年明けこそ鬼笑う

@chauchau

死んでどうなるかなど


 不確かな未来を語れば、鬼に笑われるというなら、私はもう誰にも笑われることはない。語らなければ良いんだから、語れなくなれば良いんだから。

 冷たい風が肺を焼く。どうせ要らないからと薄着で来たのが間違いだった。それももうあと少しだけの辛抱だ。

 エレベーターすら付いていない古いマンションにはうんざりしていたけれど、いまはそのボロさがありがたい。ボロくてセキュリティのセの字も存在しないから、簡単に屋上にだってたどり着ける。大晦日の夜、もう深夜だというのに多くの家の窓からは明かりが灯って見えている。


 そんななかで、私は一人。屋上で。見下ろす。地面を。


 たった一歩で終わる。

 たった一歩で救われる。


「さようなら」


 十五年。

 周りの大人は短いと勝手に言うけれど、私にとっては充分すぎるほど長かった苦痛の時間。さらば、この世よ。


「余計なことを言うようだけど」


「!?」


 あと一歩。

 あと一歩を。


 邪魔された。


「この高さじゃ死ねない可能性のほうが高いよ」


「ひぃぃぃいいいぃ!? あっ!? ガッ!! ごぉぉぉッッ!!」


 驚きで身体が勝手に後ろに下がる。

 不注意で足を取られて、思いっきり後頭部を強打した。目の前が真っ白に光って輝く。死にたいけれど、痛いのは嫌だ。痛い。痛い。痛い。


「地面に植木があるのもいただけないね。ここじゃあ死なずに痛いだけを漂うことになる。万が一にでも助かってしまえば病院生活という更なる苦痛が君を待つわけだ」


「あ、あ、あ、あ、っ!」


「この辺で自殺しやすいスポットといえば、三丁目のマンションがオススメだね。あそこは十階建てのくせに屋上へ簡単にあがれるから」


「化け物ぉ!?」


「そうだね」


 いきなり目の前に現れたのは。

 何もないはずの空中に現れたのは。

 私の、自殺を邪魔したのは。


「君たちが言うところの鬼です」


 一匹の小鬼だった。



 ※※※



「どうして邪魔するのよ」


「いやいや、邪魔なんてそんな滅相な」


 褒めてもいないのに、小鬼が勝手に照れくさそうに頭を掻いた。

 鬼と会話しているなんて発狂しそうなほどありえない現象だけど、どうせ死ぬんだから構わないかと腹をくくってしまえば、なんということはない。

 加えて、今なお空に浮いているこの自称鬼は、昔話に出てくるような筋肉粒々の恐ろしい鬼ではなく、デフォルメされたぬいぐるみのような小鬼なのだ。最初こそ驚いてしまったが、見慣れてしまえば怖くもない。気味は悪いけれど。


「むしろ君の自殺をサポートしに来たといっても過言ではない」


「サポートぉ?」


「自殺するということは地獄へ落ちることになるからね。すかさず君の魂を持ち帰ればこちらの評価につながるわけだ」


「ちょっと待って」


 聞き捨てならない。

 評価とか、そういう話も世知辛くて聞きたくないけれど、そんなことよりも大事なことをさらっと言われたぞ。


「自殺したら地獄へ行くの?」


「行くよ?」


「地獄行きだと分かっているのに手助けするの?」


「そうだけど?」


「鬼じゃん」


「鬼だよ」


 見たら分かる。

 だから、いまの私の鬼という言葉はそういう意味ではない。ひどいという意味での鬼だ。


「地獄はちょっと……」


「でも。この話を聞かれたからには何が何でも死んでもらわないと」


「そっちが勝手に話したくせに……」


 あの世もこの世も理不尽なことは一緒らしい。

 私の都合なんて誰も気にしてくれない。いや、気にしてくれないならそれで良いんだ。だから、お願いだから私に構わないでほしい。ただ、一人にしてほしいだけなのに。


「じゃあ、こうしよう」


「なに?」


「自殺の原因はどうせ虐めだろう?」


「どうせとか言わないでよ……」


 当たっているけどさ。

 どうせで片付けられるいじめられっ子ですけどさ。


「いじめっ子を殺してあげよう」


「……」


「君も、そしていじめっ子も地獄へ行く。君も行くわけだけど、いじめっ子も道連れに出来ると思えば少しは気持ち良いだろう?」


 想像してみる。

 クラスで私をいじめる連中が、一緒に地獄へ落ちる様。あれだけいつも威張り散らしている連中が、泣きわめく様。


「気持ちは良い」


「なら、契約成立だ」


 指のないぬいぐるみみたいな腕が私に伸びる。契約は握手をもって。なんとも古典的だ。古典かどうか知らないけれど。


 だから、私は。


「えええ……」


「ごめんなさい」


 その手を握れなかった。


「罪悪感?」


「ううん」


 そんな良い子じゃない。

 あいつらは本当に地獄へ落ちろとしか思っていない。


「ただ」


「ただ?」


「死んでもあいつらと一緒が嫌だなぁ、って」


 あいつらが苦しむのは良い。

 私が苦しむのは嫌。


 一緒に居るのはもっと嫌。


「そっか」


「死にたくないなぁ……」


「死にたくないの?」


「ていうか、地獄が嫌」


「正直だね」


 音がした。

 静かだった街に明るい音が響いていく。


 年明けだ。

 新しい年が来た。


 去年の内に死んでしまおうと思っていたのに。私は年を越してしまった。


「正直なのは良いことだ」


 鬼が、


「次は、ちゃんと仕事するから」


 笑った。



 ※※※



 最初に聞こえたのは、泣き崩れる母の声。

 最初に目にしたのは、見知らぬ天井。

 最初に感じたのは、痛み。姉が私の頬をぶった痛み。


 屋上へ落ちて、

 植木のおかげで死ねなくて、

 奇跡的に後遺症も見つからず、


 私は生きている。

 地獄が嫌だから生きている。


 あいつらと、一緒に居るのが嫌だから生きている。

 それが分かれば、楽になった。離れてしまえば良いんだと分かったら心が楽になった。わけじゃないけれど、ていうか正直人間が嫌いなんだけど。

 でもまあ、なんか、逃げた先のほうが地獄という苦しみがあるなら、なんかもう頑張って天国に行かせてもらわないと、


「未来のことか……」


 鬼に笑われてしまうだろうか。

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