第3話 黒髪のカーミラ
海の側で生まれたのだとか、名付け親が特別海が好きだったとか、そういうことは全然ない。ただ、その名に宿る霊力のみを必要とされてつけられた名前だと、後になってわたしは知った。
海の青の中にありてなお藍きもの。それすなわち、
実際は、そんな名など何の意味もなかったことは言うまでもない。わたしは海もないような山の中で育ったし、海神の力なんてこれっぽっちもあてになんかしなかった。なにより、わたしには生まれながらに力があったから。
わたしは両親の顔を知らない。日々の生活が苦しかった両親はわたしを赤子の時分に魔女に売り渡した。わたしは、魔女の後継者に選ばれていた。
両親を恨む気はなかった。むしろ感謝した。わたしは魔術が好きだったし、その知識欲はとどまることを知らなかった。
あの頃が、一番幸せだったのだと今でも思う。
「海藍。いいかい? 魔術師だからと言ってそればかりでは駄目。いざという時は自分の身は自分で守らなきゃな。そのためには、体術も必要だよ」
「体術?」
「そう。拳法を教えてあげよう」
「魔女ルーハイが拳法?」
「そうだよ。そして、魔術師ファイランも、拳法をするんだよ」
「違うと何度言ったらわかるんだい!」
「ふふ、ごめんなさい。わたし、違うとは思ってないから、ついそのままやっちゃうのよ」
「な、なんて頑固な子なんだい!」
「ルーハイだってそうじゃないの。今更どうしたっていうの?」
「魔女も年老いたもんだね。海藍なんかに負けちまうとは」
「人間、年には勝てないわね。でも、ルーハイが負けたのは年のせいではなくってわたしのほうが上だからでしょう。年のせいにするのは卑怯だわ」
「ふん。出来損ないが」
「よく言うわね。わたしを選んだのはあなただというのに」
「さぁ、本気でかかっておいで」
「あなた、死んでしまうわよ」
「かまいやしないよ。後継者はもう育て上げた。仕上げに、わたしを殺してごらん、愛しい海藍」
「ふふ......わかったわ。わたしも愛してるわよ、お義母さん」
そして、皆に恐れられてきた魔女ルーハイを討ち取って、わたしはその後継者として魔女の位置についた。それは、ほんの数年前の中国での話。
あんなことがなければ、 わたしは今でもルーハイとの思い出とともに山奥でひっそりと一人で暮らしていたのだろうと思う。
そして、わたしはわたしのまま、魔女ファイランとして、そこに君臨し続けていただろうとも……。
◆
『東方の主』を殺してほしい。 そう言われたのはいつのことだったか。
確か、依頼してきたのは『東方の主』の側近という男だったように思う。
『東方の主』 というのは、アジア全土にまたがる裏組織の頂点に立つ男のこと。彼がいなくなれば、新しくその地位につくのは自分だと、依頼してきた男は思い込んでいるようだった。
もちろん、わたしは二つ返事で承諾した。これはまたとない力試しの機会であるし、魔女にはうってつけの仕事だとも思った。
人殺しだと言わば言え。わたしは人を殺すことに抵抗なんてない。相応の対価を支払われればなんでもやる。
それが。
わたしは 『東方の主』 を殺せなかった。わたしの呪術は完璧だったのに。それなのに。
そのわたしの呪術をいとも簡単にはねのけてしまった人物がいたのだ。
その人物を捜し当てるまでに二年ほどかかった。その間に、短かったわたしの髪は驚くほど長くなってしまった。正直、髪は長いほうが魔女らしく見えるものだと妙な納得をしたこともあった。
そして見つけたのだ。その人物は、フランスのパリにいた。
「あら。ここは予約制よ。あなた、予約しているわけではないんでしょう? だったら、悪いけれど治療はできないわね」
その小さな白い建物に入った途端、中にいた白衣の女医にそう言われた。
それが、わたしの捜し求めていた、ジェノバ・ハーレキンだった。
「別に、治療をしに来たのではないわ。ジェノバと言う女医に会いに来たのよ。いるかしら」
「あらそう。ジェノバだったら、わたしよ。なにか用?」
「……あなたを殺してもいいかしら」
「殺す? あなたにそれができるの?」
「わからないわ。あなたはわたしの呪術をはねのけた唯一の人だもの」
彼女には隙がない。魔女ルーハイも隙のない人物だったけれど、この女医もつかみどころがない。
「呪術? いつのことかしら」
「『東方の主』のことを覚えている? 彼に呪術をほどこしたのはわたしよ。それをあなたがはねのけた」
一時、ジェノバは昔のことを懐かしむような顔をした。そして、口を吊り上げただけのいやらしい笑みを浮かべる。
「覚えているわ。あれは呪術によるものだったのね。驚いたわ。ガンの腫瘍が全身何十箇所も、数え切れないくらいあったわね。そう、あれは呪術なのね。そうよね、正常な人間がああなることはないわ。そうなる前に死んでしまうもの」
それをどうやって治してしまったのだろう。今の医学では、治すことは無理なのではないだろうか。
「でも、 簡単だったわよ。わたしは医者だもの。P53遺伝子を使ってガン細胞をアポトーシスに追い込んだのよ」
「なに? わかりやすく言って頂戴」
P53遺伝子がなに? アポトーシス? なに?
「P53遺伝子。これは細胞にアポトーシスを起こさせることができるの。アポトーシスというのは簡単に言うと細胞の自殺。これで、わかった? わたしはガン細胞に自殺させたのよ」
「アポトーシス……」
わたしの呪術が医学に負けるとは。正直言って、ショックだった。ルーハイが教え、導いてくれたこの力が役に立たないなんて。
「……ふふ、でも今の医学はここまで進んではいないわよ。あんなのは、今の技術では治せないわ。たとえ、P53遺伝子を使ってもね」
「……どういうこと?」
「わたしが特別なのよ。あなた、名前は?」
「……カーミラ」
「カーミラ? ふふ、可愛いわ。嘘なんでしょう、それ」
「ええ」
何故か少しも迷わずわたしは嘘を認めていた。どうしてなのかはわからない。
「わたしはチャイニーズよ、 ジェノバ」
「そうでしょうね。それで、呪術を使うということは?」
「魔術師なのよ、わたし」
嘘ではない。
「あら、そうなの。ねえ、カーミラ。あなたといるとあきないと思うわ、わたし。どうかしら、わたしと一緒にいかない?」
「どこへ?」
「さぁ、どこかしらね。ふふふふふ……」
◆
2000年、2月。
「あれからもう一年たったのね」
「そうね、早いわね。でも、おかげで退屈せずに過ごせたわ」
ジェノバは、クスクスと笑うと、カーミラに視線を投げる。
「今年は、どうするの?」
「いてほしいの?」
「いれば退屈はしないわね。でも、それだけだわ」
「そう。わたしはあなたを殺すまではいるつもりだけれど」
すうっとジェノバの瞳が細められる。
「それは楽しみね……」
つい、と眼鏡をおし上げながらジェノバは口を吊り上げた。
「また、退屈しないですみそうだもの」
わたしはいつか必ずジェノバを殺すだろう。
そして戻ろう。あの場所へ。
魔女ファイランとして。
あの場所へ君臨するのだ————。
Fin.
Harlequin はな @rei-syaoron
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