ドラマチックな彼女

棚鏡

主人公は、私じゃない

 人生の主人公はいつも私。

そんなことを言ったのは、一体どこのどなたでしたっけ?


 小学生の頃からドラマを見ることが好きで、いつかテレビの中に入り込んで、なんなら主人公と入れ替わって、主人公のような生活をしたいと思っていた。

 しかしもう20代も半ばを過ぎれば、そんなことは無いことは嫌でも分かる。

 だけどもし、それを体現する人が目の前に現れたら、あなたはどうしますか?


「――今日からお友達になる、現王園、美砂子さんです。いっぱい話しかけてあげてくださいね」


 転校初日のこと。みんなからの注目を一身に浴びて、自分でも大好きな名前を名乗る。

「げんおうぞのみさこです。よろしくおねがいします」

 どこに行っても目立ってしまう画数の多さ。私に敵う名前の人なんていないって、鼻にかけていた。

「じゃあ現王園さん。貴女の席はその一番後ろの……」

 は~い! と頷いて、この世のものは全部私のもの! とばかりの笑顔を見せて。ざわつくクラスの中央を歩きながら、主人公は私! って気分を存分に味わった。

 何もかもが輝いて見えて、未来に期待しかしていなかった。

そんなもの、すぐに打ち崩されるのに。

「大社さんの隣よ」

「たいしゃさん……」

 私には敵わないけど面白い名前のその顔を覗き込んだ。大社さん……大社三花は笑うこともなく、ふいと顔を背ける。

 え、なんで。なんでこの私から目をそらすの、なんで私を見てくれないの、なんて思いしかなくて、背けた顔をしつこく追った。

「……うっざ」

「え?」

「ウザいよ、あんた」

 当時、私小3。「名前かっこいいね」とか「顔かわいい」「綺麗」としか言われてこなかった私、「ウザい」という言葉の意味が分からず思考停止。でもなんとなくあまり良くない言葉なのは伝わってきて、ひゅ、と息苦しくなった。世界が止まって、視界が真っ暗になる。

……気がつくと保健室で、起きた瞬間わけが分からなかった。

 しかも結構寝込んでいたらしく、起きた時点で「もう帰りなさい」と言われた。なんで、と問いたくなったけど、どうしても言葉が出なくて、「……はい」と小さく答えていた。

 ベッドの横に私のランドセルが置いてあって、あれ、と思った。なんで、がまた頭の中を埋め尽くしそうになる。

わざわざランドセルを持って来ているはずがない。だとしたら持ってきた誰かが居る訳で、

 ぐるぐる考えていると、今度は枕の横にノートをちぎったような紙を見つけた。

『ごめん』とだけ小さく書かれた、乱暴な、でも読みやすい文字。

「ああ、さっきまで居たんだけど」

 あの子忙しいからね……レッスンとか。紙を手に固まっている私を見てなんとなく察したのか、養護の先生はぼそりとそう言った。

 名前は書いてなかったけど、私にはなんとなくあの子だと分かった。目の前がぱあっと明るくなって、ランドセルを急いで背負って。今なら間に合うかも、って学校を飛び出した。夕陽に照らされながら走ったあの時、私は確実に主人公だった――


「――あ、あのー……」

「はい?」

「大社……いえ、龍王寺さんとのエピソードを話してくれって言ったはずなんですが」

「え? ここ大事な導入部ですよ。ここから私の怒濤のアプローチで仲良くなって、なんか途中周りから美砂子もじってウザ子とか言われるけど全部持ってる三花がこっち側に居るからいいやってなって」

「へえ。じゃあ今は?」

「今は疎遠です」

 でも、そんなことはもう昔の話。記憶の世界から舞い戻った喫茶店の中、美砂子は前のめりになりながら喋るが、目の前に座った男性二人……というかどっかの雑誌の記者なんだけど……まあとにかく男性二人は、顔を見合わせてため息をついた。

「……もう結構です。取材料はお支払いするのでお帰りいただいて」

「えっ、ここからが面白いのに!?」

「いえいえ、もう充分です。ありがとうございました」

 小さく手を上げて、それじゃ、なんて言って席を立って。

「……ほぼほぼ自分語りで、価値無いな」

「……ボツだな」

 小さくそう呟いて、店を出ていった。え、それ、取材元に聞かれちゃまずいんじゃないの?  閉まる自動ドアを見つめ、目を瞬く。それともわざと聞かせてるわけ……? ふと思い当たってしまって、テーブルの上で握っていた手をガン、と叩きつけた。飲み残しのコーヒーが派手に飛び散り、服にかかる。

「……いったぁ……」

 ああもう、自業自得。


 そもそもの話として、取材ふっかけてきたのはあっちなんですけど。あーあ、せめてコーヒー代ぐらい払ってくれません? そんなことを思う辺り、私はどうも主人公にはなれないみたい。どうせなら助演女優賞目指しちゃいますか? こんなこと思って街に出てみたところで、隣には誰もいない。あーあ、誰か私の半生ドラマ化しません?

 スクランブル交差点にはたくさんの人、人、人。この中の全員が自分が主人公の人生を生きている、なんて信じられない。

 だけど分かっている。本当の主役を勝ち取るのは、いつだって――

「……待ってください……あなたの……人生……」

 交差点のど真ん中で足を止めたのは、別に呼び止められたからじゃない。奥歯がギリッと鳴るけど、悲しいかな、振り向いてしまう。

 別に私だけに向けられた言葉じゃない。街頭ビジョンにデカデカと映った大社三花……いいえ、今の名前は女優・龍王寺実華子。そう……私の人生に楔を打ち込んだ当人は、今や街頭ビジョンに出るぐらいのジョユーさん。信じられない……とは思わない。三花は昔っからそうなのだ。どうしても自分しか愛せない私をも執着させたような人。私以上の成功を手にして貰わないと、他でもない私が浮かばれない。


 さっきの無意味な取材のせいか、街頭ビジョンのなんてことない場面に見入ってしまった。それもこれも三花が悪い。お門違いな怒りを画面の中の三花に向ける。いけないいけない、と足を踏み出すと、パパパパー、って音がした。

 振り向くと、大型トラック。あ、これは……終わった。何か紅い残像、視界が目まぐるしく移って、さよなら、私のそれなりな人生。

『――か。――ですか』

 ああ……何か精霊だか異世界人だかの声まで聞こえる。タイトルは……そう、『モブ子転生~なんならウザ子とまで呼ばれた美しい私の異世界悪役令嬢ライフ~』が始ま――


「……大丈夫ですか」


 らなかった。

 突如現れた誰かに両肩を掴まれ、一緒にゴロンゴロン転がった……らしい。いまいちどういう状況か分からないが、どうやら道路の端っこまで来たところで止まったようで、少し背中が痛い。誰かが馬乗りになっているのは分かるが、まだ視界がぐるぐるしていて、しぱしぱと瞬いた。あれ……?

「……みか?」

「は?」

「三花でしょ? 私よ! 私!」

 覗き込むその顔。いや、どんな偶然……!? いくらなんでも出来すぎてる。こんなこと、ドラマ以外じゃ起こりっこない……

「……どなたですか?」

「え?」

 もう一度瞬き。

「あ、よく見たら全然違いますね。ごめんなさい」

 三花の話をしてたら三花っぽく見えてしまったけど、全然違う女の人。私より地味っちい三花より更に地味っちいけど、目の奥がそっくり。スーツも地味だし、派手なのは紅いイヤリングぐらい。

 ごめんなさい、と言いながら体を起こす……んだけど、体制のせいで頭突きする格好になった。ぎぇ、と声を上げたのは美砂子で、女の人は無言で鼻を押さえる。

 うう、無言だから出方が分からない。ずっと鼻押さえてる。鼻血でも出てるのかも。

「あ、あのー……」

「……」

「ティッシュいります? それともハンカチ……?」

 ヤバい……たぶん滅茶苦茶怒ってる。そりゃそうだよね、私だって出鼻くじかれたらやだもん。

「……ここは……で、……いなか……?」

 ん? よく聞くとぶつぶつ何か言ってる。私の田舎は鹿児島だけど。え? 聞いてないって?

 じーっと見ていると、女の人はやっと鼻から手を離した。

「ええと、ティッシュもハンカチも要りません。……怪我はありませんか?」

「あーえっと。ちょっと額痛いぐらいで、あとはー、あ、しいて言えば背中も痛いです!」

「そうですか。では」

「待てい!」

 どうも鼻血は出ていないらしい。そりゃ要らないかー、と思うが先か、さっさかどっか行こうとするもんだから。

 美砂子の中で、何かが切れた。

「怪我が無いか聞いといてそれだけですか?」

「当たり前でしょう」

「待てい!」

 あまりにも塩すぎる。ゴロゴロ転がったせいか飛び出ていたシャツの裾を引っ張って呼び止めれば、流石に彼女でも表情を変える。

「……離してください」

「離すかぶぁ〜〜か! なんなんですかあんな助け方しておいて、」

 そんなの、

「ドラマチックじゃない!」

 私の人生。

言外にある本音には気付かず、ただまくし立てる。

「なんなんですかもう! ドラマチックじゃないじゃないですかドラマチックぅ!!」

「は?」

「こんなドラマチックな出逢い方してるんだから大親友になるかライバルにならなきゃダメなんですよドラマの引き的にぃ!!」

「……は?」

 美砂子はそう捲し立てながら目の前の肩を掴むが、常人には到底理解できようがない理由なので、傍から見れば不審者にしか見えないだろう。しかし目の前の女の人は顔色一つ変えずに。

「引きも何も……現実はドラマではないので。それに」

 キッとこちらを見て、それから。

「あなたが思うよりも、ドラマチックは大変なんですよ」

「え?」

 言葉にも驚いたが、背後でカシャリと音がして意識が逸れる。チ、と舌打ちのような音が耳に届き、ぐい、と腕を引かれた。

「え!? ちょっ」

 叫ぶが先か、走り出した女の人。抱え込まれるような形になりながら、美砂子も慌てて走り出す。

 カシャリ、カシャリ、という音から逃げるように、街をひた走る。目の前の耳にある赤と、目まぐるしく変わる視界は光に溢れて見えて、腕は引かれたまま。これじゃまるで……


 路地を抜けて、公園のような開けた場所に出た。もう音は聞こえない。代わりに、ぜえぜえと荒い息の音だけが響いている。

 全力疾走なんていつぶりだろう。下手すると小学生のあの時以来? そんなことはないと思いたいけど……

 顔を上げると、女の人と目が合った。紅いイヤリングが風に揺れている。

「あ、あのー……」

 女の人はピクリと眉を上げたまま固まっている。

「……もう野次馬は居ませんね」

「え?」

「明日以降、気をつけていてください。経験上……ですが」

 そう言って離れていこうとするので、思わずその手をもう一度掴んでしまう。

「ちょ、ちょっと!」

「なんですか。まだご用事でも?」

「用事しかないですよ! なんですか謎ばっかり残して!」

「はい?」

「サスペンスの犯人でももうちょっと解決に協力的ですよ? 崖の上に行くまでに!」

「……」

 そのままガッと詰め寄ったが、女の人はやはり顔色一つ変えず、呆れたように息をついた。じっと美砂子の目を見つめ返す。

「……先ほども言ったと思いますが、現実はドラマではないんですよ。偶然会っただけの人と友達になったり好敵手になったりはしません。謎は謎のまま。大抵は回収されることもありません。ドラマチックなんて幻想です。降り掛かってくることは往々にしてありますけど」

「だったらなんで助けたんですか」

「はい?」

「何も起こす気無いのに助けるの無責任じゃないですか?」

 しかしその返答は想定外だったらしく、流石の女の人でも目を瞬いた。更に大きく息をつく。

「……助けるのに条件は要らないでしょう。それとも何ですか。死にたかったんですか?」

 別に死にたい訳じゃないけど! 言う前に手を振り解かれ、今度は美砂子が目を瞬く番になった。今度こそ去っていく彼女が、ため息のようにポツリと呟く。

「礼儀も知らない、距離感ゼロ、おかしな論調を振り翳す……まったく。規格外な方だこと」

 呆れたような言葉が耳に届いて、む、とその背中を睨みつける。

「なに規格外って……」

 他はよく言われたことだから気にならなかったが、言われ慣れていないその言葉は気に障ってしまった。小さくなっていく背中に投げたつもりだったが、聞こえているかは分からなかった。


 帰り道でも、家に帰っても考えてしまうのはあの女の人ばかりで、規格外、という言葉も頭の中をぐるぐる回っていた。規格外って何。そりゃ人よりちょっと身長は高いし顔も整っているけど、規格外なんて。

 そんなもんだから、今日は三花……実華子が出るドラマの日だと言うのに、内容が全く頭に入ってこなかった。一瞬とはいえ間違えた顔立ちといい、淡々とした台詞回しといい、どうもあの女の人とイメージが重なってしまう。気分じゃないからテレビを消したら、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。


 私がよく見る夢の一つに、学校が出てくる夢がある。登場する自分が小学生だったり中学生だったり高校生だったりの違いはあるが、内容はほとんど同じ。

 隣の席に座っている大社三花と他愛もない話をするだけ。今日あったことだとか、愚痴だとか。

三花の姿は自分の姿と同じ年代になっていて、良い知恵を授けてくれるでも反論するでもなく、ただ私の話を聞いてくれる。それが凄く心地良い。

「……そうそう。私と三花の関係だってね、」

 だけど、今日は少し勝手が違っていた。恰好は小学生の時の三花なのだが、顔だけがさっきの女の人に変わっている。

そして、何を言っても「規格外ですね」「それは規格外だこと」「規格外」だと返される。何も解決しないまま、最後は視界がぐるんとなって、背中が痛くなって、目が覚めた。


 起きて早々目を瞬いたのは、床で寝ていた上に、背中の下に何かの感触があったから。寝ぼけ眼のまま、そっと背中の下に手をやる。スマホバッキバキ。かろうじて時計としては使える程、度……

「……!!」

 普段ならもう出ている時間。

それもこれもあの人が悪い。昨日の彼女のせいにした。


 急いで身支度し、なんとか電車に乗る。遅刻したかと思ったが、電車もかなり遅れていたので、私原因ということにはならなそうだった。それはちょっと運が良い……かもしれない。あくまで私指標だけど。

 遅れます、と電話しようとしたけど、スマホがバッキバキなのを忘れていた。仕方なく、そのまま行くことにする。ドラマなら会社で何か起こっているところだな、と一瞬思って、昨日の誰かの言葉を思い出す。現実はドラマじゃない。そりゃそうだけど。


「――おはようございまーす! すみません、電車が……」


 部署に入ると、そこに居た全員の視線が集まった。え、なに。私、なにかした?

 転校した時以来の注目。悪くない気分ではあるけど、理由が分からない。遅れてきている人は私以外にもいる。なんなら私より遅い人もいたけど、遅れましたー、の一言だけで流されている。首を傾げながら自分のデスクまで行くと、異変に気がついた。

 違和感のあるくらいすっきり片付けられたデスクの上に、紙が一枚。


『現王 園美砂子 殿

 本日付けをもって営業三課勤務を命ずる』


 みるみる顔が引きつり、う、え、と変な音が口から出る。視線がまた集中する。気分はいいけどそうじゃない。こんなに短い文なのに、どこを見ても疑問だらけ。あの日のように、なんで、が頭を埋め尽くして、それから、

「……というかタイプミスってるんですけど!」

 とりあえず、一番気になった点を呟いておいた。

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