沈黙に積雪
新巻へもん
私を置いて行かないで
シルバースプリングスの停車場の方から大陸横断鉄道の汽笛が聞こえる。しばらくすると酒場は客で一杯になった。スウィングドアが揺れるたびに、外の冷気を酒場に運ぶ。拍車をつけカウボーイハットを被った男たちに交じって、小ぎれいな格好をした一団がテーブルで喉を潤している。私は忙しく店を飛び回った。注文を取り、お愛想を言い、酒をグラスに注んでテーブルに運ぶ。
そんな私の耳に気になる単語が飛び込んでくる。
「
話しかけられた男は葉巻を口から放し紫煙を吐いた。
「声がでけえ。ちらと駅で似た男をな」
私はトレイをぐっと握りしめる。その場から離れる私の耳に男のしゃがれ声が届いた。
「こりゃあ血と弾の雨が降るぜ。きっと今頃オースティンの野郎も大慌てしてるだろうさ」
素知らぬ顔をして働き続け、店を閉めると父親に挨拶をして自室に引き上げる。部屋の鍵をかけると音を立てぬようにして身支度をした。畑で野良仕事をするときのズボンを履き、シャツを重ね着して上着を羽織り、裏打ちをしてあるコートの袖に手を通す。
枕元から
私は屋根を伝い雨どいを支えに地面に降り立つ。お転婆ジェニーの名は伊達じゃない。まだ小さかったころ、こうやって良く抜け出して、ジョンとマークと森に遊びに出かけたものだった。その懐かしく輝かしい日々はもう帰ってこない。私は感傷を振り払うと足早に町はずれに向かった。
幸いなことに折からの雪で道行く人はいない。誰かと出会うことで生じるトラブルを回避できるのは有難かった。そうでなくても堅気の女が出歩く時間ではない。片手でポケットの中のレミントンをぎゅっと握りしめる。ランプの投げかける頼りない光が照らす道を急いだ。
雪はますます強くなり、道を白く覆い始めている。ひょっとすると無駄足になるのではないかという思いを胸に柵で囲われた墓地にたどり着いた。柵は早くも綿帽子が白く覆っている。墓地の奥へと進んだ。昼と夜では雰囲気がかなり変わるが、この1年何度も足を運んだ区画に苦も無くたどり着く。
ほんのりと明るくなっている場所には先客がいた。
肩や帽子に雪が積もりつつあることを意に介さず、肩幅の広い男が墓石をじっと眺めている。地面に置かれた小さなランプが照らすまだ新しい墓石。その表面にはR.I.P.の文字の下に名前だけが彫られていた。
「元々はね、Requiescat in paceってラテン語なんだよ」
静かな声が脳裏に蘇る。
優しい瞳と深い教養をもっていたジョン・マッカラン。私の恋人だった人。
先客は低い声を発する。
「ジェーンか」
「マーク……」
マークはゆっくりと振り返った。
意思の強さがうかがえる顎と悲しみを讃えた瞳は3年ほど前に別れた頃とあまり変わっていない。しんと静まり返った夜の墓地で私とマークは立ち尽くす。胸のうちに渦巻く感情が強すぎて、言葉が出てこない。それでも、ようやく私は口を開いた。
「どうして戻って来たの?」
マークの顔には何も浮かばない。しかし、左手で銃把を握るウィンチェスターライフルが雄弁に物語っていた。一度言葉を発したことで私の中のつかえは取れ、言葉があふれ出す。
「ねえ。もうジョンは死んだの。もう1年も前にね。帰ってくるなら、どうしてもっと早く帰って来てくれなかったの? 敵を討ったところで誰も幸せにはならないわ。きっとジョンだって喜ばない。そうでしょ?」
マークは身じろぎ一つしなかった。
「マーク。お願い。あなたまで逝ってしまったら……」
私の言葉はさらに強く降るようになった雪に吸い込まれてしまったのだろうか。マークは何も言わず歩いてくると私の横をすり抜けようとする。マークのコートを掴もうと私はポケットから手を出した。
「私を置いて行かないで」
伸ばした手はコートに触れることができない。そう、私にはその権利が無かった。ジョンとマークに同時に求愛され、ジョンを選んだ私にあるはずもない。祝福の言葉を残してシルバースプリングスを発った時と同様に、マークの瞳には僅かな物悲しさを帯びていた。
雪を踏みしめる足音だけを響かせてマークは歩み去る。空中で凍り付いたように止まる私の手に雪が舞い落ちた。次から次へと私の手と心を冷やすように。
私は暗闇を見透かしマークが戻ってくることに淡い期待を抱いて立ち尽くした。いまや、容赦なく降りしきるようになった雪が、マークの足跡を消していく。足跡だけでなく、マークが今までそこに居たという空気さえ閉じ込めて雪は降り積もっていく。
そして、生者にも死者にも等しく雪が降り積もる静けさを一発の銃声が切り裂き、次々と発砲音が響き渡った。
完
沈黙に積雪 新巻へもん @shakesama
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