第2話 探偵との出会いII
引っ越してきた当初に感じた横浜の港から乗った夜風が鼻をくすぐる。BAR真上のマンションへは階段で登った。
マンション自体は冷たいコンクリートだったが、廊下から覗く首都高速やら、帰宅途中のサラリーマンやら、大学の飲み会の後の学生の姿が、やけに暖かく感じていた。
きっとこれは懐かしい匂いのノスタルジーがもたらすプルースト効果なのだろうか、と奏太は両手で持つ壺を見つめ、目を細める。
目の前を千鳥足で歩く光にも無論、目を配っていた。BARを出るときに「本当は会いに赴いたのですよ」と、マスターが漏らしていた。
しっかりと送るのも紳士の嗜み、とのことで部屋まで送るのを手伝わされている状況だ。
ふらふらの千鳥足がピタッと深夜の廊下で止まる。少し優しい夜風に当たり、なびく黒髪を耳にかきあげ、光は振り向く。すると思わず身構えている奏太に膝を叩いて大笑い。
「……何もしないって!」
回し蹴りでも想定してしまいました、と伝えると笑い上戸が爆発してしまった。
収拾がつかなくなってしまったが、奏太はあることに気づく。ここは自分の部屋の目の前だということに。
「あの……ここ、僕の部屋ですよね」
笑い疲れたのか無になった表情で首を捻った。何のこと? と言いたそうだ。
「何のこと?」
やはり言った。
「ここは私たちの事務所だよ、なんちゃらかんちゃらワトソン奏太助手」
長い長い、と酔っ払いを手で追い払い、防犯対策でカードキーに替えた玄関へ、カードキーを当てた。すると、しっかりと開く。
僕の部屋だ……と胸を撫で下ろすのも束の間。異変に気付いた。コンクリートの焼けた匂いと埃臭さに急いで部屋に上がる。電気など構う余裕は一切なく、思うがままに進む。ワンルームの部屋で区切るドアなどなく、直進すれば寝室兼居間だ。土足なのを忘れ、スニーカーを履いたまま急ぎ足で入っていく。ニ◯一号室とニ◯ニ号室を仕切る壁が、うっすら差し込む首都高速の光で照らして……いなかった。
今にでも泡を吹いて倒れそうになりながらも、壁を指差し、酔っ払いへと声を振り絞る。
「何が起きたんですか……」
鍵の取り替えに三万。塩壺職人としての初めての仕事で十万円だった。家賃光熱費のことが頭を過ぎる。
「本当にやったんだー! すごー!」
悪気など身に纏わず、土足で上がり手を叩く光に「……犯人かよ」と頭を抱えた。
「ねぇみてみて! 凄いよ!」
犯人はいつの間にかニ◯ニ号室の玄関に移動し、うけるー! と大声で叫んでいる。
✳︎
結局改装中、ということでマスターのBARの元へ毛布を持ち運び、寝床を確保した。マスターは既に帰っていたが、光の巧みな技術により、鍵を施錠し、セコムを堂々と止めた。
そして、奏太は眠れない中、一つの結論が出た。奏太の物は光の物。光の物は光の物ということに。布団が奪われ、一人カウンターチェアに座り、カウンターテーブルに身を預ける形になった。
依頼用に買ったナイキのスニーカーは光の斬新なオニューの儀式により、砂埃を被り、オシャレに疎い為に店員にお勧めされた高いハイブランドのライダースジャケットも、砂埃まみれで散々な目に遭わされた。
気づけば手元にお金など殆ど残っていない、という絶望感を抱えたまま、朝を迎えた。
と言ってもまだ四時過ぎというのを、スマホで確認し、ケツポケットへと戻す。
「……奏太、起きた?」
ああ、と適当に相槌を打つ。壁とカウンターチェアに挟まれて布団に引きこもる光は続けた。
「なんかさ……懐かしい」
ふわふわした掛け布団を両手で握り、頬を緩めて天井を見ている。
「寝ぼけてるだけかと」
「ううん、なんかね……やっぱり懐かしい匂いがする」
鼻で勢いよく匂いを摂取。そしてむせていた。
「男の布団に入り、その発言はコンプライアンス委員会も渋い顔すると思いますよ」
コンプラ……あ? と寝ぼけている光には難しかったらしい。
「それはそうと、塩になった人……常連だったんでしょ。顔見知りじゃなかったの?」
もっともな意見に奏太は、頬杖をついて、まあ、と口にした。
「十年来、だったかな。引っ越してすぐ打ち解けて……でも気づいたら……」
化物だった、と光が添えた。
横目で光を牽制する。
「怪異会員制BARでしょ? 知ってるよ」
あっけらかんとした態度に奏太は腰が引ける。何せ始めての依頼を頼んできた赤いモコモコマフラーの猫に日本語で話しかけられて、初めて知ったのだから。
光は上体を起こし、奏太へ問う。
「どうだった?」
なにが? と返す奏太に、「怪異って聞いて」と返した。
キープボトルの棚を一直線に見つめて、間が空いた。光は奏太の反応が気になり、顔を覗こうと立ち上がった。
泣いていた。
「……そりゃ、そうだよね」
府に落ちた、というよりはガッカリしたかのような表情でカウンターチェアへと腰掛けた。
「あれ……いつの間に着替えてたの……」
奏太は光の着替えに気づき、泣きやむ。
「ちょっと着替えようかとおもって」
何言ってんだ? 人間だもの。と言いたげな光の表情に対し、奏太は力の篭っていない小声で「斬新なオニューの儀式だ……」と呟いた。
新調した紺の上下スウェットは明らかにぶかぶかで、彼氏の借りました! なら可愛かった。と心にしまい、仕方ないと諦めた。
「可愛い?」
ピッと両手で胸の辺りをつまみ、スウェットのぶかぶかさを強調していた。
「うん」
間違えた。
真面目に照れる光は、お団子ヘアーの結び目をいじって、奏太の肩を脱臼させる勢いで叩く。
「えっと、その塩は舐めていいの?」
「いや、舐めたことはなかった」
舐める、という発想に至らなかった。何せ、元は怪異だからだ。
ふーん、とお得意のすまし顔で壺を触ろうとした時だった。
「えぇ!?」
ランプの魔人もきっとびっくりする吸引力で壺へ収納されようとする光。
「いやいや、えぇ!?」
と、必死に壺を手で弾き、間一髪。光は元の席へ着地した。
「……怖っ!」
「アンタの行動力の方が怖いわっ!!」
思わず大きい声を張り合った後、心臓の音がBARへ響き渡るような静けさがやってくる。
「光か、光ちゃんね」
名前を指定してきた。少し前までランプの魔人になりかけていた本人とは思えないくらいに、逞しい。
「……光」
観念することだとか妥協が大事と人生で学んできたことをお披露目する絶好の機会であった。
偉い偉い、と背中を叩き光はご満悦。
「……その壺、しまっときな? ね?」
と、警戒心から目で壺をしまえと合図をする。
目の前で人が故意で塩にされる現場に居合わせるところだった奏太は、頷き、着替えの入ったクリーム色のトートバッグへと入れた。
沈黙が続き、嫌気が差した光は梅酒、と注文。
「いや、さすがにマスターが居ないとダメでしょ」
正論パンチに、良いの良いの。と催促した。
「梅酒注いで、氷入れる。あんだーすたん?」
隙があれば小馬鹿にする光に、流されるままマスターのたっている場所へと移動させられる。
足元には小さい冷凍庫と冷蔵庫が完備されており、冷凍庫から丸い氷を取った。
そこ、とキープボトル類からゴールド色のチョーヤの梅酒を指差す。幸いなのは名前は『光様』と書かれていたことだった。
「ほら、赤ちゃんでも出来るでしょ? かんたーん」
いや、赤ちゃんはお酒飲まないけど。という奏太のツッコミは無視して、梅酒ロックの到着を待つ。
「はーやーくー」
と手を叩き、催促ゴリラダンスが始まっていた。
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