冬りんご 🍎

上月くるを

冬りんご 🍎



 駅前通りに並行するわき道を進むと、法律事務所の二階建てレンガ造りに至る。

 その瀟洒しょうしゃな三角屋根に風見鶏がいる事実を知ったのは、つい最近のことだった。


 よく見ると鶏ではない。🐓

 馬と犬の透かし彫り。🐎🐕


 わたしはいったい何を見て来たのか。

 半世紀もこの街に暮らしながら……。


 自分の粗忽そこつに呆れながらも、いくつかの街道によって東西の文化がいち早くもたらされ、内陸部にしては先取的な文化風土を培って来た土地柄をあらためて認識する。


      *


 もともとが質素が好みだが、最近は節約生活にますます磨きがかかって来ている。


 たとえば、食べ物でいえば、主食は玄米やオートミール、ときにシリアルバーで、副食は梅干入り納豆、冷凍野菜やキノコ、高野豆腐などを入れた具だくさん味噌汁、間食にはミックスナッツ、スライスチーズの海苔巻き、カカオポリフェノール効果のチョコレート、5個で1袋の小粒りんご……これがアヤメの1日の主たる摂取食物。


 間違ってもステーキやハンバーグなどの肉類は口にしないし、付き合いでやむなく食べざるを得なかった夜は決まって胃腸が反乱を起こし、七転八倒の苦しみに至る。


 つい数年前まで出入りしていた高級料亭や割烹の、ほんのひと口でいくらと、つい換算したくなるような見栄えのいい料理など、これからは二度と口にしないだろう。

 

      *


 いまのアヤメは、週に3日ほどアルバイトで働いている。

 蛇口の水漏れ、トイレ、風呂のパイプの詰まりなど修理する「何でも屋さん」だ。


 都会で暮らす3人の息子たちやその奥方(笑)たちは「おかあさん、なにもその歳でそんな汚れ仕事をしなくても……第一、危険でしょう」と眉をひそめるが、なに、親の身体の心配より自分たちの対面がわるいのだろう(笑)とアヤメは踏んでいる。


 まあ、たしかに小さな文化事業を営んでいたころは、社長の呼称に相応のスーツを着用していたが、ただいま現在は、見るからに作業着然とした青いツナギで、中古の軽トラを駆って飛びまわっているのだから、はたから見たらヘンな人かも知れない。


 だが、掃除はいやじゃない、どころか、汚れをきれいにする作業が大好きである。

 ゆえに、「水まわり110番」会社の契約スタッフの現在が性に合っているのだ。


      *


 長くこの仕事をしていると、いやでもよその家庭の内部を見聞きすることになる。


 市内の高級住宅地に広大な敷地をもつ、ライオンの顔の彫刻付き門扉がある豪邸が実はゴミ屋敷だったり、逆に、こじんまりとした平屋が清潔に磨かれていたり……。


 家のなかをひと目見れば、自ずから家族関係も分かってしまうものだが、金持ち=幸福という単純図式が成立しない現実を、否応なく見せつけられる例も珍しくない。


      *


 ――それにしても、先日の案件は、偶然とは思えない遭遇だったよね……。


 とつぜん洗濯機の脱水ができなくなったという、酒屋さんからの依頼で駆けつけてみると、案の定、排水パイプのフィルターに衣類の繊維がびっしりと絡まっていた。


 冬物は毛羽立っているので、うっかり掃除を忘れていると、えっ、こんなに?! と驚くほどの糸くずが絡まり、そこに洗剤が溜まって、ヌルヌル状態に陥りやすい。


 店の息子夫婦の耳を気にしながら「おかげさまで助かりました」小声でお礼を言う白髪の老婦人の肩越しに、1冊の絵本を見つけたアヤメは、はっとして息を呑んだ。


 ――現役時代、ふとしたことから編集に携わることになった戦争絵本!📚


 70余年前の太平洋戦争のとき「犬の供出命令」が出され、日本中の飼い犬が筆舌に尽くせない酷い目に遭わされた……その事実を後世に伝えようとする小さな試み。


 犬ばかりではない、農家の大事な家族で働き手でもあった馬にも供出が命じられ、否応なく軍馬に仕立てられて第一線へ連れて行かれ、二度と帰って来なかった……。


 天井付近までびっしりと背表紙が並ぶ大きな造り付けの書棚に、アヤメが携わった絵本だけが、犬と馬を描いた表紙をこちら側に向け、いわば特別席に飾られていた。


      *


 丁字路の風見鶏ならぬ風見馬&犬は、そのお宅からの帰り道で見つけた。

 透かし彫りの馬も犬も、星を隠した宇宙そらに向けて楽しそうに踊っている。


 あんなさりげない所にも、だれかの心の表象がさりげなく置かれている。

 だから好きなのだ、この小さな地方都市が……。🏢🚘👫👶👧👦🌺


 満ち足りた気持ちで帰宅すると、丁寧に珈琲を入れて、おやつをスタンバイ。

 シャキシャキと冬りんごを食むアヤメの目は、戦争絵本の表紙を愛でていた。

 

 


 

 

 

 




 

  


 

 




 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

冬りんご 🍎 上月くるを @kurutan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ