ハマの探偵屋

華屋与兵衛竜田定食

第1話 探偵との出会い


 常連の怪物を塩にした。


 怪物は大切な人を失うと気持ちの歯止めが効かなくなるらしい。どうやらこの先の希望だとか、夢がなく、いたたまれなくなった、とのことだった。


 手のひらサイズの壺にその人間の形をした怪異は飛び込むようにして吸収された。カップ麺が出来上がるくらい待ったところで、壺を逆さまに持つと、しっとりとした塩がバー『ハマさん』のカウンターに広がる。


 店内は駅近のラーメン屋みたいにカウンターと壁の位置が近く、照明はマスターの図らいで薄暗い。しかし、お店の雰囲気を作る照明に輝かせてもらっているその塩一粒一粒の結晶。


 その姿に魅了されたのか、背もたれのないカウンターチェア一つを開け、隣の客がうっとりとした表情をしていた。


「へぇ」

 梅酒ロックが似合うその女性は青年の持つ壺を指して、「どういうこと?」と訊いてきた。


 青年は電子タバコを咥え、真っ黒な天を仰ぐ。周りにはミントの香りが充満したところで、冷たい視線を女性へ送った。


「ここは会員制BARですよ。貴女も意味がわかるばすです」

 青年は淡々と言葉を紡ぐ。

「第一見世物でもないですよ」

 カラカラ、と氷しか残っていないグラスを揺らし女性は高笑いをしている。


 店内はマスターを含み、三人。やけに響く笑い声に青年は白髭のタキシード姿のマスターを睨む。いつもならマスターはさっさと追い出してくれるはずだったが、今日はそうも行かず、こっそりと胸のあたりで指でピースを作っていた。


 おおよそV.I.Pということを青年は理解して、蒸気機関車の如く真っ白な煙を吐き出した。

「塩壺職人さん面白いねー! 見世物じゃないのに見せちゃって〜目立ちたがり君かなー!」

 小馬鹿にしているのは明確だ。女性は悪びれるわけもなく、青年の隣のカウンターチェアへ移動して、マスターへ梅酒ロックを再オーダー。


 薄暗く分かりにくかったが、女性はシワだらけのカジュアルスーツを着ているが、そのスーツとは正反対にとても顔が整っている。真っ白な肌と袖からカルティエの腕時計が覗く。どこかの社長だろうか……にしては服が汚いな……と青年の思考が巡る。


「名前は? 言わないと塩壺職人っていうよ?」

「……奏太です」

 ニコッと笑うその女性の仕草に、何言っても自分のペースに持っていきそうな雰囲気に屈した。


「私は月光のこうでひかりね。よろしくね、奏太」

 右手を差し出し、目の奥がギラつく光に怯むも、奏太は舐められないようにとあえて睨み、握手を交わした。光の深く紅い瞳が、店内の雰囲気に合わさって不気味だった。マスターは何を気にしてか、真後ろの様々なキープボトルの棚へ向き直る。


 光は胸ポケットから名刺を一枚、提示した。

「……探偵?」

 光の肩書きは『確実に事件の“当たり”を引く探偵』と記載されており、四度くらい見直した。悪質な特殊詐欺でもこんなに見直すことはないだろう。


「まあ正確には……」

 と、言いかけて辞める光。真っ直ぐで肩まで掛かる綺麗な髪を弄っている最中に梅酒ロックが用意された。人差し指と親指で厚底のグラスを掴み、丸い氷を溶かすように揺らしている。

 それを何回か繰り返し、口にして「そうだね、探偵だよ。探偵」と話した。


 マスターはこちらに向き直り、足元を見て、いつもの訊いていないフリをしていた。

「……探偵って奴やってるんだ」

 光もマスターの図らいを感じ、カウンターチェアの脚を赤いヒールで蹴り身体を傾け、ひっそりと奏太に耳打ちする。しかし、洒落た音楽が流れるわけではない店内では無意味なことだった。


「この上に引っ越してきたお嬢様ですよ、奏太様」

 ほら絶対聞こえてますよ、と奏太はマスターを指差した。

 横浜中華街をひたすらに港の見える丘公園へ進み、ドンキホーテに行く交差点の前を右折するとそこから徒歩五分のところに黒羽屋と書いてある黒板ボードの看板がある。その地下にあるBAR。そして、光は五階建てで築半世紀を迎えるマンションに引越しをしてきた。ふと、疑問が口から漏れた。


「どこから引っ越してきたんですか?」

 乙女の秘密、と光に交わされる。

「光様は奏太様と同い年と伺っております」

「あ〜乙女の秘密の規約違反〜」

 と、BARカウンターにうな垂れた。


 二十七歳。高級腕時計を付けている光に益々、質問が込み上がってくる奏太にマスターは優しく首を横に振る。

「規約違反は奏太様が払われますので」

 珍しくマスターがツッコミ待ちになり、奏太は開いた口が塞がらない。


 パッと顔を上げ、顔の周りに星が飛んでいるかのように笑顔になっている光。奏太は怪訝そうに手を振り、断りを入れた。 


 それで、と話題を元に戻したかったのか、光は乱れた前髪を真ん中に分け、塩へと視線を落としている。

「その壺は何か魔法でもかけてあるの?」

「あるわけない、と思いたいです。元々は父がフリーマーケットの骨董品売り場を回っていた時に見つけたそうなので」


 ふーん、と訊いておいて空返事の光に奏太はまた電子タバコを咥えて一息。マスターはカウンターから見えない位置でスマホを弄り、光へと画面を優しく傾けた。

「あ〜、こういう感じのね」

 どうやら骨董品にピンときていなかったのか、マスターは察して調べたらしい。奏太は興味なさそうに煙をふかす。


「それでいつからこの仕事してんの? あぁ塩壺職人ね。ニートなのは知ってるから」

 タバコを咥えたままそっぽを向く奏太にマスターはふふっと笑い、再びマスターを睨むがなんのその。

 こういう場では絶対的ですよ、と光をフォローするマスターに奏太は虫の居所が悪くなる。


「変だと思われてもいいんですけど」

 と、前置き。光とマスターはまるで宝くじの当選発表を待っているような期待感に溢れ、耳を傾けた。


「仕事を始めたのはつい最近です。家で壺を磨いていたら赤いモコモコのマフラーした猫が喋りかけてきて……訊いてます?」

 宝くじは当選しなかったみたいで二人は、さほど興味がなくなっているようだった。

 猫が声かけるなんてねぇ……と眉をひそめる光に、マスターもそろそろお休みの時間ですね、と聞く耳を閉まってしまう。


 適当に続けて、という合図なのか梅酒ロックをマスターへおかわりを求め、私に気にせずどうぞといわんばかりに手をこちらへ向けてきた。

「……それで、とある人物を消してあげてほしいって言われて。さっきの方が初めての依頼でした」

 なるほど、と相槌を打つと梅酒ロックを受け取り、厚底グラスを両手で支え、食道へと注ぎ込む。

「ぷはっ、奏太はニートなんだよな?」

 と再三の確認に、奏太は半眼を凝らしたまま、じっと見つめる。

 光は酔っているのか、手を叩き、独り言をぶつぶつと言い始めた。

「ニートね、はいはい。あーはいはい」

 と何か都合がいいことが目の前で起きたのか、丸い氷だけの厚底グラスを揺らし、頷く。

「奏太もさ、ここに住んでるんだよね?」

 嫌な予感がした。

「そうですね」

 なぜかマスターが返事をしてしまい、奏太は目眩がした。

「じゃあさ……今日から、私のワトソン奏太になってよ」

 嫌な予感はあたった。


 

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