1歩進んで、1歩下がって。そして、貴方と2歩進む。②

 王妃様とのお茶会で宮殿を訪れた私に、白いスーツ姿の男性が話しかけてきた。



 最初はね、私を怪しい者扱いしないでとても紳士的だなって思っていたの。


 でも、次の言葉で何かが違うと気づく。



『レーヴェは良いねぇ、こんなオモチャを手に入れて』



その言葉……「こんなオモチャ」が私を指していることは、すぐに理解した。



 私が未熟なのはわかってる。色々学び始めて日が浅いし、すぐ否定する性格もそうそう変わってない。異術だって、コントロールが甘いし、いまだに発動できているか謎だし。


 でも、それのせいでレーヴェ様が悪く言われるのは違うと思う。



 あの方は、人のことを「オモチャ」だなんて絶対に言わない。



「レーヴェ様は、オモチャも大切にしてくださいます。それに、あの方は人をオモチャ扱いしないです」


「本当に? 言い切れる?」


「……はい。私の好きな方を、そういうふうに言わないでください。不快です」



 怖い怖い怖い。


 でも、言いたいことは言わないと。先週の経過診察でルワール様に、自分の感情を押し殺しすぎと言われたじゃないの。ちゃんと言わないと、相手がわからないって。



 わからないけど……。


 え、気まずい。相手の顔が見れないわ。もしかして、言い過ぎた!?



 無言の時間が続く中、耐えきれなくなった私は後ろを振り向こうとした。


 けど、何故か男性の身体が小刻みに震えていることに気付く。今まで揉んでいた手も、いつのまにか止まってるわ。どうしたの? それに、なんか熱いような寒いような……。さっきまで、暖かかったのに。



 その理由は、次の瞬間に理解する。



「おい。俺の良心が生きてるうちに、ステラから手を離せ」


「僕からも全く同じことを伝えるよ、アドリアン」


「へー、これから屋敷に連れ込もうとしてたんだー。へー、そっかあ。エディは、レーヴェの婚約者を抱こうとしてたらしいよ。へー」



 その声は、レーヴェ様、ラファエル様、ルワール様のもの。かなり低いけど、多分そう。……え、そうよね。こんな声、聞いたことないわ。


 3人とも、後ろにいるってこと?



 振り向きたいけど、男性の身体が硬直してるからか全く動けない。



「そっ、そんなこと!?」


「そうだよねー。王族が女性抱いたら、そのまま結婚できるもんねー。私たちが手を出せなくなるもんねー」


「ルワール、もっと覗け。全部報告しろ」


「はいよー。あとねー」


「や、やめろ! 違うんだ、だからその剣を下ろしてくれ! あと、異術も!」


「その汚ない手を退けろ。話はそれからだ」


「王族に汚ないだと!? おい、レーヴェ。今のは聞き逃せない」


「汚ないものを汚ないと言って何が悪い? なあ、ラファエル」


「だねぇ。全面的にレーヴェを支持するよ。ね、ルワール」


「もし不敬になるなら、エディの方だね。婚約者に手を出したとなると、王族であっても追放されるし」



 よくわからないけど、レーヴェ様たちが怒ってるのだけは理解した。


 もしかして、私はここで首を切られるのかしら。不敬って言ってたものね。レーヴェ様という婚約者が居ながらこんなことをするなんて、軽率だった。



 もっと早く、はっきり「離れてください」と言えば良かったわ……。


 私は、しっとりと汗で濡れた両手を握りしめる。



 ……ん? 握り?



「ヒッ! そ、それは勘弁し「ああ!!!」」


「!?」


「!?」


「どうしました、ステラ!?」


「あの、朝から早起きして頑張って作ったクッキーを、握りつぶしてしまいました……」



 手の中に収まっているクッキーの袋に、シワがついている。パキッと乾いた音がしたから、確実に割れてしまったわ。



 今朝、ソフィーも早起きしてくれて一緒に作ったのに……。


 チョコチップに砕いたカシューナッツ、ココアパウダー入りのうさぎクッキー。全部、頑張って形を整えて作ったのに、私ったらなんてことをしてしまったの?



 自分のバカさ加減に、いつの間にか涙をボロボロと零していた。


 王妃様にお渡しする手土産が全滅してしまったこと、ソフィーとの思い出を一瞬のうちに粉々にしてしまったことで頭が真っ白になってしまう。



「ルワール、その馬鹿をどっか連れてってくれ」


「はいはい、わかりました。エディ、大人しくした方が良いよ。5体満足で居たいならね?」


「ヒッ……! ちっ、違うんだ。ただ、兄さんたちが夢中になってる子を見たかっただけで! でも、触ったら柔らかくて異力も気持ち良くて……あっ、ラフ止めろ! 冷たい冷たい冷たい! レーヴェは熱い!!!」



 王妃様にお会いできなくなっちゃった。


 さすがに何も持たずに行けるほど、無礼者ではないもの。「手ぶらで来て良い」とは言われたけど、ちゃんとマナーは弁えている。


 ソフィーになんで言えば良いのかな。……ううん、そんな時間ないわ。


 だって、レーヴェ様が剣を抜いてるんだもの。



 婚約破棄されて私は首を切られるのね。


 なんて愚かなのでしょう……。



「ステラ、大丈夫でしたか?」


「……はい。覚悟はできています」


「え?」


「思いのままに、縁も首もスパッと切ってください」


「は?」


「心残りは、レーヴェ様のピーマン嫌いを直せなかったくらいです。他は未練も何もありません。今までありがとうございました」


「ちょ、ちょ、待ってください。なんの話ですか?」


「……婚約者が居ながら、他の男性に身を任せてしまいました。それに、王妃様にお渡しするバラもクッキーもダメにしました。罪名は……なんでしょうか」


「ふはっ! ステラ嬢と話してると、仕事疲れが吹き飛ぶよ」



 いつの間にか、レーヴェ様とラファエル様だけになっていた。


 あの男性とルワール様は、どちらに行かれたのかしら。



 首を切りやすいように上を向いたのだけど、なぜかキンッと音がして剣が鞘におさめられた気がする。……なんで?


 おそるおそるそちらを向くと、やはり剣は終われていた。しかも、ラファエル様が大笑いしてるわ。



「私は、ステラが何をしようとも嫌うことはありえません。むしろ、嫌わないでください」


「でも、先程の男性が私のことをオモチャと言いました。やはり、レーヴェ様には私のようなオモチャではなくちゃんとした人間がお似合いだと思うのです」


「……ラファエル」


「何、レーヴェ。多分、同じこと思ってるだろうけど」


「あいつを殺そう。怒りがおさまらん」


「オケ。凍死? 焼死?」


「どっちもだ。2度殺すぞ」


「あ、あの……!」



 なんか、ものすごい物騒な話をしてるわ!?



 よくよく聞くと、その対象が私ではなくて先程の男性になっている気がする。


 話がうまく伝わってないのかしら。



「なんでしょうか、ステラ」


「あの、私ちゃんと言いました。レーヴェ様はオモチャも大切にしてくださると。人をオモチャ扱いもしないと。……でも、他の人から見てオモチャと思われてるので、やはり私はレーヴェ様に相応しくないのは違いないです。だから、その男性が悪いのではなく私が悪いのです」


「いいえ! ステラがオモチャなら、私もオモチャです!」


「僕もオモチャだね」


「オモチャ同士、お似合いです! なので、……なので、悲しいことを言わないでください」


「……悲しい?」



 やっぱり、うまく伝わっていない気がする。


 だって、レーヴェ様が今にも泣き出しそうな表情をしているのですもの。



 よくわからなくなった私は、手に持っていたクッキーの入った袋に視線を向けた。


 クチャッとなった手汗のついた袋が、なぜか私の心を落ち着かせてくれる。……きっと、ソフィーが見守ってくれているからかも。今日も出掛けに「私の心は、お姉様と共に居ます」と可愛いことを言われたし。



 なのに、ごめんねソフィー。


 お姉ちゃんは、こういう時逃げてしまうの。ダメだとわかっていても、誰かに見られているという恐怖はつきまとう。今まで透明人間だった私が注目される時なんて、ロクな時じゃなかったでしょう。もう大丈夫とわかっていても、やっぱり怖いの。



「はい、悲しいです。俺は、ステラと生涯を共にします。死ぬ時も一緒です。だから、貴女に拒絶されると、私は1人になってしまうのです」


「……あ」


「あの馬鹿の言った言葉は、気にしないでください。誰も、貴女をオモチャだと思っていません。……私の言葉、信じてくださいますか?」


「……はい」



 でも、その恐怖も一緒に、彼は呑み込んでくれると言ってくださった。



 隣で微笑んでくださるラファエル様も、


 定期的に診察を欠かさないルワール様も、


 今まで遠ざかっていたソフィーも、


 みんながみんな、私の存在を否定せずに見守ってくださっている。



 それが、私の中でどれだけ夢物語なのか。


 レーヴェ様はご存知なのね。だから、こうして何度も手を差し出してくださるのね。



「良かったです。では、王妃にお渡しするバラを採りに行きましょう」


「待ってて、今庭師呼んでるから。バラと一緒に、かすみ草を添えても良いんじゃない?」


「あ、ありがとうございます……」



 私は、差し出された手をギュッと掴んだ。


 いつも通り温かいそれに、波打っていた心が穏やかになる。



 多分、不安になる時間がもう少し長かったら、異力が暴走して腕が重くなってた気がするわ。すでに、ズーンッて痺れる感覚があるし。


 まだまだ、完璧にコントロールができるようになるのは先ね。



 ラファエル様が拾ってくださったバラを「持ちます」と言ったけど、「良いから良いから」と言われてしまったわ。



「クッキーは俺が食べます」


「あ、ずるい! 僕も食べたい」


「ダメです! 割れてしまいましたし……」


「割れても、味は変わりません。ステラがクッキーを作った時間も、その時の思い出も全部変わりませんよ。俺は、その思い出が詰まったクッキーが食べたいです」


「そうそう。ステラ嬢が嫌なら強制はしないけど、僕は食べたいなあ」


「……レーヴェ様、ラファエル様」



 そうよね、壊れてもソフィーと作ったあの時間は変わらない。


 粉っぽくなって水を継ぎ足して、そしたら今度はドロッとしてしまったこととか、チョコチップを練り込む場所が集中してしまって満遍なくならすのが大変だったとか。それに、つまみ食いに来たフィン様が一番大きなクッキーを食べてしまったこととか!



 ふふ、思い出すだけで楽しくなるわ。


 お2人に言われていなければ、そういう思い出も忘れてただただ悲しくなるだけだったかも。私も、お2人のように前を向けるようになりたいな。



「では、次に綺麗なクッキーをお持ちしますのでそれも召し上がってくださいますか? 割れたものだけを差し上げるのは、抵抗があります」


「はい、3食クッキーでも良いです」


「僕も僕もー! あ、ルワールにも取って置かないと、後でネチネチうるさいからよろしくね」


「ふふ、わかりました。……先ほどの男性へは」


「いらない」


「いらない」


「で、でも、お知り合いだった気がするのですが……」


「違う」


「違う」


「そ、そうですか……」



 え、お知り合いじゃなかった?


 さっき、「にいさん」って単語が聞こえてきたから、ご兄弟かなにかかと思ったのだけど……。「いち、にい、さん」とかの聞き間違いだった? 王子じゃなかったのかな。


 でも、そうだとしたらお2人ともこんな「拒絶してます」みたいな顔して否定しないよね。私の聞き間違いだわ、きっと。



 ってことは、あの男性はどなただったのかしら……。



「ステラ、花を選びに行きましょう」


「僕も行く〜」


「え、でもお仕事中では……」


「陛下の押印待ちなので、大丈夫ですよ。……ああ、そうだ。貴女を待っていたメイドには俺らが案内すると伝えてあります」


「あ、リリー様! ……すみません」


「大丈夫ですよ。あのバカの異術のせいですから」


「……ば?」



 ……やっぱり、あの男性の正体が気になるわ。でも、それを聞ける雰囲気ではない。


 なぜか、お2人とも背筋が凍るほどの冷気を発しているのよ、先ほどから。


 ラファエル様は物理的な異術だろうけど、レーヴェ様のは何? よくわからない。



 私は、そんなお2人について庭園へと歩いていった。


 その一連の流れが、私を透明人間じゃないと証明してくれる。幸せって、こういうふわふわした気持ちのことを言うのかしら。



 でも、そうね。


 やぱり、その冷気は止めてほしいわ。


 せっかくの暖かな気候が台無しになるもの。

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ある日突然透明人間になった伯爵令嬢は、国一番のイケメン騎士に溺愛される 細木あすか @sazaki_asuka

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