美味しければいいってもんじゃない〜料理下手女子のためのおうちカフェスイーツレシピ!

蜜柑桜

恋する女子のチーズケーキ

 二月。女子は心ときめき、男子は(複数の意味で)心震わせる季節である。デパートでは、普段スイーツ店がひしめく地下フロアでお正月にかこつけた抹茶その他の和スイーツが追いやられて売り場一帯がショコラ味にほぼジャックされるばかりか、上階の催事場までショコラ祭りに支配される。製菓用品売り場には和菓子材料の棚の商品が種類豊富なチョコレートに置き換わり、コンビニにはスイーツコーナーからレジ前にまでちょっと手を出しそうなお値段のチョコが「買って」と言わんばかりに並び、さらには文房具や雑貨までチョコレートモチーフが続々と。

 彼氏のいる女子は良かろう。誰それ君にこういうチョコレートをあげるの、あそこの試食行かない? とキャンパス内でも楽しそうである。

 悲しきかな、嘉穂には縁遠い世界である。

 毎年友チョコとかいうもので楽しみを得ていただけである。異性に献呈するチョコレートなど父と兄宛てぐらいのものだ。だがクラスに配るショコラマフィンを知らぬ間に犠牲にされた恨みは忘れまじ。そんな苦い思い出すらある例の季節。

 だが今年はそんな嘉穂の元へ、涙を浮かべて助けを請い、無理矢理にでもキラッキラな世界へ引き込もおうとする輩がいた。


 ***


「嘉穂お願い! 一生のお願い!!」

「美澄は一体何回輪廻転生してるわけ?」

 大学に入ってすぐに意気投合した友人、美澄が久々の授業で会うや否や、手を合わせて嘉穂に拝んだ。

「でも嘉穂が一番頼りになるの! っていうか嘉穂しかいない!」

「だから何が」

「あのね、今度ね、二月でしょ。今年こそは、って思ってるんだけどもう種類がありすぎて……」

 ここまで聞けば美澄の言いたいことは大体わかる。この季節である。そして自分が人に頼られるとなると一つくらいしか思い浮かばない。

 嘉穂にはもう先が読めたが、美澄はまだ同じ姿勢で頭を下げたまま続けている。

「どれが一番成功しそうかもわかんないし……っていうか私が作ったら廃棄物行きに」

 どうも美澄は彼氏ができて長いというのにいつまでも純なのである。そこが女子から見ても可愛いから仕方ない。嘉穂はため息をついた。

「はぁ……もう、しょーがないなぁ。で、バレンタインチョコあげるのはいつなの? 一緒に作るよ」

「ほんとう!?」

 美澄は目を輝かせると、がば、と嘉穂に抱きついた。

「ありがとー! 嘉穂様これだから男前っ! 超カッコいい! 愛してる!!」

「ちょっと待ってそれ嬉しくない」

 抱きつかれるのは結構だが、どこか遠いところを眺めたくなる気分である。私も誰かに抱きついてみたいんだけど。


 ***


 午前で授業が終わる日、バレンタインの予行練習と美澄が嘉穂の家にやってきた。鞄からメモとペンを座卓の上に取り出す。

「それで、何作ることにしたの?」

 今回は嘉穂の方で美澄におすすめのレシピを決めることになっていた。なんと彼氏はお菓子ならチョコでなくてもいいと言う。まずは試作である。材料はあらかじめ嘉穂の方で買ってあった。

「やっぱり料理下手でお菓子作りって言ったらゼリーとか? フルーツがごろんて入ってたりしたら可愛いよね。もしくはババロアとか。ちょっと調べてみたけど砂糖とクリーム泡立てて混ぜて冷やすだけでしょ」

 美澄は期待のこもった目で嘉穂を見る。そのキラキラ分けてほしい。羨ましいなぁと思いつつ、嘉穂は美澄の期待をバッサリ切った。今日の指導者はアメとムチ使い分け教官嘉穂である。

「ダメ。混ぜて冷やすだけがどれだけ大変か分かってるの?」

「へ?」

 美澄がきょとんとするのはわかる。巷ではそう言われている。しかし違う。

「混ぜて冷やすを甘く見ちゃダメなのよ。よく楽ちんレシピとか言って『混ぜて冷やすだけ』って言うけど、ゼラチンが完全に溶けて均等に行き渡った状態で冷えるのがどれだけ難しいと思ってるのか」

 ついでに言えば生クリームの泡立て加減も初心者の場合間違える可能性がある。固くなりすぎてはなめらかな仕上がりにならないし、緩すぎてもいけない。「混ぜて冷やすだけ」は温度と加減をぎりぎりで見極めねばならない戦いなのである。

 アテが外れて美澄は残念そうな顔をしたが、すぐにパッと顔を輝かせた。

「じゃあマフィンだ! あれも初心者向けでよく見るよね!」

 だが嘉穂は首を振る。

「その初心者向けが罠なのよ。ベーキングパウダーの力を過信してはいけない。きっちり計らないと膨らまないし、多すぎたら膨らんだとしても苦くなっちゃう。しかもベーキングパウダー投入後に混ぜすぎたら生地なんてサクサクから遠ざかっちゃう」

 マフィンは粉を入れたら切るように混ぜるとかいうが上手くやらないと均等に混ざらず、焼きあがれば片側だけ膨らんでましたなんてことはよくある失敗だ。もっとも具合の良いところを見極めてやらねばならない。手間をかけすぎてはいけないのだが、ニグレクトでもいけないのだ。

「じゃあクッキーとか……」

「クッキーは油分と混ぜるのに力もいるし、美澄自分のオーブン、何回使ったことある?」

 クッキー生地はオーブンの種類によって時間調節が必要であり、自宅のオーブンの癖に慣れていない初心者は焦げるか生焼けになりかねない。オーブンと睨み合いの一騎討ちである。

 自案を出し切ってしまうのだろう。美澄は見るからにしょんぼりとつぶやいた。

「じゃあどうすればいいのよう……市販品しかないのかなぁ……」

 見ているだけで可愛い。ずるい。対する嘉穂にそれは真似できないため、ここは安心させねばと断言する。

「チーズケーキ」

「へ?」

「チーズケーキ。さっ作るよ!」

 ぱん、と座卓を叩いて立ち上がり、つられて立ち上がる美澄をキッチンへ誘って、嘉穂はエプソンをぎゅっと絞める。ステンレス台に並ぶは常温に戻したクリームチーズに卵など。

 オーブンセット、予熱開始。

「初心者である程度あっと言わせたいならチーズケーキがぴったりだよ」

 ボールを二つ取り出し調理開始。見本と真似用、材料は全て二等分。クリームチーズに砂糖を投入。美澄に片方のボールと泡立て器を押しつけた。

「ベイクド・チーズケーキならレアと違って固まらないって心配もないし、膨らむ必要も皆無だよ。ボトムがあったらそりゃ豪華だけど、スポンジやクッキーなしでも十分」

 チーズと砂糖をよく混ぜて、ざらつきが消えたら援軍を。

「何? 生クリーム入れるとか?」

「それもいいけどコスパが悪い。安くヘルシーにならこっちだね」

 取り出したるはギリシャヨーグルト。水切り不要の名選手。クリームがゆらゆら揺れてきたら、そこにぱしゃんと卵を投入。

「溶き卵じゃなくてそのままでいいよ。全体混ざっちゃえばそれでOK」

 ぐるぐるぐるぐる二、三分。真白が次第にお月様色になり蛍光灯の下、つやつや光る。小麦粉ひと匙ふるい入れて、さてケーキ型はすでに準備万端。中身が来るのを待っています。

「後は焼くだけ? これで終わり?」

「いえいえ、そう急いてはいけません」

 このまま型に行くのもいいけれど、やはり乙女に肩入れしたい。援軍が来るのは冷凍庫から。ミックスベリーの袋を取り出し黄白色の中へ好きなだけ。描かれる線は、紅と紫、をとめを彩る鮮やかさ。

「混ぜすぎないでね、黄色も残して」

 混ざり合うのは控えめに。大理石の如く美しく。お待ちいただきました型に投入、そのままオーブン、お湯を張ったら二十分!

「え、これで終わり?」

「まさかちょっと色付けするよ」

 洗い物まで済ませてしまえば待つこと残り十分弱。まだまだここでは終わりません。カフェ嘉穂の名が廃ります。

 季節は乙女のバレンタイン。男子の期待が募るバレンタイン。

 期待に応えるのがやはりいい女ってものでしょう!

 オーブンが鳴いたら焼成終了。取り出したケーキはじっくり冷やして、我慢できるのもいい女。

「せっかくだからデコレーションだよ」

 ケーキの表面にはベリージャムを塗って、こちらにもお待ちいただきます。そしてお出ましいただくは金銀のアラザン、そしてホワイトチョコレート。乾いたまな板で細かく刻んで、サラサラの粉に変身を。

 アラザンと混ぜて冷やしたケーキへ高く上から振りかければ、さながら冬の雪原に。

「はい、ミックスベリーホワイトチーズケーキ、出来上がり!」

「うわっ何これ豪華!」

「ふっふっふ。バレンタインにただのチーズケーキなんてそんなのつまんないでしょ〜」

 驚いてくれたら成功の証拠。わざとにやっと笑ってみせる。

「これなら一人で作れるでしょう? 男の子にもボリューム十分だし」

 ケーキに釘付けになる美澄に満足すると、美澄はまたいきなり嘉穂に抱きついた。

「やだもう嘉穂好き! 結婚して!」

「美澄、それ言う相手間違ってる」

「だってもうこんなのパッと作れるなんて私ならお嫁さんにしたい!」

 大感動でそう言われると、嬉しいのだけれど複雑である。なんせそう言ってもらいたい子に自分はあげる勇気がない。

 はしゃぐ美澄を見ていると、可愛いっていいなと思ってしまう。

 女の子がこれだけ喜んでくれるなら、もしかしてあの子もそうなのかな?


 ご飯もお菓子も、美味しければいいってもんじゃない。

 ほっこり満たす何かが欲しい。

 難しいことなんてきっといらない。でも、ちょっとの配慮で気持ちは変わるのです。


 だって、料理じゃなくてもそうでしょう?


 ——Happy Valentine!

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