」


 じゃあ、安心だ。


「さて、22時くらいになったら、行こっか」

「そうだね。多分2往復はいるかな……」


 私は並べられたバッグ達に目を向ける。全部で6つ。それぞれのバッグにはビニール袋が入っている。もちろん、そのビニール袋の中には。


 ……正確に言えばあともう一仕事残っているが、それで、もう終わりだ。全部。



 私は、茜とともに暗い山道を登っていた。舗装された道ではないので歩きにくい。背負うリュックも重い。でもこれも茜のためだ。


 茜。茜。茜。茜。茜。


 今朝、茜の家を訪れて酷くショックを受けた。

 茜の父が死んでいた。茜が殺したという。


 ――なぜ、言ってくれなかった。


 いつかは絶対やると思っていた。話を聞いていて、ずっと茜のそばにいて、彼女は『やる』と私は確信していた。茜はそういう人間だ。脆くて、不安定で、自信もなくて、ずるくて、頭も弱い。でも、こういう自棄やけになったときだけ変な行動力が出てくる。もちろん頭が悪いから、その先は考えない一番厄介な人種。


 だから好きだった。愛おしくて愛おしくてたまらない。


 私の家は裕福で、私は大抵なんでもできて、家族もみんな優しくて、姉は私よりなんでもできる、友達もみんなそんな感じで凄い恵まれていた。うん。

 うーん、なんだろうね。

 全体的になんというか足りなかった・・・・・・

 茜に話しかけた理由の原点は、単に優越感を得るためだったかもしれないが、今の気持ちはそれだけではない。それ以上の何かがある。愛だね。


 ともかく、茜は絶対父親を殺すとわかっていた。

 そして、前もって、絶っっっ対私に言ってくれると思っていた。


 酷くショックだった。取り乱した。色々勉強したのに。ちゃんとやり方も調べたのに。計画もあったのに。

 まあ、でも仕方ない。こういうとこが好きなんだから。とりあえず、茜と死体が誰かに見つかる前に私が接触できて良かった。結果、勉強したことも生かせたし。人を解体するのは思っていたより難しくはなくて、想定通りだった。血が思ったより出たことくらいか。


 でも、私はちゃんと、えずいた。泣いた。

 茜に聞こえるように。しっかりと。

 ……多分聞こえないふりしてたんだろうなぁ。酷いよね。たまんない。


 私は、茜にずぶずぶに依存されたい。茜の不安定さに拍車をかけて、それでいて、自分が彼女にとっての安寧の象徴でありたい。茜から、絶対必要だけど、いなくなって欲しいとも思われたい。彼女の精神における脆くて触れられたくないところに土足で踏み込んで居座りたい。

 全部そのため。

 だから、彼女の犯す最大のタブーに、人生のターニングポイントに、割って入って、莫大な『貸し』を作って、永遠に逃れられない鎖で雁字搦めにしたかった。


 で、叶った。

 

 提案も解体も全部私がやった。あーあ。やらせちゃった。私を共犯者にしてしまった。それも真っ黒な共犯者。

 私がいないと何にもできないもんね。全部やってあげる。

 でも、怖いね。私が全部しゃべったら茜の人生壊れちゃうね。


 絶対に忘れないでね、茜。

 この借りを。


 もう一生、切れないからね。

 この縁は。

 




「これで最後だね……」


 これで、さーいご!


 私はぼーんと穴の中にビニール袋を投げ込んだ。

 

 ホントは、『始まり』なんだけどね。こっからなんだけどね。


「……」


 茜は黙り込んでいた。不安だよね。大丈夫ずっと一緒だよ。

 私は穴に炭を投げた。これでどうにかなるかはわからないが、臭いがマシになれば遺体がみつかるまで時間を稼げるだろう。見つからないのが一番ではあるが。

 この後しなくてはいけないのは、行方不明の届け出をいつ出すか。その辺はちゃんと茜と話さなきゃね。茜に母はいないからうまくいけば、私の家にくるんじゃないかな。そうなったら最高。あぁ。ずっと、見てられるし、茜はずっと私を意識するんだろうなぁ。

 

 ……あ、いけない。いけない。することがあった。

 泣け。泣け。


「茜ぇ……。怖いよ、私……。バレたら私も捕まっちゃうし茜も捕まっちゃう」


 私は茜に抱きついた。ふへ。


「私達、一蓮托生だね」


 ん、声上ずった。やっべ。落ち着け。


「茜のせいだよぉ……」


 酷いよ茜! ひっどーい!


「……ごめんね、ごめんね……」


 とうとう、茜も口を開き、そうつぶやいた。

 そうそう。罪悪感に駆られて? もっともっと。ひっどいことしてんだから。仲良しの子にさぁ、殺人の後始末手伝わせるってどうよ? ひどす――


「あれ」


 茜?


「私ね……」


 茜の声が聞こえて、茜の顔が見えた。あれ、さっきまで抱きしめてたのに。

 手に力は入らないから、抱きしめられなくなったんだ。

 気づいたら、茜を見上げていた。


 ――穴の中から。


 なんで?


「いたっ」


 お腹。血が出ていた。茜を見ると何か手に持っている。暗くて良く見えないけど、月明かりが反射していた。ナイフ?

 

「私無理だよ。……信じらんないもん、香菜のこと。ごめんね……」


 茜は涙をこぼしながらそう呟いていた。


「は……?」


 呆然としながら、そっとお腹を触って、確かめる。手には血が付いた。

 あ、でもそんなに血が出てない。軽傷じゃん。すっごい痛いけど、死にはしないかも。だって、そんな血が出てないし。

 ……あ、違うわ、重傷だ。解体ばらした時、血ぃ見すぎて感覚おかしくなってんだ。普通に死んじゃう量か、これ。

 ダメかも。あ、ダメかも、ダメかも。


「話ぃ、違うじゃんかぁ……」


 茜ぇ。

 茜が穴の中から見えなくなった。スコップ取り行ったんだ。

 ほんとに埋めるんだ。


 てかさぁ、信じられないって酷いよね。自分のために親も殺して、自分に尽くしてくれる親友まで殺しちゃうんだ。背筋がぞくぞくする。血がどんどん身体から出て行ってるからかなぁ。

 あー。


「まずいなぁ」


 マズイね。ダメだね。ヤバいね。

 このままだとさぁ。


 100歩譲って、このおっさんと同じ場所で死ぬのは良い。1歩譲って、茜に殺されるのも良い。


 でもさぁ。

 茜からしたら死んだ私をどう思うんだろうね。多分さ、忘れたい記憶にするんじゃないかなぁ。茜だもんね。クズだもんね、茜。本当に忘れちゃうんじゃない?


 茜がスコップを持って戻ってきた。


 私が茜の中から消えるなんて許せない。それだけは絶対、絶対、絶対に許せない。死んでも許せない。どうにかしなきゃ。


 そうだ。


「信じてたのにぃ……!」


 声を絞り出した。

 

「っ……!」


 茜の顔が歪む。


「酷いよぉ!」


「……ご……めん、うぅぅ」



「っ……死ね」



 茜の顔が更にぐちゃぐちゃになる。



「死んじゃえ、くず」


 ねぇ茜? 聞いてよ、ちゃんと。

 色々とすっごい苦しい。口から血が出てる。

 でも、もうちょい、もうちょい。もう少しだけ、刻まなきゃ。私を。


「最低……ぅう……許さないから」


「うぅ……」


 土が顔に掛かった。それもあるけど、だんだん前が見えなくなってくる。


 ――あ、もう駄目だ。


「……き」


 この言葉を最後に私の口は動かなくなった。

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全ては自分のために。 ゆにろく @shunshun415

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