第3話 恋する太郎ちゃんラーメン

 カランカラン、という優しい鈴の音が聞こえてくる。聞き馴染みはあった。通い詰めている常連のBARにいることを思い出した。


「……ん?」

 出入り口は扉が小さく開き、そして、ゆっくりと閉じていく。奏太は気になり、何度か腕で目を擦った。エルの字の短いカウンター側に出入り口は存在しているが、カウンターチェアからは確認できずにいた。


 時刻はあれから四時間経ち、八時過ぎ。お店の照明は「暗くないと寝れない」という光の要望で店内は真っ暗。


 照明のスイッチはもちろん出入り口の近くにあり、壁に手を伝い、向かう。


「うっ」

 おそらく床で寝ている光の足を踏んでしまった。

 ごめん、と小声で謝り、エル字の角へとたどり着く。すると、左足に温かいものを感じた。


 奏太は何度も目を擦るが、暗闇からは温もり以外はわからないでいた。


 脳裏を過るのは――光のおっぱい。


「あるわけない……」

 変なことを考え出したところで、「おい」と仁侠ドラマでも中々聞くことのないワイルドなボイスが聴こえてくる。


 シャッ、シャシャシャっと機敏な動きが聞こえ、やっと照明がゆっくりと点灯。


「お、おぉ……」

 感嘆する奏太の後ろから「おめーが奏太少年か?」と、やはりワイルドなボイスだ。


「えっと……猫さんですか?」

 バーカウンターに踏ん反りかえり、膝に肘を付いてメンチを切っている黒い猫がいた。


 そう、容姿は猫。

 赤いモフモフのマフラーが不釣り合いで妙にインパクトがあった。


「どこかで……あっ、あのときの?」

 あ、に濁点が付いたキレ芸をお披露目し、猫は赤いモフモフのマフラーから金銀入り混じった扇子を取り出し、奏太を素早く叩いた。


 奏太が思い出すその猫は、優しい口調の女性らしさがある猫……だった。

 そんな猫と人のやりとりが聞こえてきた光が唸り声を上げて目を覚ます。おおよそ、うるさい黙れということである。


「おっと、これは失礼」

 扇子を収納して、起き上がり猫が一例。照明がどんどん明るくなり、猫の腹回りの肉が気持ち良さそうだ。


 光は、は? っとだけ言い、目を擦る。

 猫が起立し、一礼して、言語が日本語。誰でもそうなる。


「奏太……あの壺って猫さんも作れるの?」

 いやいや、と手を振る。作れるものは塩だけ、と言うと光は素っ気なく相槌した。


「失礼しました。この度は依頼に参りました。赤羽と申します。たぶん……」

 と言い、猫はまんまるい目で光を見つめる。

「携帯電話では何度かご依頼を……そちらの“名探偵”へさせていただきまして」


 ぽっちゃりした赤羽と名乗る猫は、手を摩り、ごまをするような仕草をみせている。光は力のない、「あぁ〜はいはい」とおどけてみせた。きっと覚えていない。


「それはそれは、あの地下鉄の件ではお世話になりました」

 またお腹の肉を内臓側へ畳み込み、一礼。

「とんでもないですよ」

 まるで早く話が終わってくれと言わんばかりにあしらっていた。


 それでですね、と赤羽は赤いモフモフのマフラーから写真を一枚、バーカウンターへ差し出す。


 光は起き上がり、カウンターチェアへ「よっこいしょういち〜」と座る。手繰り寄せて写真を見ると、そこには女の姿が写っていた。


「愛人?」

 思わず奏太も覗き込む。愛人にしては未成年すぎる容姿。だが年齢は二十七歳と聞き、二人はカウンターチェアから落ちるフリをする。


 名前はひいらぎ。木に冬で柊とのことで愛娘とのことだった。


「……情報過多です」

 扇子で奏太を叩いた。


「赤羽氏、奏太のキノコ頭壊しちゃダメよ」

 肉体と精神攻撃によるダメージを受け取る奏太は、髪を手櫛し、電子タバコを取り出し、メンタル回復タイムへ。


「ははは、すみませんね。ただ昨晩からこちらの界隈で噂に聞いおりましたんでね、奏太少年のことは噂でもちきりですよ」

 猫は餅食べたら死んじゃうんですけどね、と低音の笑い声で自虐ネタを披露していた。


「笑え、奏太」

 なぜ振る、と目を見開き無言で抵抗。


「まあまあ、年寄りの戯言はさておき」

 ミントの香りが天井へ到達した。


「事務所が壊滅しており、部下の伝手でこちらに居るとお聞きしまして。それで依頼が」

 これね、と光が写真を摘み上げる。

「そうです。お願いがあります――」


✳︎


 時刻はお昼過ぎを回った。


 関内駅付近の本格的な太郎ちゃんラーメンのお店に行きたいから行こう、太郎ちゃん系信者ワトソン奏太。とのことで、二人は太郎ちゃんラーメンの昼の部の長い列に並んでいる。


 あと十五分、光はカルティアの腕時計を見てそう呟いていた。車道よりに並んでいるが、豚骨の匂いが空腹と来店を招いていた。


 まだ本格的な春でもないのに、屋根を貫通し、しっかりと照りつけてくる太陽に光は黒の日傘で、奏太は青のポロシャツ一枚で応戦中。


 ポロシャツをパタパタと仰ぎながら、「あの……」と声をかけるも無視された。

「……光さん」

 応答がない。

「ひ、光」

 よろしくて、と振り返った。


「結局、あの依頼って……赤羽さんの娘を探してってこと? だけど」

 あーね、と食欲でそれどころじゃないのが伺えたが、続けた。

「赤羽さんからの依頼を携帯でしか受けたことがなかったの?」


「赤羽氏は元々人間。そういうことだよ」


「つまり……危険人物みたいな?」

 そう、と肯定した。


「あの黒いデブ猫は、怪異だよ。赤羽氏は元々大きい団体を率いていてね」

 驚きはしなかった。なにせ、この世に日本語ペラペラな猫がいてたまるかという思わないからだろう。


 しかし、想像するのは裏稼業。気になった奏太は踏み込んだ。すると、光はチラッとだけ奏太を見て、ため息をついた。阿呆だな、とも言いたげだった。


「拳銃所持が当たり前の強面がたくさんいるユニセフ団体だよ。だから、基本的には電話でしか相談は受けないと決めててね」

 手で拳銃のポーズを取り、奏太に空撃ちした。関西方面のツッコミとノリが出てこない奏太に「つまんないねぇ」と罵る。

「そう考えたら、今回も危ない橋を渡るんじゃ……」

 ふと、奏太の部屋から奪ったダッフルコートのポケットから銀行の封筒を差し出す。とても分厚く、首を傾げてる奏太に、「三十五億」と囁いた。

「へっ!?」

 言ってみたかっただけ、と整った綺麗な白い歯を覗かせた。

「三百五十万円ぽっちだよ」

 まとめサイトで乳首の出っ張りをぽっちと呼ぶこと以外見たことなかった奏太は絶句。


「稼げるんだよ。私の助手を正式にやらない?」

 お金がないことは知ってるよ、と貧乏人の新品の靴やスウェットをオニューの儀式をした人物がアヒル口をして、肩を叩く。


「いや、……仮で」

 とりあえず喉から手が出るほど現金に貪欲で、妥協点を探った結果だった。唯一、マンションの大家みたいな柄の悪い人物がバックにいることが難点であった。


 仮って言ったね? と再三の確認を肯定し、握手を交わした。


「とりあえずは」

 早速、情報共有ということで赤羽柊の情報をスラスラと簡潔に教えた。


「新宿で五百缶9%のアルコールあおってそうな、ウサギっぽいマスコットキャラが好きな地雷女?」


「奏太の的確な表現、嫌いじゃないよ。いいねぇ」

 シンバルモンキーのおもちゃみたいなはしゃぎようだった。


 店内に入店するなり、自販機購入を促され、小太郎を二つ頼む。


 契約料ね! とニシシッと容姿端麗とは程遠い不気味な笑い声をあげ、諭吉が自販機に吸い込まれていった。「悪魔の仮契約だ……」と血の気を引く奏太をよそに、テーブルへ着席した。


 奏太は豚やら醤油やらたくさんの匂いの中で、とある匂いを感じた。勘違いかもしれない……とあたりを目線だけで見渡した。


「ニンニク入れますー?」

 大将っぽいおじさんに訊かれて、光は呑気に「ニンニクマシマシマシマシマシで!」と答え、困らせていた。

 アブラ、カラメで。とだけ伝えて先程の匂いを光へ伝える。


「牛乳とアルコール? なにそれ」

 考察を繰り返す中で、光の隣のカウンター席に座る人物に気がついた。


 耳打ちで、「横」とだけ伝えた。


 居た。貰った写真と見比べた。念の為、赤羽から貰った直近の写真をスマホで見比べる。


 彼女は紙パック牛乳、スープ。牛乳、スープ、牛乳と交互に口に運んでいた。


「持ち込み良いの?」

 飲食店的には基本的にはNGかと、と二人の会話が聞こえたのか、彼女と視線が合ってしまう。


「――ご馳走様」


 そう淡白に伝え、ウサギっぽいキャラクターを付けた高級感あふれる小さいバックを片手に退店していく。


「いけ、走れ。いや、ストーカーしな」

 こちらも淡々と犯罪行為を助長する。質が違う、という奏太のツッコミも虚しく、「三十五億」と肩を叩かれ追うことになった。


「大丈夫、無限胃袋だからね。胃下垂なの」

 きゅるん、と添えて奏太を送り出したのだった。

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ハマの探偵屋 華屋与兵衛竜田定食 @mikko_hasimo

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