後半

「お待たせしました」


 時間ぴったりに集合場所に到着した遠藤は、特に微笑むわけでもなくそう言った。


「私も今着きました。今日はどこに行きましょうか?」


 調布駅を待ち合わせに指定した遠藤に首を傾げながらも、私は特に異論も唱えず今日を迎えた。相変わらず遠藤は清潔感のある格好をしているが、かっこいいわけではなかった。


「バスに乗って深大寺に行きます」


 そう話す歩調の速い遠藤に私は必死で付いて行く。女性に歩幅を合わせるとか、そういった気遣いできないものかと私は呆れた。


「深大寺ってなんの神様でしたっけ?」


 バス乗り場に着いて、宗教に抵抗がある私は遠藤に尋ねる。婚約者候補が酒や煙草、ギャンブルや新興宗教にハマっていては困るのだ。


「恋愛成就らしいです」


 端的に答える遠藤から異様さは感じられず、私はホッとした。

 しかしお互いの関係に名がない時のデートで恋愛成就を願い参拝するのは、少し滑稽だ。

 私と遠藤は隣同士で座り、深大寺までの時間を無言で過ごす。私は恋をしたいわけではない、結婚したいのだ。そんなフレーズがずっと心の中で浮遊していたが、決して口から発せられることはなかった。



「いいお天気ですね」


 バスを降りて晴天を仰ぎ、私は呟く。


「予報では雨だったんですけどね」


 深大寺の方向を示す看板に従い、我々は歩き出す。途中何度か会話を持ちかけるが、遠藤の返答はやる気のない緩い球のようでとても返す気にはなれない。


 それは気を張り会話をすることが無駄だとすぐに気が付けて、ある意味楽だ。もしかしたら一緒に居て落ち着くというのは、こういうことなのかもしれない。


 深大寺に着いてそうそう遠藤はスマホで写真を撮り始める。


「写真が趣味なんですか?」

「いいえ。なら一眼レフぐらい持っているでしょう」


 遠藤は撮った写真を見返し、要らない写真を見繕い削除する。


「お寺巡りが趣味とか?」


 歩き出した遠藤を追いかけながら私は問うた。


「僕、副業でライターをやっているんです。今回の依頼が寺だったので」

「副業、ですか」


 外資系企業に勤めていて副業する余裕があるものなのか? と私は疑惑を持った。  

 婚活パーティーにて嘘をつかれることに慣れてしまった私は、疑心暗鬼が止まらない。


「僕は土日も仕事をしていたいんです。外資系企業に勤めているのも、ほどほどに稼いでいるのも嘘じゃないですよ」


 鋭い遠藤の言葉に私は顔を引きつらせる。


「すみません、そんなつもりでは」

「まだ会って間もないですし、あんな取り繕ってなんぼの世界で出会ったんですから仕方ないですよ」


 遠藤は変な期待も幻想も抱いていない、現実的な男であった。


「遠藤さんは何故婚活パーティーに参加したんですか?」

「貴女と同じ理由だと思いますよ」

「そうは思えません」

「何故?」


 スマホで写真を撮りながら会話を続ける遠藤。


「結婚に積極的じゃないように思えたから」

「積極的でなければ結婚出来ないのですか?」


 確率的に考えれば、積極的な方が関わる相手も増えて結婚に辿り着きやすいだろう。


「僕は好きな人としか恋も結婚もしたくないです」


 私は遠藤の未熟さを鼻で笑った。現実的な男だと思っていたが、恋と結婚を一緒くたに考えているロマンチストだったなんて。


「恋なんて私は興味ありません」


 私の言葉で遠藤はようやくスマホから目を離し、私を見た。


「つまり、どういうこと?」


 私の顔を覗き込んだ遠藤の表情は、どこか大人びているように見えた。


「恋と結婚は別物です。恋は自由奔放だけど、結婚は義務のようなもの。私は恋なんてしたくないんです」

「何故?」

「男なんてどんなに尽くしても浮気する生き物です。そんな奴と恋という軽くて中途半端なものに、現を抜かす時間はありません。結婚して身を固めて子供を作り、世間に出ても恥ずかしくない妻という顔を持ちたいんです」


 遠藤は静かに私の話を聞いている。遠藤だっていい歳だろうし、私の話は理解できるはずだった。


「ふーん。なるほどね」


 遠藤はスマホをポケットに仕舞う。


「男は浮気する生き物だっていうけれど、杉崎さんはどうなの? その理論じゃ、結婚した後自由を求めて不倫しそうだけど」

「言ったでしょう? 私は恋に興味ないって」


「今はね。でももし結婚できたとしても好きでもない人との生活に飽き飽きして、そんな時に恋を求めたりしてしまわない?」

「結婚は義務です。不貞行為なんて」


 遠藤は気持ちの悪い笑顔を浮かべて私を見ている。


「その義務は一体誰が課すの? どうして義務を守り続けられるの?」


 私は自分の意見を見失った。当たり前に守ることが出来ると思っていた貞操観念。けれどそれを守り続ける私の自信は、一体どこから来るというのだろう。


「……良い人と結婚すればいいだけです」


 私はかすれた声で言葉を発した。


「ええ?」


 すると遠藤は細い目を見開き変な声を出し、後に笑った。


「何が可笑しいんです?」


 声を殺しながら私を馬鹿にして笑う遠藤に、私は腹を立てる。


「ごめんね」


 謝る気のない遠藤の謝罪が余計に私の苛立ちを強くした。


「もういいです」


 私は遠藤に背を向け、歩き始めた。


「婚活パーティーに来る人って皆そうなのかな」


 しかし遠藤は私の横に並んで歩き出す。


「偏見が強く、無条件に自分のことを信じている。見ていて面白い」


 私は立ち止まって遠藤を睨む。


「もういいです」


 それだけ言うと私は早歩きで歩き始める。


「恋と結婚は確かに違うことだけど」


 背後から遠藤の言葉が聞こえてきて、私は足をピタリと止めた。


「結婚する上で恋は省くことが出来ないものだ。結婚は生活だからこそ、相手への好意があって成り立つ。体裁を取り繕うために義務感を抱き結婚するなら、自分の求める条件を満たした生殖機能を持つロボットが作り出されるのを待っていればいい。結婚は自分の人生でもあるし、相手の人生でもある」


 その遠藤の言葉は妙な力を持って私の胸に響く。私は振り返ることなんてできず、深大寺を後にする。人の視線を集めているような気がしたが、そんなことどうでも良かった。





 帰りの電車に揺られ、目の前のカップルが静かに肩を並べ目を瞑っているのが見えた。彼らはお互いが生きていることを喜びとし、それを共有して幸せに時を過ごしている。けれど男はきっと他の女と浮気をしているだろうし、それを疑わずに悠長に恋なんてしている彼女にはいつか悲しみに暮れる日が訪れる。


 恋なんて要らない、と浮ついた世の中を嘲笑って生きてきたつもりの私に恋をする人間なんて、この世に存在しない気がしてきた。左手の薬指の空白と、今隣に遠藤がいないことがそれを強く物語っている。


 三十歳にもなって独身なんて生き恥よ、そんな小言を言う母の顔がどうしても頭から離れなかった。

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へその緒で身体を縛られる 狐火 @loglog

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