(5): 覚醒と喪失
「お客様―――――起きていますか?」
そんな声が聞こえて、僕は瞼を開ける。
おぼろげな視界にまともなつくりの天井が映った。
随分と久しぶりな気がする。
最後にちゃんとした天井の下で眠ったのはいつだっけな。
多分、かなり前だと思う。
朦朧とする頭でそんなことを考えていると、スッと僕の顔に影が落ちた。
僕は視線を向ける。
「お客様、起きましたか」
それは女性の影だった。
年齢は初老に差し掛かるかどうかくらいだろう。
穏やかそうな中にも、たしかな知性を感じさせるたたずまいだ。
見覚えはない。
「あ、起きてます」
とりあえず、僕は身体を起こした。
まだ、頭ははっきりとしていない。
「よかった、起きられましたか。そろそろ閉店の時間ですのでお起こししようと思っていたところでした」
「え……っと、あなたは?」
「すいません、申し遅れました。わたくしはカフェ・アルマのマスターをいたしております、アルマ・グレイでございます」
アルマと名乗った女性は優麗なお辞儀をする。
一連の所作には一切の無駄がなく、非の打ちどころのない気品を感じた。
それにしてもここはカフェといっただろうか。
僕は周囲を見渡してみる。
なるほど、確かにそうだ。
部屋の中には十数組ほどのテーブルと机のセットが並んでいる。
客は僕以外誰もいないが机によってはコーヒーカップが残っていた。
僕が寝ているのはその中でも壁際にあるソファだった。
「あの……アルマさん、カフェって、僕カフェで寝てたんですか?」
「ええ、3時間ほど眠っておられました。」
「そうですか……」
でも、僕はなんでカフェなんかに?
たしか、スラムにはカフェなんてなかったはずだけど……。
……あれ? ここは本当にスラムなのだろうか?
僕はさっきまで何をしていた?
えっと、僕はたしか……。
情報を整理して考える。
すると、僕の頭の中に一人の少女の顔が浮かんできた。
「あ、セレス!」
そして僕は忘れていた者に気づく。
「ど、どうされました!?」
声が大きかったらしい。
アルマさんは驚いた様子で尋ねてきた。
「あ、すいません。あの、一緒いたセレス……いや、女の子ってどこですか?」
それにしても、セレスは一体どこにいるのだろうか、視界に入る限りは見えないけど……。
まったく、寝ている僕を放っておくなんて。
すると、アルマさんが
「あ、お連れの方でしたらお客様が寝てしまわれた後、お会計をされると先に行ってしまわれましたよ」
思い出したように答えた。
「え……!?」
僕は、その答えを呑み込めなかった。
「えっと、それって、どういう……」
どうして、セレスが先に……。
「なんでも、お連れ様は外せないご用事があるとかおっしゃっておりましたけど」
アルマさんは僕の狼狽した様子に困惑しながらも答えてくれた。
「そ、そうですか……」
応えた僕の声は上ずっていた。
いったいどういうことだろう……。
今、わかっている情報を整理してみる。
僕は先ほどまでしばらく寝ていた。
僕は寝る前にセレスについていきたいと言っていた。
セレスは僕がついていくことに反対していた。
それに記憶があいまいだけど、たしか僕が眠ってしまう直前、首元に軽い衝撃を感じた。
眠ってしまってる間にセレスはどこかへ行ってしまった。
そのことから推察すると……。
「やられた……」
僕は小さく声を漏らした。
つまりそういうことなのだろう。
要するに、僕はセレスに逃げられたのだ。
「あ、あの、一緒にいた女の子がどこへいったかわかりますか?」
状況を把握した僕は食い気味で尋ねた。
しかし
「いえ、申し訳ございません……。どこに行かれたかまでは……」
アルマさんが申し訳なさそうに答える。
どうやら、セレスの行方は把握していないようだった。
「そうですか……。すいません」
一体どこに行ったんだろう……。
「こちらこそ、お力になれずすいません」
「いや、そんな」
アルマさんが知らないのは仕方のないことだろう。
「あ、あの、お客様はお連れ様とどういったご関係で?」
アルマさんが尋ねてきた。
好奇というわけではなさそうだ。
「えっと……」
一方、問われた僕は口ごもる。
僕たちは一体、どういう関係なんだろう。
友達や、恋人ではないと思うけど。
協力関係? 仲間? 命の恩人……?
「すいません。答えにくかったですか。さしでがましいことをすいません」
「あ、そういうわけじゃ……。
ただ……、自分でもよく関係性が分からないっていうか……」
僕は、答えが分からなかった。
命の恩人と言ってしまったらそこまでなのだろうが、そう括ってしまうのはなぜか抵抗があった。
「そうですか」
アルマさんは含みを持たせた風だったが納得してくれた。
「「…………」」
店の中には沈黙が流れている。
……それにしても、これからどうしよう。
僕は門の中のことはまったくわからない。
困ったな……。
とはいえ、死にかけて身としてはこれからのことを考えられているのも奇跡なんだけど。
でも、困ったことには困った。
全然、どうすべきかわからない。
しかし、ここはもう閉店だろう。
長居しては邪魔になる。
とりあえず、今わかっていることは……。
僕にできることは……。
「あの、僕、連れを……セレスを探してこようと思います」
それしかないだろう。
あの吸血鬼を捕まえて、僕を置いてった理由を教えてもらわないと気が済まない。
「わかりました」
「あの、お代は……」
「お題でしたらお客様の分も、お連れ様が払っていただいてるので大丈夫ですよ」
「そ、そうですか」
よかった、ここでお題を請求されても僕は持ち合わせがなかった。
セレスがそこのところ、律儀でよかった。
はずなのに。
でも、僕はそれがセレスが勝手に出て行ってしまったことを象徴しているような気がして、複雑な気持ちだった。
「アルマさん。いろいろ、ありがとうございました」
とりあえず、僕はむきなおって、アルマさんに頭を下げる。
「ええ、こちらこそ、ご来店ありがとうございました」
アルマさんも頭を下げ返してきた。
やっぱりその所作は僕なんかとは比べ物にならないくらい奇麗だった。
僕はアルマさんのお辞儀を背中に受けて、扉へと向かう。
これからどこへ行こうか。
どこになにがあるのだろうか。
結局、どうすればいいのだろう、僕は一切わからないままだ。
でも、整理のつかないまま僕はおもむろに扉の取っ手に手をかける。
その時。
「関係性、わかるといいですね」
アルマさんがそう言ってくれた。
その言葉はなにか、目には見えない温かみがあった。
「はい、ありがとうございます」
つられて僕の顔が少し、自然とほころんでいた。
そうすると、先ほどからずっと顔が緊張していたのが分かった。
そうだ、落ち着いていかないと……。
僕は自分に言い聞かせる。
そして再度、扉の取っ手に手をかけて
「またのご来店お待ちしております」
またセレスと来よう、そう心に誓って外の街へと歩き出した。
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