見返り美人は振り向かない
島坂清晴は周囲の人よりも大きな悩みを二つ抱えている。
そのうちのひとつは、自身の名前に由来する悩みである。平々凡々な会社員と主婦の両親が清晴の名前を決めた時、確かにそこには〝命名、
だが、物心ついた時から清晴は清晴であった。その事実に気付いたのは清晴が五歳の頃だった。お隣のご近所付き合いで遊ぶ事になった、お人形さんのように可愛いけれど、お人形さんのように笑わない少女をなんとか笑わせようとして、家中のアルバムを片っ端からひっくり返した時にその写真を見つけてしまったのだ。
それからというもの清晴は「自分は両親の本当の子ではないのかもしれない」という疑念を常に持ち、清春という名前に敏感になる日々を十数年、あとプラス五年ほど持ち続ける事になるのだが、真相は〝祖父が命名した清春という名前を、両親が清晴と聞き間違えてそのまま出生届を出した〟というなんとも肩の力が抜けるものである。
そしてもうひとつの大きな悩みとは。
「
「ああ、すごい評判だったよ。アガサ・クリスティの再来だって持ちきりだった」
「当然」
苦手だと言っていた作文を一夜漬けでこなし、データを清晴に送ると共に卒倒。翌日には文豪の称号まで得ていたこの幼なじみ、紡希である。
あの
いつもそうだった。紡希は誰かに期待されれば応える、それがどれほどの無茶であろうと応えようとしてしまう。体調を崩すほどに消耗しながら、おくびにも出さずにこなしきってしまう。
今回の珍事は、清晴が仕組んだものであった。どうしたって無理だろうという状況を作り上げて、心苦しいが、挫折を覚えてくれれば。彼女は自分を蔑ろにする日々を少しは改める様になるのではないか、と。僅かな期待を込めて。
それでも紡希は、清晴の期待には応えなかった。というよりも、今回も。清晴の期待は泡となったのである。
「俺じゃ、ダメなのかな」
記事の評価に満足したのか、いつの間にか眠りに着いていた紡希の寝顔につい、言葉が漏れた。
出会った頃の、全てを悟っているかのような無表情が気に入らなかった。なんでも出来て褒められているのに、つまらなそうにしている顔が不思議だった。お腹を枕にされた時、妙におっかなびっくりと頭を乗せていたのが可笑しかった。体調をよく崩していた本当の理由を知った時は、今まで彼女を〝そういう人だ〟と思っていた自分にひどく苛立った。
──気付けば、そんな紡希の全てが愛おしくなっていた。
どんな形でもいいから、隣に並び立ちたかった。
どうあれ、紡希は周囲の期待に応えてしまう。ならば、せめて自分は彼女のサポートを。
趣味や知識を詰め込み交友関係を無理矢理広げて、周囲から向けられる紡希への形の無い期待を明確化させる。良好な関係を築こうとも深入りはしない。明確化した事でどのような無茶ぶりであるかを予期し易くはなったが、体調を崩しやすい紡希の傍にすぐ駆け付けられるように、放課後は空けておく。サポートなどと大言壮語しながらなんてことはない、これをただ毎日続けるだけ。
「いや……違う、まだだ。まだ諦めない」
結果的に、紡希が体調を崩す機会は減った。が、その分周囲から寄せられる期待の数が増えた。
逆効果だったのだと気付いたのは、十五歳の冬だった。今日も笑顔で誰かの期待に応えて、前だけを向いて歩く紡希の生き方を補助するやり方は、いずれ必ず破綻する時が来るのだと悟った。ならば、ならばと清晴は一念発起した。
彼女の歩んできた道を振り向かせて、その生き方は間違っていると気付かせるのだ。
言葉にして伝えるのは最初に試したが駄目だった。昔話から繋げても無駄だった。今回の様な計画はもうやりたくない、ならば、次は。
「お前が好きだ! これからは俺の期待にだけ応えてくれ! なーんて。無理か。はあ……またこんな散らかしてこいつは」
静かに寝息を立てる眠り姫の横で独りごちりながら、清晴は紡希の散らかった部屋を片付け始めた。足元に落ちている
その見返り美人の視線の先に誰が居たのかを、清晴はまだ知らない。
見返り美人は振り向かない 〆(シメ) @spiitas
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