ようこそ、エーサンへ

 そこそこの大手とはいえ、営業部なんて三課まであったっけ……? まあ書かれてるってことはあるんだろうけど。少しばかりの荷物を抱えながら、営業一課、営業二課と書かれたプレートを横目に見て歩く。あれ、三課が無い。

 ちょっと探して、見つからないのでたまたま歩いていた人に話を聞いて。無言で指差された先……蛍光灯が一本切れているらしく、少し暗い廊下を歩く。変えれば良いのに。

 結局その名前を見つけたのは、フロアの角も角。同じフロアではあるんだけど、一課と二課から見ると随分離れている場所。備品庫か何かを彷彿とさせるようなドアに、営業三課、とだけ書かれた傾いたプレートが掛かっている。……直せば良いのにね。

 軋むドアを開けて、そっと顔を出す。ドアに見合った場所、というのが最初の印象。棚がいくつかあって、全体的なイメージは灰色。備品庫にデスクを置いて、壁が煤けているのを観葉植物でごまかしているような。

「……『ショムニ』って本当にあったんだ」

 ぽつりと呟く。ここ本当に配属先? いや書いてあったからそうなんでしょ、とは思うけど、あまりにも暗すぎる。電気通ってない、ってことはないと思うけど。

 キョロキョロと周りを見ながら……ってそこまで大きい部屋じゃないけど……歩いていると、棚の向こうにいた何かとがっつり目が合って、思わずビクッとする。固まったまま、じっと観察。小さいおじさん。なんならあっちも驚いているらしくて、やっぱり固まっている。

「ど……どうも」

 とりあえず挨拶してみた。


「――ああ、異動になった方ですか。一応この課の課長をしている、神山です」

「げ、現王園、美砂子です。よろしくお願いします」


 とりあえず荷物を近くのデスクに置きながら、棚越しに自己紹介……というのも変な話だけど、まあこういう局面だから仕方がない。小さいおじさん……いや、神山さんは、げんおうぞの、と呟いて、少し笑う。

「派手な名前だねえ」

「ですよね! 日本中探してもあんまり居ない名前で」

「そりゃあすぐ特定されちゃう訳だ」

「……うん?」

 あれ、この人今何か変なこと言ったな、と思うが先か、神山さんは ん? と顔を覗き込んでくる。

「あれ、前の部署で聞いてない?」

「何がですか?」

「異動の理由」

「え? あ、はい。今日遅れて来たので」

 そもそもが突然の辞令だったし、聞く空気でもなかった。まあ、早く来てても聞けたかは分からないけど、そういうことにしておこう。神山さんはそうかあ、と頷いて、懐から何かを取り出した。黒い……どうやら手帳らしく、ペラペラと何枚かを捲っている。

「えーと、現王、園、美砂子。業務時間中にてぃーばー? やらぱらび? やらを使って業務に関係のない動画を見まくり、業務妨害の常習。盗電子ちゃん、WiFi泥子などの二つ名を持ち、それから」

「うわぁああぁ!! 違います違いますってえ!!」

 黒い手帳をひったくり、何とか言うのをやめさせる。

「見ていたのはBOWOWです!」

「そういう問題じゃないんだよ」

 うわ本当に書いてある……どうやら黒革じゃなくてデスの方らしい。少し見てから閉じて、そのまま胸に抱えて後ろを向く。

「……ま、直接の原因はこちらですかね」

 が、まだ追撃があるらしい。再度振り向いた先の手元にはタブレットがあり、ぎこちなさ気に何かを表示させようと……

 する前にひったくった。けど。

「……え」

 画面に映っていたのは、動画サイト。動画タイトルは『事故現場と思ったらやべー女がいたwwww』……なにこれ。だけどまあ再生するよね、と再生ボタンをポチッと。

『――ドラマチックじゃないじゃないですかドラマチックぅ!!』

 聞き覚えのある声と、モザイク越しの見覚えのある顔。思わず顔が引きつった。

「ちょっ、何これぇ!?」

「何これも何も……見たままだと思いますが」

「どうせ出すなら顔隠さずにドーン! と出せやぁ!!」

「そこですか」

「うっわ透かしとか入れて元動画ヅラしてるのもムカつく……どうにかなりません? これ」

「流石にねえ、社外のこととなると」

「うう……私の世界デビューがこんな形になるなんて……」

「そこですか」

「というか何ですか、盗電子とかWiFi泥子って」

「はあ。聞いたままだと思いますけどねえ」

「私は美 砂 子なんですけど!」

「……そうですか」

 うう、心外心外。目を落としたタブレットには相変わらずモザイクが掛かった自分と、それから、

「……あれ」

 そう、確かにもう一人いたはずなのに、巧妙に死角になっていたり、光の加減で見えなくなっていたり、手だけ映っていたり。偶然にしては出来すぎているカット割りで、さすがに目をパチパチするしかなかった。

「どうかしましたか?」

「いえ……ほらここ、見切れてますよね? もう一人。なんで映ってないのかなーって」

 あんだけ派手に立ち回ってて映ってないなんて、それこそ「規格外」じゃないのか。

 タブレットを見せるとなぜか、ああ、と納得したような言葉が返ってきた。

「その方なら恐らく――」

「――遅れてすみません!」

 後ろでバン、と音がして、ビクリとした。なんだか聞き覚えのある声に振り向くと、そこには、例の、地味なスーツと紅いイヤリング。

 ……なんだけど、肩にはクリームらしき物体、ブラウスにはたぶんコーヒーらしき液体が派手に飛び散っている。

「今日も諸々ありまし、て……」

 私の顔を見ると少し顔を強張らせて、軽く会釈をして、

「ええと……まずはスーツ洗ってきてよろしいでしょうか」

「構いませんよ」

「え、あ、ちょっと!」

 逃げるように出て行こうとするから、思わず呼び止めていた。聞きたいことが山ほどある。


「……で、」

 廊下の端の、これまた薄暗い休憩所。自販機もあったりしてそこそこ広いスペースなんだけど、まあこんな端じゃ誰も来ないよね、という場所。備えつけの流しでハンカチをザバザバ濡らしながら、彼女は大きく息をつく。

「なんで付いて来たんですか。おかしいでしょう」

「え、休憩スペースって共用ですよね?」

「そうじゃなくてですね……」

 今度はスーツの上着を脱いで、ハンカチで肩の部分を叩きながら。

「まったく……流石に想定外ですよ。そりゃ辞令は下で見ましたが……まさか」

「私もですよ! まさかおんなじ会社だなんて」

「どこまで規格外なんですかね」

「出たー規格外」

 私としちゃそっちのが規格外だと思うんだけど、とは思っても別に否定できる要素もないので受け止めておく。

「……か、いなか……」

 あれ、また何か言ってる。私の田舎は鹿児島……ん、もう知ってるって?

「まあ、起こってしまった事は仕方がないので受け入れましょうか。……何の用ですか?」

「用? えっと」

「聞きたい事。あるんでしょう?」

 ずい、と顔を近付けて、紅いイヤリングを揺らして、

「……あー、じゃあえっと、そのイヤリング、どこで買ったんですか?」

 純粋に疑問を投げたら、手元を狂わせたのか、ハンカチをポトリと落とした。

「そ、そんなことを聞きにわざわざ……?」

「いやー、色々あったんですけど、なーんか気になっちゃって」

 血のように紅くて、白い線? のような模様が入っている、独特な物。これでもか、って地味なスーツには正直浮いている。

「……祖母の形見です。これで満足ですか?」

「あっ結構重め……すみません。ありがとうございます」

 ハンカチを拾って、またスーツの肩辺りを叩き始める。紅いイヤリングがまた揺れている。全体的に見るとやっぱり浮いてるけど、そういう理由があるなら割と納得できる。

 こんなもんですかね、と小さく呟いて、慣れた手付きで畳んでいく。うわ、手際がプロ。

「あれ、ブラウスの方はどうするんです?」

「なんで服飾の事ばっかり聞いてくるんですか。今のは応急処置ですので、明日辺りスーツ共々クリーニングに出しますよ」

「あ、ですよね〜!」

 あれ、確かに。聞きたいことは他にもあるのに。


 畳んだスーツを手に持って、給湯室を出ていく。あ、待ってください! と慌てて追いかけるけど、勿論待ってくれる筈もなく、少し後ろを歩くことになった。

 そんな私の方を少し見て、軽くため息。

「それで結局、何を聞きたかったんですか」

「え、ええと……」

 聞きたい事。何だかいっぱいある、んだけど。それか? あれか? これ? どれだ? この人に、今聞いておきたい事は……

「……あっ! そういえばまだお名前を聞いてないです!!」

 そういえばそう。何事もまずは名前から。せめてお名前だけでも! とは言わないけど。

 はあ、と目を伏せて、もう一度ため息。スーツのポケットから名刺を取り出して、私にくれる。えっと……、

 

『オフィスアドセンスリーバ 営業三課 三川 一子』


「……え、偽名ですか?」

「正真正銘本名です」

「へえー、改竄しやすそうなお名前ですね」

「改竄……」

 顔を覗き込むと、やれやれ、とばかりにまた目を伏せる。

「書類なら寧ろ難しい方の漢字で書くから大丈夫ですよ。こう見えて歴史の深い名前だそうですし」

「あー、それ何となく分かります! 一子さんのその雰囲気!」 

 ぱちん、と手を叩くと、彼女……三川一子さんはキョトンとした顔になる。

……あれ、私何かしました?

「……昨日も思いましたけど、距離感バグってますよね、貴女」

「よく言われます!」

「褒めてません」

 今度は私がキョトンとする番になった。一子さんはまた軽く目を伏せて。

「ほぼ初対面の人物を下の名前で呼びますかね」

「え、そっちの方がフレンドリーで良くないですか? 壁作ってない感じがして」

「はあ。驚く方のほうが多いと思いますが」

「え、そうなんですか? 私は名前呼んで貰った方が嬉しいです!」

 私、自分の名前大好きなんで! 決め台詞のようにそう言えば、ふ、と息を吐くような音が聞こえた。またため息? あざっす。

「あ、そういえばまだ私の名前教えてませんでしたよね?」

「ああ、下で見ましたよ」

 そうだった、辞令って目立つ所に出るんだ。やったー、会社全体の注目の的だねー、って。

「現王、園美、砂子さん。変わった御名前の方が来るんだなと」

 だっ、とズッコケそうになった。

「え、いやえっと」

「?」

「すなこって……『ヤマトナデシコ七変化♡』じゃないんですから。みさこです」

「……」

「まあスナコみたいな絶世の美女なのは否定しませんけど!」

「……そうですか」 

「うっわ流された」

 あの名前ミス下の掲示まで一緒なの!? うわー、どんだけ突貫工事? とか、頭の中は饒舌だけど、気がつくともう三課のドアの前。


 一子さんはドアノブに手をかけて、またため息。

「……まあ、言いたい事は沢山あると思いますが、私とは出来るだけ関わらない方が良いですよ」

「なんですかそれ、中二病ですか?」

 関わらない方が良いって。そんなの今どきドラマでも聞かない、何かしらの能力を持ってる人の常套句。でも良いよね、能力者物。

「……それで済めば良いんですけどね」

 聞こえた小さな声。気にする間もなく押してくれたドアをくぐって、また三課に足を踏み入れる。


 また棚の整理をしていた神山さんが、お帰りなさい、なんて言ってくれたから、私もちょっと笑顔になった。

「……なんか……本当に『ショムニ』みたい」

 こういう部屋で、優しそうな課長が居て。デスクに戻る途中で呟くと、一子さんが首を傾げるのが見えた。

「『ショムニ』……?」

「え、一子さん知らないんですか!? 庶務二課だから『ショムニ』!」

「……流行っていた時期があるのはうっすら知ってます」

「確かに流行ってたねえ。自立した女性の代名詞、とか言われてたんだよ」

 おおっと、そっちから共感入ります? 懐かしいねえ、とか言って、また神山さんが笑う。

「『ショムニ』かあ。じゃあさしずめここは『エーサン』って所かな」

「『エーサン』……コピー用紙なら扱いにくいヤツですね」

「ははは、面白い事を言うねえ」

 思ったことをそのまま言うと、神山さんはもっと目を細めて。


「……そんなに間違っちゃいないんだよなあ、これが」


 満面の笑みの神山さん、肩を落とす一子さん、キョトンとする私。ああ……私はここでやっていけるのかしら、どこかのドラマの主人公のような事を思いながら、とりあえず二人に向けて笑ってみた。苦笑いが返ってきた。

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ドラマチックな彼女 棚鏡 @masshironina

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