白柏紡希は振り返らない

 まったくもって面倒くさい。

 白柏紡希しらかせつむぎには悩みが常に付きまとう。やや切れ長の目ではあるが目鼻立ちの整ったその容姿は幼少の頃から注目の的となり、立てば喝采かっさい座れば感嘆かんたん、歩く姿は全米もかくや。と両親ないし周囲の人々から持てはやされながら育てられてきた。

 所作ひとつひとつを肯定され、望めば全てが揃えられる。初めは気持ちのいいものであったが、それが日常となるにつれ妙な閉塞感へいそくかんを覚えるようになった。貼り付けたような変化のない笑顔を向ける大人達から日々贈られる数々の品々を、ちいさな手のひらに抱えきれないほど受け取り続けた当時の紡希は満五歳。七五三を終えるより前に自我を確立し、覚醒した。

 恐らく〝私は期待に応えなければならない〟のである。贈られた品々、声に見合う見返りを呈示し続けなければ。ふとした気付きは正午のおひるねの時間、幼なじみの少年のお腹を枕にうたた寝をしていた時だった。思えばここは何ひとつ不自由の無い鳥籠ろうごくだったのである。

 それからの紡希の行動は早かった。元より才覚にも秀でていた紡希は周囲から求められる期待も、その想像を超える飛躍で塗り潰した。実益に繋がるものに焦点を当て、スポーツはオリンピック関係を、勉学は理数関係を中心に、習い事は美容関係から花道に茶道に習字とeスポーツを。いや、最後は幼なじみの趣味だった。かく、それらをひとつも欠かす事無く十数年続けて現在、達観十七歳。

 容姿端麗才色兼備頭脳明晰パーフェクトガール白柏紡希がここに爆誕したのである。

「最後のそれはさすがにちょっとダサくないか」

「うるさい」

 悩みは尽きない。

 直近で言えばまさにこれである。紡希と朴念仁きよはれの通う私立新鸞しんらん学園高等部のホームページ制作。毎年高等部三学年の中からその年一番の優良生徒を男女一人ずつ選出し、紹介するコーナーを更新する事がお決まりであるのだが、その実、優良生徒に選ばれた生徒に内容も含めて記事を丸投げするのがこの学園の風習でもあるようで。

 更に内容には一切の校正や規制が入らない事から、文章力に長けた生徒達はその才能を遺憾無く発揮し年々文字数が増えていった。初めは一言コメント程度だった文章が今や、掌編小説レベルのクオリティに仕上がっているという惨状である。

 無論、この優良生徒コーナーが内申点や評価に関わることは一切無い。

 しかも、昨年の優良生徒は太宰治だざいおさむの再来とも呼び声の高い先輩が書いた技巧の光る小説であった。対して紡希は、これまでの人生で理数系に重きを置いてきた為に文才は皆無であったが、周囲の人々からの期待に応え続けて生きてきたという矜恃きょうじだけは人一倍であった。

 つまりは、昨年度の傑作小説を越える作品を、まったく見返りの無いこのコーナーで、のんべんだらりとやんわり拒否を続けてうやむやにしてきたのに、あろう事か本人の許可も無く人づてで快諾かいだくしてしまった馬鹿きよはれのせいで。明日までに書ききらなければならないのだ。

「今回ばかりはゆるさない」

「大丈夫だって。俺も協力するからさ」

「全っ然心強くない」

 入る学校を間違えたとため息を漏らしながら、紡希はパソコンのキーボードを怒りを込めて叩いていた。

「簡単なプロフィールでいいから」とは教師の談であるが、簡単なプロフィールがどうしたら〝人間失格〟を彷彿とさせる文章になるのか、首根っこを掴んで問い質したい。否、ご教授願い賜りたい所存である。

「ああ、そうだあれは書かないの? 〝見返り美人〟」

「あー......」

 キーボードを叩く手が止まる。〝見返り美人〟とは、江戸時代の画家である菱川師宣ひしかわもろのぶの代表作のひとつ〝見返り美人図〟から取った言葉だ。

 つい先日、ティーン向けのファッション雑誌に載ったとあるモデルのスナップ写真。その写真の隅に小さく、振り返るような姿で映ったひとりの女性がいた。

 小さく映っていたせいか、編集者が見落としていたのかは分からないが、背景に何も加工されずそのまま掲載された写真を見た読者達から「この美少女は誰だ!?」との声が寄せられ、今も尚続く話題となっていた。その女性とは隠すまでもなく紡希であり、これもまた悩みの種のひとつである。

「いい。別に誇るようなものでも無いし。むしろあのモデルさんに謝りたいくらい」

 注目を浴びればそれだけ期待される声が増える。期待に応えれば更に注目を浴びる。心底に刻まれる程度には実感してきたその負の連鎖に本心では辟易へきえきとしながらも、表層はあっけらかんとして。

「それにしても。〝見返り美人〟だなんて安直な名前よね。皮肉に聞こえるくらいには」

 紡希は自身の矛盾を振り返らず、今日こんにちかれの贈り物へ見返りを、と奔走するのである。

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