04.マリアンヌのステージ
皿洗いを終えて、琴音は保健室で杏野を待った。
「先生、遅いな……」
まだ来ないのなら、マグカップを戻してしまおうか。シンクに置いたマグカップを手に取り、ここかな、と引き戸を開ける。
「――うわっ、何、これ……」
そこで見てしまった。ぼろぼろの人形数体が、しまわれているのを。
どれも白い人形で、粘土でできているように見える。関節が動くようにできているそれは、最初こそ、美しい姿をしていたのかもしれないが、いまは気味が悪い。
杏野の趣味だろうか。怪訝に思っていると、不意に、優しい音楽が耳をくすぐった。
これは先程も聞いた音楽だ――マリアンヌのショーの音楽だ。
けれどもそれはおかしいと、気付く。
先程、五時になったばかりではないか。
思わず琴音は廊下に出た。昇降口まで行けば、確かにあのからくり時計が作動していた。マリアンヌが踊っている。文字盤を見れば、狂ったかのように針がぐるぐると回っている。
「……もしかして、この時計、壊れちゃってるの?」
綺麗な時計なのに、もったいないと思う。そうして改めて見た時に、気が付いた。
マリアンヌの右隣には、人形がもう一体いた。けれども左隣には誰もいない――欠けている。
はっとして琴音が思い出したのは、先程保健室で見つけた人形だった。もしかして杏野は、これを補おうとして、新しい人形を作ろうとしていたのだろうか。
「助けて……助けて……」
どこからともなく、声が聞こえる。ひどく弱々しい声だった。
聞き覚えのある声。マリアンヌの隣の人形に、琴音の目が留まる。
「助けて……琴音……」
「ゆう、な……?」
その人形は、涙を流しながら踊っていた。顔立ちは――夕奈によく似ていた。
泣きながらも踊り続ける、親友に似た人形は、ひどく気味が悪く、冷気が足に絡みついた。
「これって、どういうこと……」
何かがおかしかった。何かが狂っているように思えた。文字盤では針が回り続けている。そして夕奈人形も、それしかできないと言うように踊り続けている――マリアンヌが消えているにもかかわらず。
「――アナタモ踊リマショウ!」
突然背後に、氷のように冷たい存在がのしかかった。白い手が、首に抱き付くように回される。
「人ガ足リナイノ!」
その手はするすると肩から腕へ流れ、琴音の両手を掴む。血液が凍ってしまいそうなほどに冷たい手だった。
「デモコレデ、全員ソロッタワ!」
可愛らしい声が、耳元で歓喜を囁く。
「琴音……逃げて……逃げて……」
夕奈の声がする。しかし琴音は動けなかった。首を回すこともできない。
背後の人物が顔を覗き込んでくる。
「アナタ、踊ルノハ下手ソウネ。デモ大丈夫! スグニ踊レルヨウニナルワ!」
可愛らしく、美しい少女の顔だった。
あのからくり時計で踊っていた、マリアンヌ。美しい表情は、もはや恐ろしいほどに整っていて、まるで口が裂けたかのように彼女は笑っていた。
こきっ、と奇妙な音がした。
琴音の瞳孔が驚きに大きく開く。音がしたのは足の方。
――足は白く染まって、変な方向に曲がっていた。
こきっ、こきっ、こきっ。
まるで関節人形になったかのように足は折れ曲がり、腕も折れ始める。首すらもあり得ない方向に曲がって、それでも琴音は息をしていた。痛みは一つもなかった。
ただ自分の身体に起きている異変に、喉を震わせた。ところが声はもう出ず、あたかも丸め込まれるかのように小さく折りたたまれていった。
マリアンヌは楽しそうに笑っていた。ついに握れるほどに小さくなってしまった琴音を両手で抱きしめて。
* * *
杏野が荷物を持って玄関口へ向かうと、仕掛け時計が作動していた。
マリアンヌが楽しそうに踊っている。その左右に並ぶのは、夕奈に似た人形と――琴音に似た人形。
「マリアンヌ、琴音さんのこと、気に入ったのね!」
美しい踊りに、杏野は目を輝かせる。
「ごめんなさいね、新しいお友達をすぐに用意してあげられなくて……でもこれで、よかったわ! 素敵ね、マリアンヌ!」
と、その瞳は、マリアンヌの左右の二人に向けられる。
「二人もよかったわね、これで一緒よ……壊れるまでだけど」
昇降口から、一つの影が外に出て行く。
――助けて、助けて、という声を残して。
舞台が閉じていく。マリアンヌとその左右の二人は、暗闇の中に呑まれてしまった。
【マリアンヌのステージ 終】
マリアンヌのステージ ひゐ(宵々屋) @yoiyoiya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます