終幕 踊り子たち
僕は小瓶を握っていた。とても美しい意匠が施された瓶の側面、すべての光をはじき返す銀色無垢な蓋。彼女が消えた場所に残されていた、僕と彼女とをつなぐ最後の触媒。
この瓶を握ってもなお、僕はまだ誰かの夢を見ているような気がしてならなかった。瓶の冷ややかな感触も伝わって来るのに、ただただ現実感がない。
『そりゃあ、現実感なんてないさ。現実は人々が向き合うべき事実に過ぎない』
後ろから男が近づいてくる。飄々としていて、本心の探れない陽気な声。この声ほど、今のこの場に似つかわしくないものは無かった。
『やっぱり、彼女の消えたこの場所で死を選ぶと思ったよ。君はそういう男だ。で、介錯は必要かと思って来てみれば全然そんなことないみたいだ』
その男はまだ言葉を続ける。僕は何も聞いていないにも関わらず、男は土足で僕の心に踏み込んできて、僕を無理やり追憶へと引き摺っていった。
『彼女は第四の壁を突破してきたときには、君と結ばれなかった深い悲しみのエネルギーをこの世界に持ち込んだ。そして、子どもたちの結婚を阻む家同士の関係を作り出しそれを理由に結婚に反対する親を殺して回った。
男が一人で答え合わせをしているが、そんなこと僕にはどうでもいい。
『なあ』
『なんだい?』
『
『……君がそう思うように作られているからだ』
『そうか』
もう全部終わりにしたい。僕と彼女は物語の中でも、現実の中でも結ばれることは無かった。
僕は小瓶の蓋を開けた。そこには恐怖も躊躇いもない。ただ連鎖する衝撃と悲しみだけがあった。
そして、僕は小瓶に口を付けた。
「本当は君に花を持って来たんだけどな」
男はそう言って、ロミオのいた場所に腰を下ろした。辺りは夕焼けで赤く染まっている。男は今一度ロミオのいた場所に目を向ける。もうそこには彼がいたと思わせるような残滓は何も残っていなかった。閉じられた本が本棚の奥深くで眠りにつくように、彼と彼女の存在は世界から忘れ去られた。
「まあ、君ならそういう死を選ぶと思ったよ。書いたとおりだ」
「人生は舞台、人はみな役者。アドリブはあっても舞台の終わりはみな脚本通り。それが物語の亡霊ともなればなおさらさ。だから君にこの手向けの花を。クサギとプリムラ・マラコイデス」
男はロミオのいた場所に花を置き、十字を切った。
ここに置かれた花たちはそれぞれ「運命」と「運命を拓く」という花言葉を持つ。それは男にとって、ロミオへのありったけの賛美と親愛、そして皮肉と嘲笑を込めた、最後の握手だった。
「ゆっくり眠りたまえ。僕の生み出した踊り子たちよ」
餞別を終えると、男は少しよろめきながら立ち上がった。そして、斜陽を浴び、夜へのページを開こうとしている街へと歩いて行く。
その空には、誰かが望んだあの日の
《了》
第四の壁 山田湖 @20040330
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