第四幕 夢の終わり
その部屋には机が円形に並んでいた。真ん中にはテレビが二台置かれており、その画面には被害者と思われる人たちの顔写真とデータが表示されている。女性4人に男性1人。殺された順番は女性、男性、女性、男性、女性、女性だった。僕が見た感じ、年齢は全員中年層のような見た目だ。決して若くはない。
『さて、この殺されてしまった被害者には、ある共通点がある。これはアクタガワが発見したものだ』
話せとボウエンがアクタガワに視線を送る。よくよく思い出してみれば、アクタガワの声を初めて聴くことになる。
『えーじつは1件目の被害者とえー2件目の被害者、3件目と4件目の被害者は婚姻関係にあり、実は1、2件目の被害者夫婦の子どもと3、4件目の被害者夫婦の子どもが恋愛の関係にあることが分かりました。えーそして両家ともこの二人の結婚を猛反対していたそうです。えーなんでもお家同士の関係が悪かったそうで。当初警視庁はこの被害者の子をえー容疑者としたのですが、双方アリバイがあるということが分かり、おまけに事件の日に周辺で白い靄のかかった女らしき目撃情報が相次いだため、私たちが引き受けることになりました』
なんだか早口で聞き取りずらいが、他のメンバーは慣れっこなのか普通の表情で聞いている。
『それでのちの被害者の女性二人ですが、じつはこの二人も被害者同士の子どもが恋愛の関係にあります』
ディスプレイには女性2人の顔写真が表示されており、
『……ということは』
『はい。もしかしたら次にターゲットになるのはこの2人の夫の可能性があります』
『おい。警護情報はどうなっている? 当然保護しているんだろうな』
ボウエンがモンゴメリの方を見る。さっきまでのおどおどした雰囲気はどこへやら、しっかりとボウエンを見据えてよく通る声で、
『実は、この被害者夫婦はどちらとも旦那が別居しているそうなのです。子どもの結婚は夫婦揃って反対していたものの関係は相当冷え込んでおり、奥さんが亡くなったのに楽観的に構えて、おまけに死んで当然の人間だったとのたまっていやがるらしく、最低限の警護しか要求してきませんし、それぐらいしか実際できていません。両者とも今は勤務先の会社に泊っているので、どうも警察が見張りにくくなっている状態で』
と言った。情報によればこの2人の会社はライバル関係という状態で利益を争って毎日対立が深まっている。そして両者ともその会社の幹部クラスの人間だ。なるほど、結婚に反対するのも頷ける。変なプライドだとは思うが。
……とここまで考えたところで、胸につかえるものがあった。けれどなにがつかえているのかが分からない。まあそんなの考えたところで無駄なことだと思ってしまおう。その方が余分に脳のリソースを使わなくて済む。僕にはこのつかえを言葉にすることは不可能なことだ。今の僕は、辞書のようにこのつかえを覚えた記憶を引っ張り出すことができないのだから。
『じゃあ、二手に分かれてこの両者を見張ろうじゃないか。僕とモンゴメリは中村薫の方を見張ろう。君とボウエンは宮田玲子のほうをよろしく。アクタガワは分析をよろ』
ドイルが僕とボウエンをゆび指す。相変わらず、どこまでも真剣にならない男だ。でも、こういう皆が眉にしわをよせるような場であっても飄々とした雰囲気を崩さないのは流石だと思えた。
街中が黒に飲まれ、人々がささやかながら灯でそれに抵抗し、眠りにつく時間。空にはナイフのような三日月が浮かんでいる。それはとても美しく、どこか恐ろしく思えるような光景だった。月に心が無いとは誰もが知る自明の理だが、周りがあんな暗い中で一人で輝き続けるのは、どれだけ寂しいことだろうとふと思った。僕がその立場なら耐えきれないような気がする。
見張りを開始してから3日が経った。相変わらず例の漂流者は現れず、僕たちは車の中で眠らぬ夜の街を眺めていた。
『おい。買ってきたぞ』
ボウエンが車の中に入ってきた。手にはコンビニのレジ袋が握られており、カサカサと中身のない音を出している。袋の中にはあんパンと牛乳が入っており、このセレクトは3日連続で変わらない。なぜなのかとわけを聞くと、『刑事だから』だそうだ。
会話もないまま3日連続の色のない、無味乾燥な食事を終えると、普段はこの時間は仮眠をとっているはずのボウエンが、後ろの席のリクライニングを倒しながら珍しく僕に話しかけてきた。
『どうだ。なにか分かってきたのか?』
『いや。まだ記憶そのものは戻って来てない。ただ少し気になることがあって、なぜか被害者の子どもたちが結婚を反対されているというのを聞いた時、少し胸につかえるものがあったんだ』
『どんな感情なんだ、それは』
『分からない。ただ決して気持ちのいいものではなかった』
一生を共にするにふさわしく、そしてそう望む相手に出会ったとしても、家の関係だけでそれが阻まれるのはなんだか納得のいかないものだ。僕はこの残された恋人たちに深い同情を抱かざるを得なかった。
『自分たちが結ばれないと分かった時、恋人たちは別れるか逃避行に出るんだ。親や自分たちの道行きを邪魔するものに見つからない場所で、二人だけの理想郷を作る』
『なんともロマンチックな話じゃないか』
二人だけの理想郷……か。ボウエンという人間は、無愛想の殻を被っているが、実はなかなかのロマンチック主義者なのかもしれない。
『ああ。そうだろう? でも字面ほど簡単な話じゃない。普通に結ばれるより遥かに難しい道でもある。それでも今でも逃避行を選ぶ者たちがいるということは、愛っていうのはすさまじい力なんだろう。昔の戯曲でもこうある。
恋はどんな危険をも冒すとね』
最後の言葉を聞いた瞬間、耳の奥から鋭い音が聞こえてきた。その耳鳴りのような音は僕の周りからそれ以外の音を消し去っていく。なんだ? 今ボウエンは何と言ったのだ? 恋はどんな危険をも冒すだと? それは、その言葉は……。
『ボウエン! その言葉の……そのセリフの出てくる戯曲の名前ってなんだ!?』
『どうした急に? ロミ……』
ボウエンが怪訝そうに作品の名前を言おうとする。しかし、ボウエンが全てを言い終えるより前に、押しつぶされるような強い威圧感が辺りを席巻した。
『おいボウエン! お前らの近くの監視カメラからの映像が急に切れた!! 来やがったぞ!!』
『っ!! やっぱりこいつに引き寄せられてきたのか!!』
無線の中からアクタガワの鋭い声が聞こえ、ボウエンと何か言い合っているのが聞こえるが、今の僕はそんなこと意識の外だった。なんだ! いったいなぜだ。なぜ、ぼくはこの威圧感からどこまでも沈んでいくような深い悲しみを感じるんだ!?
僕の目の前の世界を白い、どこまでも白い靄が覆い始めた。その間も深い悲しみの気配はどんどん色濃いものへと変わっていく。それに比例するように僕の中の感情がごちゃ混ぜになっていく。喜びも悲しみも怒りも驚きも絶望もぐちゃぐちゃになっていく。
そして、僕は霧のはるか向こう側に人影を見つけた。その瞬間、僕の理性が意識に追いつく前に僕は車の中から飛び出していた。
ボウエンが大声で何かわめいているのが目の端で見えたが、僕はもう止まることができなかった。走っているはずなのにその人影との距離は縮まらず、その間には無限の断絶が広がっているような気がした。
すべてが逆流する。頭の中にスローモーションになったコマ送りの映像が流れ込んでくる。一歩足を踏み出すごとに、懐かしさが、歓びが、悲しみが、僕の中に濁流のように流れ込んでくる。
そうだ! すべて思い出した! 僕は君を絶対に、一生をかけて守り通そうと誓ったんだ。そして僕の前から突然にいなくなってしまった君を想い、僕は自殺した。
そうだ! 叫べ! 君は、君の正体は――
『ジュリエットォォ!!!!!!』
僕の叫びを聞いて、彼女は立ち止まる。そして、本当に驚いたようにこちらに振り向いた。その顔を見て、僕の体は喜びの渦に巻き込まれる。早く、早く。彼女の元に追いつきたいのに、まだ僕たちの間には深い谷がある。
『ロミオ……』
そう呟く声が耳元で聞こえる。無限の谷を挟んでいるはずなのに、その声は、はっきりと反響するように僕の元に届き、頭を揺さぶっていく。なぜだ? なぜ君の元に届かない!? 僕を取り巻く運命がそうさせているのか?
ジュリエットは走り続けることしかできない僕に笑顔を向けた。どこまでも晴れやかで美しい、そしてどこまでも悲しい笑顔だった。夜の空に一人で浮かぶことしかできない三日月のような、そんな笑顔を僕に向けて、
彼女は腰から、短剣を取り出した。
紛れもない、僕の短剣だ。
『あ、あああ!!』
やめろと言いたいはずなのに、僕の口から出たのは掠れ切った叫び声だけだった。
やめろ、やめろ! もう僕の目の前からいなくならないでくれ!!
……けれど、僕の、たったそれだけの願いすら聞き届けられることは無かった。
ぼくの願いにNOを突きつけるように、彼女はゆっくりと、短剣を細く白い首に向ける。
『さようなら』
そう言い残して、彼女はどこまでも暗い闇に堕ちていくように消えていった。
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