最終問題
春井環二
最終問題
「では問題です。世界で一番高い山はエベレスト! で〜す〜が〜……そのエベレストはチベット語ではチョモランマ! で~す~が~、ネパール語ではなんというでしょう?」
サガルマータ! と私は台所で夕飯の片付けをしながら言った。それはテレビの中の回答者がボタンを押してそう答えたのと同時だった。
「正解です!………では、最終問題です! これに正解したら世界一周旅行ですよ。世界的に有名なユーチューバーのTAKIYAさんがいま探していることで話題になってるのは、なんというお菓子のおまけシールでしょう? キャラクター名もお答え下さい」
……このくらいの問題は常識かと思ったが、番組の回答者は黙り込んだままだ。司会者が苦笑して言う。
「……残念! 制限時間は過ぎてしまいました。正解は、」
「ドットマンキャラメルシールのカブトエンペラー3世!」
私の独り言はもちろん司会者の言う解答と同じだった。
「……でした! このシールは今食玩マニアのユーチューバーTAKIYAさんが探していることで世間を騒がしています。販売された23年前、カブトエンペラー3世は他社のグッズキャラに酷似していたため販売されない予定でしたが、間違って試作品が数枚ドットマンキャラメルのおまけとして市場に出回ってしまったそうです。これをTAKIYAさんに送ると、二千万円をもらえるとのことですよ! テレビの前の皆さんもぜひ、押入れを探してみてください!」
画面の中の回答者は悔しがっていた。私があそこに座れば良かったがそうもいかない。もう表舞台から追放された身だ。
……テレビをクイズ番組からニュース番組に変える。……あの頃、私に解けない問題はなかった。学生のときクイズ研究会に入ってから私の人生は180度変わった。大きなクイズ大会でいつも上位に入っていた私。クイズ女王としてテレビに出ていた時期もある。そんな私を夫は理解してくれなかった。ある日夫はこう言った。
「美佐江。面白いのか、そんなことやってて。おまえは他人が作った問題を解くだけだ。問題は解くことより出すほうが難しいぞ」
何を知ったようなことを。そう思って私は心の中で笑っていた。……その夫も今はいない。ずいぶん前、定年の直後に病気で他界した。今この家には75になる私しか住んでいない。
× × ×
今日も会社で遅くまで残業だった。終電間際の電車は俺と同じく疲れ切った人々でいっぱいだ。……周りの乗客を見回す。どいつもこいつも同じような顔をし、同じような日々を過ごし、やがて同じような終わりを迎えるのだろう。暗い空気が漂っている。
しかも、人身事故で電車の到着が遅れたときた。SNSの情報によるとホームからの飛び降りらしい。……思わずあのことを思い出す。
小学校のとき。ホームルームで担任が『藤村くんのことをテレビや新聞にきかれてもなにも答えるな』と俺たちに言い聞かせた。学校を出ると、マスコミの取材陣たちが私たちを囲んだ。『藤村くんとは同じクラス? 彼はいじめられていたの? 駅のホームから飛び降りたのはなんでだと思う?』
俺たちは泣きそうになりながら無言でマスコミを振り切り、家路を急いだ。
もう20年以上前のことだ。
……しばらくして最寄り駅で降りて、街灯もまばらな線路わきの道を歩いた。あたりは静まり返った町工場などが立ち並んでいる。
俺の足が止まる。前方に一人の男が立っている。背中の重そうなリュックからは長い棒のようなものが突き出ている。月明りに照らされたその顔を見る。……その顔には、明らかに見覚えがあった。
「三田村か?」
「……橋本?」
「めっちゃ久しぶりやん!」
「おお……藤村の十三回忌以来だな。おまえここで何してんだ?」
「ちょっと親戚を訪ねててさあ。三田村、ちょっといいか? いろいろ積もる話もあるしさ」
装っているが確実にこの再会は偶然ではない。小学校の同窓生がこんな夜中にここで俺を待ち受けている。悪い予感しかしなかった。それに俺は疲れ切っている。
「どうだ、そこの公園で、ちょっと」
「ちょっと、今日はもう遅いしさあ。……またな」
「まあまあ、ちょっとだけ公園で話しようよ」
圧が強くなっていくのを感じる。
「……ちょっとだけだぞ」
「ああ……」
俺たちは公園に入った。
「ふぅう、このへんあの頃とずいぶん違っちゃったな」
「そうだな。もうだいぶ経っちゃったしな」
「うん……」
「今、おまえはどんな仕事してんの?」
俺は尋ねる。
「たいした仕事じゃないよ」
橋本は微笑しながら言った。目だけ静止していた。
「……そうか」
「藤村と、この公園でよく遊んだよな。……あいつ、なに考えてたんだろうな………」
「中学受験で悩んでたって話も聞いたが」
「だよな。特にいじめとかもなかったし。俺たちの窺い知れない悩みとかあったんだろうな」
そう橋本はタバコを吸いながら言った。乱暴者で中学生の不良ともよくつるんでたこいつが、こういう表情を見せるようになるとは思わなかった。
「なあ……タイムカプセル掘りにいかないか」
「え?」
「卒業するときに、学校の敷地の隅にみんなで埋めたじゃん。あれ、掘りに行こうぜ」
俺は自分の耳を疑った。正気の沙汰とは思えない。あれは卒業後30年たったら皆で掘り起こすという決まりだった。まだあと7年もある。
「なあなあ、掘りに行こうぜ。これから」
「……え? いやもう遅いし。……じゃ」
「待てよ」
橋本が去ろうとする俺になにか固いものを突き付ける。……拳銃だった。彼が今どんな世界にいるか、俺は気づいた。
「三田村。……いやミタムー。掘ろう? カプセル」
「えええ?」
「まあとりあえず学校まで行こう」
俺たちは母校までの暗い道のりを歩き始めた。奴はいまだにジャケットで隠しながら俺に銃を突き付けてる。
「いたるところコインパーキングだらけになっちまったなあ……」
「……橋本。これなんなんだ? 整理できないんだが」
「だよな。実は、組の金を使い込んじゃってね。大至急なんとかしないといけないとオヤジにバレちまう」
「それとタイムカプセルが繋がらない」
「……俺さ、あれに何入れたと思う? ……ドットマンキャラメルのシール」
「……まさか」
「そう、カブトエンペラー3世! あれをユーチューバーTAKIYAに送れば2000万だぞ?」
俺は呆然とする。
「……俺を誘った理由は?」
「お前も今正直金に困ってるだろう? 山分けしようぜ」
彼をじっと見つめる。
「お前がパチンコ中毒でかなり闇金から借りてること、わかってんだよ」
「そこまで調べてんのか……やめとけよ」
「そういうわけにゃいかねんだよ!」
銃口がさらに強く押し付けられる。彼は本気のようだ。
「わかったわかった、山分けなんだな?」
「約束する」
「とりあえず銃は離せ」
「OK、OK」
橋本は笑いながら銃を離した。
「信頼してるぜ、ミタムー」
「なんで一人で掘ろうとしない?」
気になっていたことを尋ねる。
「この作業、一人じゃ難しそうでね」
「というと?」
「あそこだ」
橋本が指さした先を見ると、小学校に民家が隣接して建っていた。
「タイムカプセルは、あそこの庭だ」
「……そういうことか」
「少子化で市が学校の敷地を一部売却してさ、あそこに家が建っちゃんたんだよ」
「タイムカプセルも掘り起こされちゃったんじゃないか?」
「それがな、見てみろ」
俺は橋本に言われたまま壁の隙間から庭を覗いた。そこに柿の木があった。
「あの柿の木が残ってるってことは、俺たちが根本に埋めたカプセルもきっと無事だ」
橋本は柿の木を笑いながら見つめている。なるほど、これは一人では無理そうだ。かなり危ない橋ではある。だが、俺の選択は決まっていた……。
× × ×
夫の死後、私はクイズ大会に出なくなった。なぜならもうたいていの問題はわかるようになってしまい、つまらなくなったからだ。三択問題だと正しい選択肢が光って見えるし、イントロ問題は瞬間的に歌手が視界に現れるようになった。
答えはいつも目の前にあったのだ。
応援してくれたテレビ界や出版界の人たちはクイズ界を引退した私を糾弾した。私はいろんな大会で出場禁止になってしまった。今ではもう過去の人というわけだ……。
テレビでは恋愛ドラマをやっていた。思えば味気ない人生を送ってしまったと思う。夫以外のほとんど恋愛経験はほとんどない。夫の死後、足を悪くしたときに、ものすごく優しくしてくれたイケメンの青年がいたが、……もういい、彼のことはあまり思い出したくない。
今日はもう遅い。疲れきった私はテレビを消し、ハーブティーのカップを口元に運ぶ。そのとき、なにか庭で影のようなものが動いた気がした。私はカップをテーブルに置き、立ち上がった。静けさが漂う。
窓に近づく。庭には特に不審なものはない。気のせいか?
「おとなしくしろ!」
柱の陰から現れただれかに私は口を押さえつけられる。すぐに覆面をした二人の男に手足を縛られ猿ぐつわもされ、私は椅子に座らされる。強盗か?
「ミタムー、リュックからスコップをとりだしてくれ」
「わかった……あれ? 橋本、これシャベルだぞ?」
「はあ? それスコップじゃん」
彼らは私の前で名前を言い合ってる。偽名だろうか? それとも私は口封じで殺される前提なのか? ……あるいは残念な人たちなのだろうか?
「大きい方がスコップで小さい方がシャベルだろうがよ?」
橋本という男が呆れている。
むろん私は正解を知っているが、言わない。というか言えない。
「何言ってんだお前逆だろう? ……待て。スマホで調べる」
「おう」
三田村がスマホの文章を読み上げる。
「出てきたぞ……『東日本では大きい方を「スコップ」小さいほうを「シャベル」と呼ぶ人が多い。西日本ではその逆の人が多い。だがJIS規格では厳密には「足をかけるところがあるほうがシャベル、ないものがスコップ」と区別されるとのこと』」
「……おおお」
二人は納得していた。やはり残念な人たちらしい。お互いの呼び名のことに気づかなければいいのだが……。
「……とりあえずそういうことだ」
ミタムーが言う。
「……掘るぞ」
「……うん」
二人の男は庭に降りていった。二人はスコップではなくシャベルで柿の木の根元を掘っていく……。
ガツンと、金属がかち合う音がした。
「お、あったあった!」
橋本が嬌声をあげる。
彼らがなにか手で抱えるぐらいのカプセル状のものを掘り出していく。
「雨が降ってきやがった。家の中にあげるぜ」
ミタムーがその物体の土を払いながら言う。
「よいしょ!」
二人は庭の泥がついた靴でカーペットに上がった。ふざけるな!と言おうとしたが猿ぐつわのせいでウーウーという喚きにしかならなかった。
「ミタムー、そのババアを脅しとけ。この銃を向けるだけでいいわ」
ミタムーが橋本から渡された銃をこちらに向ける。私は縮こまった。撃たれたくはない。昔から痛いのは嫌いだ。橋本がテーブルの上にカプセルを置く。ダイヤルを回して開ける錠らしい。
「たしかこれは富士山のようにみななろう、で3776だったな……よし、開いたぞ。……(笑顔で)おお! これだよ! ミタムー! カブトエンペラー3世!これ!」
「橋本、カプセルをもう閉じろ」
「え?」
「目的のものは見つかったろ」
「お、おう……ん? なんだこの紙……?」
橋本がなにかが書いてあるノートの切れ端をカプセルの中から持ち上げ、読み上げた。
「藤村くんは、ホームから飛び降りたんじゃありません。僕が後ろから突き落としました。6年3組……三田村昇……」
橋本はおそるおそる相棒を見振り返った。それはミタムーが銃口を彼に向けるのと同時だった。
「チッ」
ミタムーが舌打ちした。
「……おまえがやったのか?」
「……ああ」
「なんで? おまえ藤村と仲よかったじゃん」
「……だから、あいつのいやなとこも見えた」
「原因は?」
「くだらない口論だったよ。おまえは私立に行けるとか行けないとかその程度の」
「マジか」
ミタムーは銃を下ろそうとしない。
「……だからやめとけって言ったんだよ」
「金のために手伝ったわけじゃないんだな?」
「おまえがこれを知るかもしれないからついて来たんだよ」
彼の目は据わっている。
「知ったって、いいじゃねえか。第一時効だよ」
「殺人の時効は2010年に廃止されたよ」
「俺は誰にも言わねえから! そもそもなんでこんなものを入れたんだよ!」
「あの頃の俺に自白の勇気はなかった。でも時効のことは知ってた。だから時効になった頃に明らかになるよう、入れといた……。そうすれば俺に万一のことがあっても真実を皆知ることができるから。……でも時効が廃止になったから最近はずっとタイムカプセルが掘り起こされる時、このメモをどう人目に触れさせないようにするか、考えあぐねてた。(苦笑)大人になったら、子供の頃より臆病になってるとは思わなかったよ」
橋本は見るからに焦っていた。
「……なあ、俺はこのことをだれにも言わねえ。言うわけないだろ、なあ」
「……いや、おまえがこれをネタに今後ゆすってこないとも限らん……だろ?」
銃声が響いた。橋本がスローモーションで崩れるように床に倒れていく。そして、ミタムーは今度は私に銃口を向けた。彼は、自分を落ち着かせるためか机の上のカップを持ち上げ、ハーブティーを飲み干した。それは私が飲もうとしていたものだった。
「正直、混乱してます。私は目撃者のあなたも撃つべきなんですかね? ……いや、こういうのをあなたに聞くのも変っちゃ変ですよね……」
私はうなずく。
「いやあ……なんか今夜いろいろあって、俺もいっぱいいっぱいなんですわ。……ん?……あれ?……え?」
彼は落ち着かない様子だ。この人は本質的には悪い人ではないと私は感じていた。私は彼に同情すらしていた。気の毒に。ミタムーが自分の喉元に手を当てる。
「え……え、そういうこと? そういうことなの?」
彼は痙攣し、戸惑った表情のまま、椅子から崩れ落ちていった。銃が床に転がる音が響く。
× × ×
……数時間かけて自分の縄を切るのは大変だった。一応、穴の中の男たちには土をかけておいた。人生最後の日ぐらいは庭を含めて少しでも小綺麗な家にしたい。
足元の少し盛り上がった庭土を見降ろし、私はため息をついた。
正直悪かった、ミタムー。まさか毒が入っていたとは思わなかったろう。
……自分の生涯を閉じようとした日にこんな客たちが来るとは。後世の人々はこの土の下に眠る二人を見つけて、なにが起きたと思うだろうか? わかるわけがない。私もよくわからないんだから。とんだタイムカプセルである。
これは未来への出題だ。今までおびただしい謎を解いてきた。人生の最後ぐらい、謎を出す側になるのも悪くない。
私は台所に向かった。足を悪くしたときに介護してくれたボランティアの青年は、とんでもない奴だった。恐ろしく、相手をコントロールする技術を持っていた。早い話が数十歳年下の彼が自分を愛していると私は思い込まされた。実家の町工場が倒産しそうだという彼が可愛そうになり私は借金までして数千万を工面し、渡した。彼はそのままドロン。
この家はもう売却し、来月から他人が住む。それで一応借金はほぼ返せたが、手元にはなにも残っていない。蓄えはゼロになってしまった。
皮肉なことだ。クイズ女王だった私も、このような自分の未来を予想できなかった。
椅子に腰かける。
作り直した薬品入りのハーブティーのカップを口元に近づけたそのとき。……私の中で司会者が言った。
「では最終問題です! あなたの選択は正しいですか?」
私はとりあえずカップをテーブルに置いた。……そして微笑んだ。
答えはいつものように目の前にあった。
……二千万円のシールという答えが。
(了)
最終問題 春井環二 @kanji_harui
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