第19話 「オスカル」とよばれた子
私より二年下の学年に、「オスカル」と呼ばれていた女の子がいた。小学校の登校班は違ったが、家が近所だったので顔は知っていた。ご存知ない方々のために説明すると、「オスカル」とは漫画「ベルサイユの薔薇」の主人公。将軍の娘に生まれ、女ながらもマリー・アントワネットに仕える近衛隊の隊長で、男装の麗人である。貴族の娘でありながら平民の男性を愛して、最後は民衆とともに、革命に身を投じて散って行く。宝塚歌劇団の公演を観たことがなくても、漫画が家になくても、何故か、私は「ベルばら」の大ファンだった。
だから、だろうか。その子が「オスカル」と呼ばれていることに違和感があった。彼女は、無口で何を考えているのか、わかりにくい子だった。類まれな才能で男性の隊員を従え、その一方で、弱者への思いやりがあるオスカルとは全然違う。では、何故、彼女が「オスカル」なのか?
記憶を辿ると、そもそも、彼女のことを「オスカル」と呼びだしたのは母親達だった。彼女のボーイッシュな短髪とズボン姿が原因だったと思う。要は母親達は彼女の外見しか見ていなかったのだ。
「いくらなんでも、中学校に行ったら制服なんだし、スカートをはくんじゃないかしらね。」
と、母親が言っていた。
私が中学三年生の時、彼女は同じ中学校の一年生になった。夏休みといえば、ワークブックやプリントの宿題をだす先生が多いなか、彼女の学年の理科の先生が、結晶か小動物の標本を作る課題をだした。他の生徒は薬局でホウ酸などを買い結晶を作ったのだが、彼女一人がカエルの標本を作った。一年生の理科の課題の成果はその年の文化祭で展示された。不揃いの結晶のなかで、彼女のカエルの標本は人目をひいた。
「やっぱり、オスカルよね。お父さんと池でカエルを捕まえて、庭に鍋を出してカエルをゆがいて、身をとって標本にしたんだって。すごい臭いがしたそうよ。」
と、母親が噂を聞いてきた。
子供の夏休みの宿題にそこまで手をかす親もいるのだと妙に感心したのだが……
今になって、私は気がついたのだ。そもそも彼女は中学校に来ていなかったのではないか?中学校で彼女の姿を見かけたことは一度もなかった。学年が違うとはいえ、田舎のこじんまりとした中学校だった。同じ地域で、通学ルートも一緒だったはずなのに。
それからまもなく、彼女の一家は持ち家だった家を売って、引っ越して行った。今、思うのだ。母親達は彼女のことを、なんて無責任で、残酷な呼び方をしていたのだろう。おそらく、彼女は心と体の性が一致しなかったのではないか。中学校の制服でスカートをはくなど、彼女は耐えられなかったのかもしれない。田舎独特の噂好きな社会、「男の子は男らしく女の子は女らしく」という固定概念、様々なものに彼女の一家は苦しめられたのだろう。
今、彼女が、どこかで、少しでも自分らしく、生きていてくれたらと切に願う。
回想列車 簪ぴあの @kanzashipiano
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