盲目のテレパス

南屋真太郎

盲目のテレパス

「席を譲ってくださいませんか」


 僕が言うと、優先座席で新聞を広げていた中年の男性は顔をしかめた。


 朝、電車のなかで席を確保するのは困難だ。既にたくさんの人々が乗り込んでいて、座席が空いていることはない。特に、僕のような学生や若い人は、立っているのが当たり前であるような空気が漂っている。


「ああ、僕にじゃなくて、この子にです。目が見えなくて」


 言って、僕の腕を掴んで隣に立っている少女――夜見京子よみきょうこさんを手で指し示す。


 しかし男性は紙面で顔を隠して無視を決め込んだ。


「あのー、一応優先座席なんですけど……」


 僕がまた口を開くと、さすがに周囲の人々の視線が男性に向いた。男性は明らかに苛立った顔をして、舌打ちしつつも新聞を閉じ始めた。


 そこで夜見さんが口を開く。


「結構よ。だってその人『めんどくせえなあ、こっちは毎日残業で疲れてんだよ。目が見えないからなんだってんだ。俺には関係ないだろうが』って顔に書いてあるもの」


 大人しそうな外見の夜見さんから乱暴な言葉が飛び出したからだろう。周囲の人々が驚いた顔で振り返る。僕もぎょっとしたが、内心一番驚いていたのは座っていた男性に違いない。


「行きましょう。佐野さのくん。別に私は立っていられるわ」


 夜見さんの一言であたりは静まり返ったが、いたたまれなくなったのであろう、男性は次の駅に着くや否や素早い動きで駅を降りていった。


 やがて学校の最寄り駅に着き、僕たちも電車を降りる。


 あたりに人がいないかを確認してから、僕は夜見さんを脇道に引っ張っていった。


「あらあら、いきなり乱暴ね。なにをされるのかしら」

「わかってるでしょ。勝手に人の心を読んじゃダメでしょ」

「勝手に読んでないわ。勝手に入ってくるの」

「じゃあ、勝手に人の心を読んで、口にしちゃダメ」

「譲りたくもない人にわざわざ譲ってもらうのは嫌だもの。まるで私が弱者みたいだわ」

「ちょっとは反省しなよってこと」

「はいはい、悪かったわよ」


 夜見さんは少し拗ねたように頬を膨らませた。



 夜見さんと知り合ったのは半年前。

 ある事件がきっかけだった。あの事件はあまり思い出したくない。なにしろ彼女はその事件がきっかけで、目が見えなくなってしまった。

 そして、テレパシーに目覚めた。以来、彼女は保健室登校だ。


 もっともその事件がきっかけで、夜見さんと朝一緒に登校できるし、放課後、こうして保健室まで彼女を迎えに行けるわけだけど。


 授業を終えて、教室を出て、保健室がある廊下に差し掛かると、ちょうど保健室から男子生徒が出てきたところだった。


「あ、麻木あさぎくん。どうしたの。体調でも悪い?」


 僕が声をかけると、麻木修平は相好を崩した。彼とは一年生のときクラスが一緒で、たまに雑談をした仲だ。成績がいつも上位で、僕は心のなかで天才と仰いでいる。


「佐野くんか。まあ少しね。それじゃ」


 急いでいるのか、麻木くん速足で去っていった。心なしか顔が暗い気がしたが、天才は気苦労も多いのだろう。


 まあ、気苦労などなさそうな天才もいるのだけれど。


 保健室の前に立ち、ノックをすると、夜見さん「どうぞ」という綺麗な声が聞こえた。


「廊下で麻木くんとなにを話していたの?」

「挨拶くらいだよ」

「成績が落ちて、憔悴しているみたいだったわ、彼。どうしようどうしようって言っていたし」


 今日は、六月に行われた中間テストの成績が貼り出された。麻木くんと夜見さんは一位と二位を争う仲だったのだけれど、今回は麻木くんが三位に落ち、夜見さんが一位に輝いた。ちなみに僕は平々凡々な特筆するほどでもないど真ん中の順位だ。


「勝手に人の心を口に出さないの」


 言いながら、室内に備えられた机をくっつけて、夜見さんの向かいの席に座る。


「少し待って、もう読み終わるの」


 夜見さんは僕の注意などどこ吹く風で、点字図書に指を滑らせているところだった。


「いいよ。僕も進路調査表書かないと」

「教師はおすすめしないわよ。案外ブラックだとか」

「勝手に人の――」


 と言いかけてから、いつものことだと受け流し、シャーペンを取り出す。


 隠しだてしても仕方がない。勝手に聞こえてしまうのだから。


 第一志望に教師と書くのと、夜見さんが本を閉じるのは同時だった。進路希望調査表を鞄にしまって、立ち上がりかけると、夜見さんが「佐野くん」と僕を呼び止めた。


「どうしたの? 図書館寄る?」

「いえ、実は相談があって」

「いいよ? どうしたの?」


「クラスに、私を殺そうとしている人間がいるの」


 さて、なんだろうと気軽に身構えていたものだから、理解するのに二秒を要した。

 詳しく尋ねると、夜見さんは説明を始めた。


 夜見さんは不慮の事故で盲目となったため、一応所属クラスは僕と同じ四組になっている。先日、夜見さんは進路希望調査表を出すために四組に赴いたが、まだクラスはHRの途中で、その場を辞したという。


 しかし去り際、『夜見京子を殺すしかない』と心の声が聞こえたとのことだ。


「犯人さえわかれば警戒はできる。だけど壁越しだったから誰が言っていたのか検討もつかないし、犯人を捜そうとしても、私の目ではできることが限られてる。だからあなたに、その手伝いをしてほしいの」

「いいよ」

「えらくあっさりね」

「当然のことだよ」

「もっと渋られると思っていたわ」

「そんなことはしないよ」


 答えると、夜見さんはずいっと身を乗り出してきた。急に顔が近くなって、思わずドキドキしてしまう。


「どうしてそこまでしてくれるの? 私は佐野くんに迷惑ばかりかけている。自分の性格が良いとは思ってない。むしろ悪い方だと思ってる。それでも助けてくれるのはどうして?」

「いや、それは……」

「いつも行動を共にしているから? 半年前の事件があったから?」

「えっと、それは……」

 ダメだ。無心になれ。羊を数えるんだ。いやそれは眠るときだった。

「あのね、佐野くん。私、あなたに謝らないといけないことが――」


 するとそのとき、扉が開かれた。


「あなたたち、もう完全下校時刻よ」


 入ってきたのは担任の中野なかの先生だった。


「あら、なにしてたのかしら?」

「いえ、特になにも」


 夜見さんはなにごともなかったかのようにしれっと帰る準備を始めていた。



 翌日の昼休み。保健室で昼食を取りながら、僕たちは作戦会議を進めていた。


 捜索にあたって、三十人も手当たり次第に話しかけるのは効率が悪い。まずは犯人を絞れるだけ絞ろうと言うことになった。


「夜見さん。心の声って、その人の生の声と同じ性質なんだよね」

「ええ。だから合ったことがない人やあまり話さない人の声は判別がつかないわ」

「じゃあ、その声、男だったか女だったかわかる?」

「女性だった、と思うわ」


 そうなるとクラスメイト三十人のうち、女子は十三人だ。


「女子か。うちのクラスの女子で、夜見さんを殺そうと思いそうな人、心当たりある?」

「もちろん怨恨は考えたのだけれど、私って容姿もそこそこいいし、その癖に性格はよくないし、でも成績がいいし、結構恨みを買いやすいのよ。だから誰にどんな恨まれかたをしているのかわからなくて、その線で犯人を絞るのは諦めたわ」


 自分で堂々と言ってしまうあたり、彼女の性格が出ている。


「なにか言った?」

「口には出してないよ」

「容姿については佐野くんの合格ラインということね」


 コメントは差し控えさせていただこう。

 夜見さんは勝ち誇ったように微笑んでから言った。


「さて、誰から行きましょうか」

「僕に女子に話しかけるコミュ力を期待しないでね」

「さっそく頼りないわね」


 普段話さない女子に話しかけるハードルはとても高いのである。


「どうしたものかしらね」


 思案していると、あっという間に昼休みの終わりが迫っていた。

 すると保健室のかすみ先生が職員室から帰ってきた。


「仲がいいわね、ふたりは」

「いつもお邪魔させてもらってすみません」


 本当は生徒が保健室で昼食を採るのは許されていないのだが、夜見さんと仲が良いということもあり、先生の好意で僕だけ特別に許可をもらっている。


「いいのよ。ふたりは信頼しているから。プラトニックな関係でいてね、くれぐれも」


 台詞に心労が垣間見えた。


「なにかあったんですか?」


 霞先生は言ってもいいものか悩んでいるようだったが、先生の心を読んだらしい夜見さんが納得したように頷いた。


「不純異性交遊でも、ありましたか?」

「夜見さん、さすが鋭いわね」


 ふたりの間では具体的な問題が共有されているらしかったが、僕には見当もつかない。


「佐野くんは知らなくてもいいこと」

「まあ、あまりに目立つようならいずれ学校から注意喚起があると思うけどねえ」


 そうこうしているうちに予鈴が鳴り、僕は教室に戻ることとなった。


 保健室を出ると、またしても麻木くんと出くわした。なんだかとてもびっくりした様子だ。


「また会ったね麻木くん。先生ならなかにいるよ」

「いや、いいんだ。それより、佐野くんは、いつ面談なんだい?」


 唐突に話題が変わったが、面談と言われて、ピンとくるものがあった。


「麻木くん。それだ!」

「え? どういうこと?」


 困惑する麻木くんをよそに、僕は教室に帰りながら、良い案を思いついたぞ、と心のなかでガッツポーズしていた。



「なるほど、個人面談ね」

「なかなか良い案でしょ」


 放課後、僕は夜見さんと共に、四組の教室の横にある理科室にいた。

 昨日実施された中間テストと進路希望調査を踏まえ、今日から三日間の個人面談が始まる。


 これがなにを意味するのかと言えば、クラスの全員がひとりひとり教室に入るため、心を読み取ることが壁越しでも容易にできるのだ。


 さすがに、何日間もふたりで廊下の前に張り込むのは目立ちすぎるので、こうして、放課後は誰もいない理科室に忍び込んでいる。

 

 なお、今日の移動授業のタイミングで僕が窓の鍵を開けておいたため、先に僕がなかに入り、扉の鍵を開けて、苦労なく夜見さんを入らせることができた。


「犯人が見つかるのも時間の問題だね」

「相手が悪かったわね。まさかテレパシー能力者を殺そうとしているとは思わないでしょう」


 全くその通り。


「犯人を特定して、そのあとどうするの?」

「もちろん二度と殺すなんて考えないように脅かしてやるわ」

「具体的には」

「そうね、人間誰しも秘密のひとつやふたつ抱えているでしょうし、それらを読み取って、この秘密をぶちまけるわよ~って言ってやるつもり」

「こわっ」


 トラウマを刻み込まれる犯人を思うと哀れである。


「今回のこともあるんだし、これからはあんまり人の心を勝手に口に出さないほうがいいよ。もし今回みたいに恨まれて、犯罪が実行に移されたら危険だよ」

「心配性ね」

「きみは凝りなさすぎ。前も勝手に麻木くんの心を読んでたし」

「あれは事故よ。それに彼の成績が下がったのは彼の問題でしょう」

「昔聞いた話だと、麻木くんの家はかなり厳しいらしいよ。成績が下がると、怒られるんじゃないかなあ」

「それこそ私の知ったことではないわよ」

「僕が言いたいのは、言わなくていいことまで言わないほうが身のためってこと」

「はいはい」


 やはり夜見さんは僕の注意などどこ吹く風だった。もう少しなにか言ってやろうと思っていたのだが、廊下に足音が響いて、僕たちの意識はそちらに向いた。



「さて、佐野くんの将来の夢は教職だったわね。勉強大変だぞ~」


 中野先生はおどけながら、いつも生徒に人気の笑顔で言った。


 昨日は結局犯人が現れず、空振りに終わった。今日は二日目で、僕の番が回ってきたので、夜見さんを理科室に残して、教室に赴いている。


「どうして、先生になろうと思ったの?」

「うーん、そうですね。元々本が好きって言うのもありますけど、先生みたいな生徒に好かれる先生に憧れてるからですかね」

「え、私って人気!? ほんと? 嬉しいなー」


 嘘ではなかった。美人というだけなら男子の人気のみを得そうなものだが、中野先生は女子にも男子にも分け隔てなく接し、行事ごとには積極的に参加し、相談には真剣に乗ってくれる理想の先生だ。


「でも、佐野くんは向いてると思うよ、教師」

「どうしてです?」

「だって、あんなに親身に夜見さんに寄り添ってるじゃない」

「あれは、まあ腐れ縁というか」

「ふーん……」


 中野先生はにんまりと笑う。


「なんですかその笑いは」

「ねね、夜見さんのこと、好き?」

「直球ですね。まあ好きか嫌いかで言えば好きですよ」

「それは恋愛的な意味?」

「さあ」

「たしかに夜見さんは美人だし、スタイルもいいし、人気高そう。しかも頭がいいし、鋭い」


 鋭いはある意味当たり前だが、スタイルに関しては先生もなかなかのものだった。スーツのの奥にある胸部の膨らみは……おっと、壁の向こうでは夜見さんがいるんだった。


「先生、今日は個人面談でしょ」

「ごめんごめん、ちょっと気になっちゃって」


 いたずらっ子のようにからからと笑ってから、話は成績や大学の話へと移った。

 結局、その日も犯人は現れず、捜査は三日目に突入した。



 捜査開始から三日目の午後六時。すべての生徒の面談が終わった時間。保健室を目指しながら、僕たちは廊下を歩いていた。


 夜見さんはさっきからずっとありえないと呟いている。


「けど、いなかったんだよなあ実際」


 驚いたことに、この三日間男子を含めてクラスメイト三十人全員の調査を終えたのだが、結果からして、犯人は四組の誰でもなかった。


 ここに来て、捜査は完全に振り出しに戻った。


「別のクラスの人の心を読んだとかは?」

「それこそありえないわ。声は間違いなくクラスのほうから聴こえたもの」

「じゃあ別の線から犯人を探るしかないね」

「ありえないわ……」

「まあ一端落ち着こうよ」


 保健室に辿り着くと、先客がいた。中野先生だった。なぜか胸元がはだけている。


「中野先生、どうしたんですか?」

「あら、あなたたち、まだ残ってたの?」

「ちょっと勉強してて。先生は体調でも悪いんですか?」

「え、ええ。ちょっと風邪を引いたみたいで。でも霞先生がいなかったみたいだから」

「霞先生なら、この時間はもうご帰宅なされてますよ」


 夜見さんが言うと同時に、どこからかゴガンと音がした。


「なんの音かしら?」


 中野先生が首を傾げる。


「ちょっと見て来るよ」


 僕は奥にあるカーテンを開いて、窓を開けた。

 周囲をきょろきょろと眺めてみるが、見えるのは目の前にある本館の教室と、保健室がある別館とを繋ぐ渡り廊下だけだ。


「なにもないですね」

「野球部のボールでも転がって来たんじゃないかしら」

「そうだね」


 中野先生に挨拶をして、門に向かう。


 学校を出たところで、夜見さんが言った。


「ねえ、佐野くん。中野先生って美人よね」

「急だね……、まあそうかも」

「胸も大きいものね」

「まあ、一般的に、平均的に、相対的に見ると、そうかもしれないね」

「あなたが中野先生の胸部を視姦していたのは承知しているわよ」

「あ、やっぱり心読んでたんですね」

「勝手に聴こえてきただけよケダモノ」


 完全に発情期の猿扱いである。


「今日はもう帰ろうよ。落ち着いて、また明日から犯人を捜そう」

「そうね」


 その後、夜見さんを自宅に送り届けた。

 駅で電車を待ち、ホームに滑り込んできた電車に乗り込むと、見慣れた顔が見えた。


「最近よく会うね、麻木くん」


 麻木くんはつり革につかまりながら随分と真剣な面持ちでスマホの画面を眺めていた。


 僕の声に気が付かなかったようで、とんと肩を持つと、彼はびくっと肩を竦ませてこちらを向いた。


「あ、ああ佐野くんか」


 僕の顔を見るや、途端に安堵したようにため息を吐く。


「あれ、どうしたのそれ」


 なんとなく視線を下に向けた僕は、麻木くんのシャツの妙な汚れに気が付いた。なぜか腹部が茶色く汚れている。


「え? ああ! これはさっき鼻血を出して、それが引き延ばされたあとだよ!」


 電車のなかだというのに、随分と大きな声だったので、少し驚いた。


「そっか、大丈夫なの?」

「うん、さっき保健室に行ったから」

「奇遇だね。僕も四十分くらい前まで保健室にいたんだよ」

「そ、そうかい」


 麻木くんはその後も終始顔色が悪かったが、天才の苦悩は僕には計り知れない。お大事にとだけ告げて、僕は電車を降りた。



 翌日、学校に二つのニュースが駆け巡った。

 一つ目はHRで発表された。

 校舎に窓から侵入する不審者が目撃されたらしい。近隣の住民の通報であった。


 もう一つのニュースは生徒間の噂に治まっているが、僕としてはこっちのほうがショッキングであった。なんと、校舎のゴミ箱からコンドームの袋が発見されたという。


 そこで思い当たったのだが、以前保健室で、夜見さんと霞先生が言っていた不純異性交遊とはこれのことだったのかもしれない。


 当然と言えば当然なのだが、ほとぼりが冷めるまで、僕は保健室への出入りを禁止され、夜見さんとの昼食はしばらくお預けとなった。


 登下校は変わらず一緒なので、良しとしよう。


 お昼が暇になってしまったので、図書室で時間を潰すことにした。

 図書室は二階にある。今朝のニュースもあって、なんとなく窓の外を眺めた。


 この学校の校舎はかなり古い。壁面は染みがあり、渡り廊下の屋根は錆び付いている。一体不審者は学校に入ってなにがしたかったのだろう……。


 窓を眺めていると、なにか、直観めいたものが頭を駆け巡った。あともう少しでなにか思いつきそうだなと考えていたとき、ポケットのスマホが振動した。


 かけてきたのは夜見さんだった。


 どうしたの、と言い切る前に、夜見さんが叫んだ。


「佐野くん! 助けて!」


 ただ事ではない。場所を聞き出すと、夜見さんは別館一階の女子トイレにいるという。電話を繋げながら女子トイレの前まで向かうと、泣いたのか、目が赤い夜見さんが出てきた。


 プライドの高い彼女が泣くのは珍しい。夜見さんを宥めながら事情を聞き出すと、事は僕が思っているよりも深刻だった。


 夜見さんは移動授業の際、霞先生と行動を共にするのだが、他の先生に呼ばれて、霞先生が夜見さんから一端離れたときがあった。校庭のベンチで座っていたところ、突然ベンチの横がガゴンと大きな音を立てたという。手で周囲を調べてみると、レンガの感触があった。


 怖くなった夜見さんは手で校舎の壁を伝って、トイレに駆け込み、電話をかけたらしい。


 正直肝が冷えた。つまりこれは犯人が夜見さんへの直接攻撃に打って出たということに他ならない。ましてやレンガなど頭に当れば致命傷だ。犯人はとうとう一線を越えてきた。


 彼女の泣くところはできれば二度と見たくなかった。


 僕は夜見さんに声をかけた。


「大丈夫だよ。夜見さん。僕が犯人を捕まえる」

「でも、見当がつかないわ」


 大丈夫だよ、と僕はひたすら夜見さんを宥める。

 それから僕は言った。


「犯人の目星はついてる」


 僕はひとつ思いついたことがあって、夜見さんにある作戦を話した。



 部活動をしていた生徒が帰り始める時間。


 僕は夜見さんと一緒に、渡り廊下を歩いていた。それから作戦通り、夜見さんを校舎に囲われた中庭の東屋にひとりにし、僕はその場を離れる。別館の廊下に身を潜め、十分後。動きがあった。中庭の東屋に向かって、石が投げ込まれたのだ。石が飛んできた方角は本館、つまり反対側の校舎。


 僕は即座に中庭に出て、あえて「待て!」と叫んだ。別に石を投げたやつの姿は見ていない。それからすぐに、本館へと走る。階段を駆け上がり、二階の、僕たちが所属する四組の教室に入る。そして窓に駆け寄ると、彼はいた。渡り廊下の、屋根の上に。


 僕は声をかけた。


「空いてないよ。図書室の窓は。あらかじめ、僕が閉めておいたんだ。麻木くん」

「さ、佐野くん……」

「大丈夫。きみを悪いようにするつもりはない。だって、夜見さんを殺そうとしているのは、きみじゃなくて、中野先生でしょ」

「そ、それは……」


 もはや言い訳しようがないと思ったのか、膝から崩れ落ちた。



 職員室に出向き、中野先生を呼び出すのは簡単だった。進路の話を持ちかければ、断る先生はいない。


 四組の教室で僕たちは向かい合った。


「なぜ、夜見さんを殺そうとしたんです?」


 単刀直入に尋ねると、中野先生はすべてを悟った様子で、諦めにも似たため息を吐いた。


「どうしてわかったの?」

「状況証拠からの推測の域を出ませんよ。ただ、元々先生を怪しいとは思っていましたが」

「聞かせてくれる?」

「その前に、僕から尋ねたいことがあります。先生は僕と夜見さんの会話を聞いていたんでしょう? あの日、保健室に僕と夜見さんが残っているのを咎めた日です。先生はそこで知ったんですよね、彼女が――」

「人の心が読めると?」


 僕は肯定も否定もしなかった。


「やっぱりそうなのね……。あの子が悪いのよ。最初はただ鋭いだけだと思っていたけれど、勝手に人の心を読むから」


 なるほど。夜見さんのことだ。僕の知らないところで、先生の心の声を聞いて、要らぬ助言でもしたに違いない。そして、僕と夜見さんの会話を聞いた先生は、テレパシー能力の確信を得たのだ。


「夜見さんは殺意を読み取ったんです。ですが、彼女は目が見えないゆえに、誰が言ったのかわからなかった。そこで僕と夜見さんは、個人面談の際に、隣の理科室に潜り込み、クラスメイト全員の心を読みました。しかし誰も該当しなかった。夜見さんもまさか、先生が自分を殺害しようとしているだなんて思わなかったんでしょう。でも教室にいて、条件に当てはまるのは先生だけでした」


 ただ、この時点では、先生がなぜ夜見さんに殺意を抱いたのかがわからなかった。


「ふたつのニュースと、先生たちの動きが、動機に結びついたんです」


 怪訝な顔をする先生に説明する。


「まず学校で発見された不審者です。あれは麻木くんですね」

「なぜ彼だと?」

「昨日、先生が保健室にいた日、大きな物音がしましたよね。そのあと、実は麻木くんと出くわしたんです。麻木くんの服についてたんですよ。渡り廊下の屋根に上ったときについた、大量の錆が。不審者が目撃された時間とも合致する」

「なるほど」

「もうひとつあります。学内で発見されたコンドームの袋ですが、実はそれ以前から不純異性交遊の痕跡は発見されていたんですよ。霞先生に聞けばわかります。麻木くんは何度も保健室に足を運んでいました。あれは、痕跡を回収するためだったのだと、さっき彼から聞きました」


 麻木くんと逢瀬を重ねていたのは誰なのか。それは昨日で確信を得た。


「先生はテレパシーで夜見さんに知られたんですよね。麻木くんとの交際を」


 先生と麻木くんは誰もいなくなった放課後の保健室で逢瀬を重ねていた。


 おそらく昨日もだ。しかし予期せぬ僕たちの来訪があったものだから、先生は麻木くんを窓から逃がした。性行為の痕跡は隠したが、その袋の回収にまで気が回らなかった。そんなところだろう。


「先生、昨日、胸元はだけてたの、気づいてました?」


 先生は下唇を噛んだ。


「整理しましょう。まず、先生は、夜見さんに秘密を握られた。その後、殺意を芽生えさせた。そしてその後で、夜見さんがテレパスだと知った。そこで、彼女を欺きながら、彼女を殺す方法を考え、思いついたのが、麻木くんに殺させることだった。理由は単純です。自分が殺そうとすれば、心を読まれてしまう」


 先生はなにも言わない。


「先生の行動が、テレパシーを避けているとしか思えなかったんです。テレパシーを欺くなんて、テレパシーを知っているとしか考えられない。だから先生だと思いました」


 僕が語り終えると、先生は黙って教室の外へ向かった。


「最後にひとつ、聞かせてくれる? どうして、あの子のために尽くすの?」

「それは麻木くんに聞けばいいですよ。やっちゃいけないとわかっていながら、レンガを投げるくらい、先生を好きなんですから」

「恋は盲目とはよく言ったものね」


 最後に不敵な微笑を向けて、先生は去っていった。


 あのあと、中野先生は学校を退職し、麻木くんは転校していった。事の顛末を夜見さんに説明すると、やはり夜見さんは、中野先生の心を読み、それとなく注意をしたらしいことがあったらしい。全く、言わんこっちゃない。


 しかしそれが夜見京子だ。だから僕は今日も、通学の電車のなかで声をかけている。


「席を譲ってくださいませんか」


 優先座席に座っていた中年の男性は、不機嫌そうな顔をしたが、新聞を折りたたんで席を立った。すると、僕の腕がちょんちょんと引っ張られる。


「向こうに行きましょう。譲りたくないみたいだから」


 珍しい。随分懲りたみたいだ。

 結局、心優しい人が僕と夜見さんに席を譲ってくれたので、ありがたく腰かけた。


 そういえば、夜見さんに聞きそびれたことがあった。


「この前、僕に謝らないといけないことがあるって言ってたけどなんだったの?」


 夜見さんは頬を赤くして答えた。


「あなたの心を読んだの。私のことを、どう思っているか聞いたときに」


 なるほど。ならば、改めて答えよう。

 きっと彼女には、聴こえているだろうから。

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