作者様もあらすじ欄で述べているとおり、この作品は確かに一話あたりの文量は多めだし、ほぼシリアス展開で速読非推奨だ。隙間時間で読むのは難しいかもしれない。
しかし、それがなんだというのか。それは裏を返せば、じっくりと物語の世界に没頭できる、浸れるということ。それを推奨・保証しているということでもある。
この物語は、葛藤の物語だと思う。
いわゆる『転生もの』で、主人公が神がかり的他を寄せ付けない力を得るという設定は、ともすればどこか大味になってしまいがちに思うが、この作品はそんな大味さは微塵も感じさせない。
圧倒的すぎる力を行使することへの葛藤。現代世界から異世界へ転生(作中では転写と表現)したことによるギャップや、価値観の相違。そういったものをシリアスに描いている。
だが、シリアスな中にも、ほっこりしたり、微笑ましい様子が挿入されたり、見せ方が巧みだ。ただ、シリアスなだけではない。
アキラの目を通して、私たち読者は作中世界をとてもリアルに体感することができる。それは、作者様がじっくりと世界を構築し、登場人物の性格や言動を魅力的かつ丁寧に描写しているからだ。それを《隙間時間》で《速読》などできるわけがないのである。
『突然異世界に飛ばされた』
『目の前で人が死んだら、しかも惨たらしく苦しみながら死ぬ様を見せつけられたら』
といった世界のありようにかかる大きな葛藤から
『トイレットペーパーがない』
『シャワーの概念がない』
といった細かな生活様式の違い、そこから産まれる葛藤まで、実に丁寧に描いている。
さらに、もともと男性であるにも関わらず少女の身体に魂を宿してしまったアキラの葛藤。同じ転生者(作中では《神御子》)であるリュドミラやクロウエモンと共有できるものとできないもの。異世界の原住民たちとの関わり。そこから産まれる、やはり葛藤。そういった内面や人間関係の描写もまた、実にリアルだ。
そして、リアルなのはなにも世界の表面や人物の内面の描写だけではない。
この世界では当たり前となっている《害獣》や魔法のような力《導心力》や《神気》の設定など、私たち読者が暮らす世界とは異なる世界の作り込みがとても深い。読者は、たちまちアキラたちのいる作品世界に引き込まれてしまうことだろう。
そして、見目麗しい最強の巫女姫に感情を揺さぶられてしまうのだ。
隙間時間で読めないから。速読できないから。そんなチンケな理由でこの作品を敬遠しているのだとしたら実にもったいない。
現実世界とは違う、不思議な異世界に入り込みたい人には、もちろん、そうでない人にも自信を持ってお勧めできる作品だ。いや、お薦めしたい作品だ。
試合中に一撃を食らい、異世界に転生することになった格闘家の男性、輝(あきら)。
転生先の世界は超自然的力が存在し、権力を握っているのは宗教家。また、人を食らう恐ろしい獣、「害獣」が人びとを脅かしている。
同じくこの世界に転生した乳兄弟のようなリュドミラとともに、ふたりは、善良な育ての親や信頼できる先駆者に温かく見守られながら、手紙も検閲を受けるような環境で来るべき日に備えて修練を積む。
もともと異世界から転生した者は特殊で優れた能力を持つが、その実力を対外的に認められたアキラとリュドミラは、まずは討伐隊の後方支援という形で、城塞内の籠の鳥状態から一歩を踏み出す。そして、さまざまな人と出会い関わり、経験し、そして世界を知っていく──そんなストーリーが、ややシニカルでペダンチックな文調で進んでいきます。そういう雰囲気が好きな方にはたまらないでしょう。
魅力的なのは、何と言っても主人公のアキラ。
彼女はもとは成人男性だったのに、転生後は大きな瞳と栗毛色のくせっ毛の麗しい美少女。しかしその武器はやはり己が拳。つよい(確信)。
一方その内面は真面目で思慮深く、格闘家であったのが信じられないほどセンシティブ。そのせいか、元もとの性と現在の性が違うことによる戸惑いは大きいよう。強さと繊細さのギャップに心ゆくまで悶えましょう。アキラのことを親愛を込めて「アケイラ」と愛称で呼ぶ、リュドミラとのやり取りは必見。
ファンタジー界隈はすでに設定というようなものは出尽くしていますが、こちらの作品はそのさまざまな要素を詰め込んだ、欲張りな設定です。欲張りな分、特殊な用語も多いので読者がそれを把握するのはすこし大変かもしれません。
異世界ファンタジーは現代ジャンルと違い、世界の前提や枠組を読者と共有しなければならないという命題がありますが、一人称で進めると読者が全体像をつかみにくくなり、難しい面があります。ましてや政治機構のようなものに触れると、字数がかさむうえに読者が余計おいてけぼりになりやすい。このような難題に果敢に挑まれている作者さんに敬意を表します。
どうか、作りこんだ魅力的なキャラを全面に押し出してぐっと読者を引き込み、「世界のことはよく分かんないけど、とにかくアキラを見たい」状態を作りだし、完結まで突っ走ってもらいたいと思います。(5.8 Déjà vuまで読了)