生きていこうと思えば、時間は前にしか進まない。
至極当然なそんな事実が、時として人を傷つける。
生きていこうと思えば、時間は前にしか「進めない」と感じる人もいる。
生きていくという行為が、どこか重しとなる。
けれど、生きるのが辛いの反対は死にたいだと思われがちで、生きるという前進行為そのものに息苦しさを感じているということは伝わりにくい。
生きていくというのは難しい。人それぞれに人生の息苦しさはある。
この作品は、そんな息苦しさを描いているように感じられた。
前半は、浮気という普遍的な出来事が描かれる。浮気相談を通じ、まるで人生が絶望の闇に染まってしまったかのように感じている当事者と、どこか冷静で客観的である主人公の対比がある。
後半になると、物語は主人公の内面へと向かう。深大寺という、どこか静謐な場で独白されるのは、主人公が抱えてきた傷の事。心の、というよりも、物理的な意味での傷。痛々しく悲し気なそんな独白だが、そこにあるのは、重苦しさという類ではなく、どこか冷めた熱のような感情。矛盾しているようだが、そう感じる。
前半で語られたような普遍性とは異なる、ある種落ちきってしまった人の心。昏い。と表現したくなるが、主人公は、未だその昏さに愛を感じている。
恋愛というのは、難しい。そんなテーマは様々な形で描かれているが、本当の恋愛の難しさというのは、関係性という言葉で簡単に括れない。
愛を育む。
それはとても綺麗な言葉だ。けれど、主人公の中で育ち、根を張るものは、深夜の暗闇の中で茂る大樹へ感じる深淵と、同じ類に思える。
恋愛とは、ということを改めて考えさせてくれた一作。