第9話 地震女
その夜、ニュースバラエティの天気予報のコーナーで奇跡が起こった。
お天気キャスターで気象予報士の天野輝美が、コーナーの最後に、
「明日の午後、中国地方の方々は地震に気をつけてください」と一言付け足したのである。
なんと、その当日、マグニチュード7の直下型大地震が中国地方を襲い、四県に渡って広範囲かつ大規模な被害をもたらした。犠牲者は記録的な数字を数え、経済的な被害はこの先十年間、この国の経済成長率をマイナスにするほどだった。
後日、輝美の一言を聞き漏らさなかった人々が、いたるところで騒ぎ始めた。彼らの証言がマスコミを始めとした各方面に広がっていき、日本中が彼女に熱い視線を送った。
いったい、彼女は本物の予知能力者なのか?
あるいは神の使いなのか?
しかし、彼女はそのとき、世間の大騒ぎをまったく知らないかのように、姿をくらましていた。
天野輝美は、女子アナとしてテレビ業界で華々しく仕事をこなし、これまで着実に実績を重ねてきた。しかし、その盛りもいつの間にか通り過ぎていたのである。かつてはバラエティ番組を何本も抱え、まるで芸能人のように注目されたこともあったのに。
彼女の受け持つ天気予報コーナーの終了は、前日、上司によって突然告げられた。実を言うと、あの放送は彼女のキャスターとしての引退の花道だった。番組のあと放送局を退出した輝美は、煙のように消えてしまった。
しかし、震災の後しばらくして、廃墟の中のボランティアセンターで、幾千、幾万という被害者のために、無私無欲で働いている天野輝美の姿が発見された。
たちまち日本中のマスコミが、震災現場の彼女を追いかけ、騒然として取り巻いた。
「いったいどうして、あの大震災を予知できたのですか」
彼女は、最初は何がなんだかさっぱりわからずにただうろたえていた。
「わかりません。ただ、心の中で聞こえてくるのです、大地が軋むような音が……」
彼女が答えたのはそれだけだった。
地震予知。それは、特異な超能力である。
スポットライトが再び天野輝美を照らした。
世間という移ろいの中で、彼女は、否応なく時の人となって返り咲いたのである。
テレビ局も所詮は人気商売だった。
それからしばらくして、天野輝美の天気予報コーナーが復活した。輝美はフリーランスになり、別のテレビ局の人気報道番組の目玉として迎え入れられたのだ。
もちろん、テレビ局を替わったのは、自分を追い出した局に対する、一種の当てつけでもあった。
彼女の商品価値は、その神がかりのような地震予知である。
この国の人々にとって、地震情報は、もっとも重要な危機管理の一つだ。しかも専門家によると、現代は未曾有の地殻変動期に入っているらしい。どこでいつ大地震が襲ってくるかわからない。そうなると、番組の良し悪しなどは関係なかった。
視聴率は毎回60パーセントを超え、彼女が出演するわずか五分の枠を、大企業のスポンサーが取り合った。
番組が始まってすぐ、天野輝美はさらに二三の小さな地震を予知した。それがことごとく的中した。
当然、世間の興奮はおさまらない。彼女は、アイドルのようにもてはやされ、天気予報以外の仕事も来るようになった。歌番組やバラエティ番組にゲストとして出演し、人気時代劇に、売れっ子芸者の役で出てくれと言う依頼も来た。
実は、最初の大地震で彼女は恋人を失っていた。
数年来付き合って、結婚も間近と噂されていたTVディレクターである。彼は当日、急な地方出張でその震災に遭遇してしまったのだ。
お茶の間の涙を誘うには、出来すぎるほどの話だった。マスコミがその事を大々的に取り上げると、彼女は視聴者から今度は大きな同情を得ることになった。
そのうち、彼女の担当するお天気コーナーは、彼女自身の人気と相まって、紅白歌合戦に比肩するほどの国民的番組になった。
ところが、その熱狂は結局一年も続かなかったのである。
番組が始まってから早くも半年後、輝美は北海道で発生した函館大地震を予知する事が出来なかったのだ。さらに規模が落ちるが、連続して起こった東北群発地震、伊豆沖地震なども予知できなかった。
国民の地震に対する防災対策はある時期、彼女の番組だけに頼るところがあった。予知以外の災害については、まったく無防備だったため、これらの地震による被害は想像以上のものになった。
輝美の責任問題は、深刻な事態に発展していくかもしれなかった。
その後も、輝美の予知以外の地震が起こるたびに、彼女の番組から人々の関心は離れていき続けた。
輝美の地震予知は、当たる事もあれば、当たらない事もある。
結局、関係者の結論は、そういう陳腐なところで収まり、国民は、だんだん彼女の言葉に頼らなくなった。そうすると番組を見なければならない必要も、ほとんどなくなってしまった。
彼女の持っていた視聴率の魔術は、その爆発力と同じぐらいのスピードで失速していったのである。
もちろん、輝美にそのことがわからないはずはない。ただ、少しばかり、時代の空気を読むのが苦手で、事態をあまり深刻にとらえていないばかりか、楽観的すぎた。
天気予報の番組から降ろされても、テレビの中ではいくらでも仕事が転がっているものと、軽く考えていた。
しかしその日、一人暮らしのマンションにかかってきたディレクターの電話が、彼女に二度目の終止符を打った。
「言いにくいことだが」
と、ディレクターはのっけから用件を切り出してきた。
「次の番組改正で、君の天気予報のコーナーはなくなってしまうんだ」
「あら、そうなの。で、次に任せてもらえるコーナーは何?」
輝美の言葉づかいが馴れ馴れしいのは、すでにこのディレクターと愛人関係になっていたためである。つまり、彼女は新しい恋人から、酷にも首切りの宣言を直接受けた事になる。
「君のコーナーはもうないんだ」
受話器の向こうの声は、とても淡々としていた。
輝美はこの業界特有の急激な変貌に、どうしてもついていけないようだ。番組も変われば人も変わる。
それは、常にあっという間のことだ。
「私の次の仕事はどうなっているの」
「それは、僕には関係ないことなんだよ」
「……」
「君に番組をまかせていたのは、的確な地震予知が欲しかったからだ。わかるだろ、それが君の商品価値だ。最近みたいに全然予知が当たらないとなると、僕もこれまでのように君を守ってやる事は出来ないんだよ」
「何度もいっているように、地震予知はものすごく疲れるの。一つの予知をする度に精根尽き果てて、命を縮めるほどなのよ。すべての地震を予知する事なんて、到底出来ないわ」
「それはわかっている。わかっているが、視聴者が欲しいのは、常に完璧な情報なんだ。元々、大衆なんていつも無理な事ばかり要求してくるものだ。しかしそれに答えなければならないのが僕たちテレビマンだ」
輝美はため息をついた。頭ではすべて理解しているつもりだった。だが、この感情はどうにもならない。
「別に番組なんかどうでもいいわ。残された私はどうなるの、あなた、私と結婚してくれるんでしょう?」
「――いや……」
「今さら嘘だったなんていわないでしょうね」
「申し訳ない」
さすがの彼女もすべてを認識しなければいけないときがきた。
おぼろげにわかってはいたつもりだが、できれば、そういう現実からを目を背けたままでいたかった。
「まさか、本気にしていたわけではないだろ。俺だって独り者ではない、家族がいるんだから」
「でも……」
輝美は、私はいつも独りよ、と言いかけた言葉を飲み込んだ。
また最初からやり直しである。
そう思うといつものようにいろいろなことが、あっという間に吹っ切れた。彼女は、不思議なほど明るい声でいった。
「最後に、次の地震の予知をしてもいいかしら」
「ほう、また地震があるのか」
「あなた、今どこにいるの?」
「局だが……」
輝美は受話器の前で、祈るように目を閉じた。
「次の地震は、かなり大きな直下型よ。震源地は、あなたのいるテレビ局の真下。そろそろ、ビルが揺れ出している頃じゃないかしら」
「な、なんだって……!」
受話器の向こうの声が悲鳴に変わり、後はつーつーという機械音だけになった。
誰にとっても、人生の節目に行う清算とは、たいていはすべてをぶっ潰してしまうことなのである。
日本中が勘違いしていた。
天野輝美の能力は、地震を予知する事ではなく、地震を起こす事だったのだ。
狭間の奇談探偵 野掘 @nobo0153
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