第8話 大蛇捕獲
僕の叔父は有名な探検家である。いま僕は、彼のジィプの助手席に乗って夜の海岸線を走っている。
叔父は外国から帰ったばかり。早々に、ドライブをせがんだのだ。
久しぶりの故郷の海と満天の星の下で、叔父の機嫌は頗る晴れやかで、
「勇気と無謀との違いは、まったく紙一重だ」
と、傍らの僕に楽しそうに語る。
ドライブしながら大好きな叔父の冒険話を聞いていると最高の気分だ。僕が熱心に聞くから、叔父もつい饒舌になってしまう。
「――だが、そのわずかの差をよく見極めていないと、命を落とすことになるぞ。冒険とはそういうものだ」
時間も忘れるひととき。
ところが、ジィプが岬の一番大きなカァブを曲がりきったところで、突然、叔父の話が中断されることになった。
叔父が急ブレーキを踏んだためにジィプが前のめりになって、僕は危うくフロントガラスにつんのめりそうになった。
「どうしたの?」
と、僕は顔を上げて叔父を見た。
叔父は押し黙ったまま、前方を見つめている。ライトに浮かぶのはアスファルトの道。
いや、そうではなかった。
その道路をふさぐように横たわっている何物かが、かすかに見えた
最初、僕は巨木が倒れているのかと思った。しかし、その巨木はずるずると一方向に動いているのである。
目を凝らしてよく見ると、まだらの模様が無気味に光っていた。
「蛇だな」
「蛇? でも、人間の胴回りほどもあるじゃないですか」
叔父はジィプのライトを消して、エンジンを止めた。しばらくして目が慣れてくると、月明かりでぼんやりと前方が見えてきた。
確かにそれは蛇のように蠕動していた。とても緩慢な動きで、右の山壁の雑木の中から左の崖下の海に向かって、道路を横断していたのだ。
「生け捕りにするぞ。ちょうど麻酔銃をジィプに積んでいる」
「生け捕りですって! あんなに巨大な蛇を?」
「大丈夫だよ。光を反射して、思ったよりも太く見えているだけだ」
と、叔父は落ち着いたものである。
「あのぐらいの太さなら、十メートル程度のものだろう。俺は、アフリカでもっと大きな蛇を捕まえた事がある。日本にあんなに大きな蛇がいるはずはないから、きっと動物園から逃げたのだろう。もっとも、最近では外国の蛇をペットにする人も増えていて、ペットが逃げ出して巨大化した例もある。どちらにせよ、騒ぎになる前に捕まえておくほうがいい」
「ぼ、僕らだけで、ですか……?」
と言っているうちに、叔父は麻酔銃を手にとってジィプからもう降りている。僕も慌ててその後ろに続いた。
彼の冒険用のジィプには、あらゆる危険に対応できる装備が整っているようだ。
「蛇には相手の体熱を敏感に感じ取って、すぐに飛び掛ってくるような凶暴な奴もいるが、こいつは違う。ボア種の蛇は巨大だが、鈍感だ。毒も持ってはいない」
「ほかに道具はいらないんですか。網とか? いや、それよりも、もっと強力な武器は?」
「ははは、この銃を一発撃つだけで象でも眠りこけてしまうよ。巨獣とは言え、眠ってしまえば可愛いもんさ」
僕は、叔父の勇気と頼もしさに舌を巻いた。
「もっと、近づいて仕留めよう」
だが、蛇に近づけば近づくほど、その大きさに僕は圧倒された。
蛇腹のぬめった質感も気味が悪いが、ずるずるっと地面をこする音がさらに不気味だ。何よりも薄明かりの中、蛇の全貌が見えないのにどうしようもない不安を感じる。
しかし、叔父は顔色一つ変えようとしない。経験がそうさせているのだろう。
「さっきも言ったはずだ。勇気と無謀はまるで別のものだと。恐れる事はないよ。俺は、巨象もライオンもこの銃で仕留めた経験がある。野獣捕獲のプロだからね」
「でも……」
僕はその時、奇妙な予感を感じて振り返った。
夜を包む空気自体から、衣擦れするようにかすかな音が聞こえてきたような、そんな気がしたのだ。
しかし、たちまちその予感は、底知れぬ恐怖に変わった。
僕は、はっきりと見てしまったのである!
僕らの後ろ、ジィプのまだ先に、黒山の稜線ように巨大な影が、夜空を背景にしてぐんぐん競りあがってくるのを……。
それはあまりにも大きすぎる何かだった。
「叔父さん、銃を撃つのは止めて!」
「何だ?」
「それ、蛇じゃないよ」
僕は小さな声で、それだけをやっと伝えた。
叔父が僕を振り返った瞬間、その表情から先ほどまでの自信が、見る見る消えていくのがわかった。それは、目も当てられないほど無残な変化だった。
背筋を冷たいものがするりと滑って落ちた。
僕たちはお互いの顔を見合わせ、一言もしゃべれなかった。もはや微動だも出来ず、石ころのよう固まっているしかなかった。
それから長い時間をかけて、道路に横たわった物体が消えてなくなった時、巨大な影も岬の陰になった。
海は油を流したように黒く光って、波の音も聞こえない。月は相変わらず晧晧と、岬の風景を照らしていた。
最後は、尻尾の端きれが海面に没する音がぽちゃんと響き、凝然と佇む僕たちの耳にかすかな余韻として残っているだけである。
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