(5.5): 吸血少女の独考


ボクが手刀を落とすと、メイヤの身体は簡単に崩れ落ちた。

机の上にうつぶせに突っ伏している。意識を失っているようだ。


「やっぱ、人間なんだね……」


ボクはその姿を見て、改めて種族の違いを感じた。

いくらボクが吸血したとてメイヤは元は人だ。そして、人の身体は、儚くひどく脆い。

だからボクの簡単な手刀でも簡単に気絶する。

それはどう頑張ったとて、どうしようもないことだ。

生来の種族的な体の頑強さの差異は埋めるのには限界がある。


「いや、それは外的部分以外もだな……」


むしろ内的部分の差異、あるいは意識差の方が根深いと言えるかもしれない。

有史以来、あるいは有史以前から人間とボクたち吸血鬼はお互いに敵でしかなく、共栄対象ではない。

両種族ともお互いのことを考えるときは、いかに相手を駆逐するか、いかに相手を迫害するか、いかに相手を蹂躙するか、いかに相手を凌辱するか……、そんなことを100%の害意をもって思考する。

故に、顔を合わせたときにあるものは明確な敵意、怯え、そして拒絶。

そこには、『この人間はいい人だ』『この吸血鬼とは仲良くできる』といった判断に思い至る余地などない。

ボクたちはお互いがお互いを個ではなく、種でしか見れないのだ。

そのため、ボクたちは永遠に仲良くはできない。むき出しの刃のみでしか語ることを許されてこなかった。

これは今までの旅路で散々、痛感したことだった。


それなのに――。


チラリとメイヤの顔が脳裏をよぎる。


しかし刹那、大きくかぶりを振り。


「ボクは、期待してはいけないんだ……」


言い聞かせるように強く呟いた。


いつの間にかボクはメイヤは普通の人間とは違うものだと思い込んでいた。

ボクはメイヤとなら仲良くできるかもしれないのだと考えていた。

事実、ボクが吸血鬼だと明かしてからの数時間はとても楽しかった。

生きてきた中で、一番といえるほどだ。この瞬間が長く長く続いてほしいと心より願った。

でも同時に、『今はまだ、メイヤが知らないだけじゃないのか』っていう不安も脳内に残り続けていた。

何故なら、メイヤはスラム出身だ。だったらどう、というわけじゃないけど、吸血鬼に対しての知識も薄いんだと思う。

だから、ボクが吸血鬼だと知っても嫌がりも怖がりもしなかった。

だけど、これから吸血鬼に対しての知識が増えていったらどうなるかわからない……。


そこまで考えて。


「いや、本当に怖いのはメイヤ自身の問題じゃないな……」


一度、自分の考えを否定した。今のは、表向きの上部の理屈だ。


知らず知らず、さも正しいことのように、自分のためを主張していたけど、本質は違う。

本質は、メイヤが傷つくのが、メイヤを傷つけるのが怖いっていう、ただのエゴだ。


さっき言ったことと真逆だけど多分、本当はメイヤにはある程度の教養があるんだと思う。

名付け親のおかげなのかもしれないしわからないけど、メイヤとの会話には言葉の端々に知性を感じた。

話し方にも論理性や、整合性が見て取れる。

だから、おそらくメイヤは吸血鬼に対しても正確な理解をしていると思う。

そのうえで、吸血鬼であるボクに好意的に接してきてくれた。

きっとこれからも、同じように好意的に接してきてくれるだろう。

‶旅についていきたい〟そう言ってくれた時は嬉しかったし、荒んだ心が癒された。

ボクも一緒に旅をしたかった。これからもメイヤと一緒にいたかった。


「……でも、だから、ダメだな」


一緒にいたいと思えるからこそ、メイヤと一緒に旅をするだとか期待をしてはいけなかった。


先ほども言ったように、この世界の種の対立意識は根深い。

そして、過激だ。

今までの旅で、人間たちの街に行ったときは幾度となく迫害された。

これからもそれが続くだろう。

そういった中で、一緒に旅をしてしまえばメイヤも危険に巻き込まれるだろう。

敵意の視線にも晒されてしまうだろう。

だけど、そんなものを浴びるのは、ボクだけでいい。

むしろボクはいいけど、メイヤは絶対にダメだ。

ここは譲れない。

まあ、完全にボクのエゴなんだけどね。

でも、実際問題、メイヤが普段ボクが受けているような扱いを受けたら、きっとすぐに大けがを負ってしまう。

もしかしたら死んでしまうかもしれない。

だって、人間の身体は脆いから。


そして何より、メイヤが人から敵だと認識されるというのは、つまり同族内にも居場所を失うことになる。

当然、吸血鬼たちにも受け入れられるはずもないから、実質、居場所を失うこととなる。

どこにも帰れないし、なんどきも心を許せない。

常に、周囲を警戒し、なにかと戦い続けないといけなくなる。

ボクはメイヤをそんな目に遭わせるわけにはいかない。

だって、それは本当につらいことだから……。


だからボクは決断をする。


「マスター、ちょっといいかい?」


ボクはマスターと思しき初老の女性に声をかけた。


「はい、お客様。いかがしましたか?」


マスターは柔和な笑みを向けてきた。


「あのさ、ボク、用事があるんだけださ。ほら、ご覧のとおり連れが寝ちゃってさ」


テーブルに突っ伏しているメイヤを指さす。


「お会計に上乗せしておくから、起きるまで面倒を見といてくれないかな?」


「はい。かしこまりました」


マスターは楚々とした態度で首肯した。


うん、この人なら信頼できそうだ。安心した。

故に、ならばと欲をかく。


「あ、それとさ、もしよければなんだけど、連れのこの子をここで雇ってくれないかな?」


ボクは頼んでみた。


「こちらの方を、でしょうか?」


マスターは怪訝そうだ。


「うん、そう! この子」


「……かしこまりました。前向きに検討させていただきます」


マスターは一度困ったような顔をして、そう答えた。


「フフ、雇う、とは言わないんだね」


「すいません、こちらも商いなもので」


「いいよいいよ、無理は承知だからね。ま、気が向いたら雇ってやってくれよ」


「かしこまりました」


雇ってくれるといいんだけどな……。


「じゃあ、お会計お願いしてもいいかな?」


「かしこまりました」


「えっと、代金は注文した分が12セイクだから、上乗せして25セイクでいいかい?」


「ええ、申し訳ありません」


「いいっていいって、なにを申し訳なく思うんだよ」


「わかりました。ありがたく頂戴いたします」


マスターは少し恭しく一礼。


「じゃあ、この子のこと頼むよ」


「お任せください」


「うん!」


まあ、なにはともあれ信頼できそうでよかったな。


「……さて」


ボクは眠っているメイヤに近づく。

歯形の残るメイヤの首筋に手を添えた。

体温と鼓動が直に伝わってくる。

メイヤの生を実感する。

大きく深呼吸をした。


「メイヤ、短い間だったけど楽しかった、ありがとう。

 用事があるからボクはもう行くよ。嘘ついてゴメン」


起こさずに耳元で囁いた。


……うん、これでいいんだ。


自分に言い聞かせる。


『あ、ありがとう!』


不意にボクが旅に連れていくことを承諾した際の、メイヤの嬉しそうな声が想起した。

心臓が跳ねる。呼気が荒くなる。汗が吹き出てくる。


『嘘を、つくの?』


誰かの声が脳裏をよぎった。


『違う、ボクは間違ってない!』


ボクは必死に訴える。


「すうー、はー」


はやる心臓を落ち着かせるべく息を整えた。


冷静にならなきゃ……。

嘘を吐いてでも、メイヤからは離れなきゃならないのは確信的だ。

いまさら、躊躇うな。

決断したでしょ?


メイヤの横顔を眺める。


「傷つけたくないからね……」


ぽつりとつぶやく。


「メイヤ、もう死にかけたりなんかしたらダメだよ」


メイヤに囁く。

だけど、これはボクがいたら、なせないことだ。


だから。


「バイバイ」


ボクはメイヤにそう告げた。


「よいしょっと……」


努めて何でもないように、メイヤに背を向けた。

そのまま出入り口の方へ近づいていく。


一歩、また一歩と近づいていく。


扉にたどり着いた。


扉をに手をかける。


扉を開ける。


その時。


「お客様、本当によろしいので?」


マスターだった。


「よろしいって、何がだい?」


ボクは明るい声を作って応えた。



……油断ならない人なんだな。

密かにボクはため息を吐く。


「いえ、何でもありません。申し訳ありません」


マスターは引き下がった。


「そう? じゃあ、ボクはもう行くよ」


「はい。また、のご来店をお待ちしております」


もう一度、深くため息を吐く。


「うん、


ボクはそう言い残して、今度こそ本当に店を出た。

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ヴァンパイア・オブリージュヴァンパイア・オブリージュ 〜美しき〈吸血姫〉の尻拭い戦記〜 @saidaigessirui

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