悪夢、もらい受けます!

柏木星李

 悪夢、もらい受けます


 ―口から出た何気ない言葉がとんでもない悪夢を生み出すことがあるかもしれない。

 目の前にいる少年はくすくすと笑う。「―君おかしいね、興味がわいたかも」建物だった周囲は崩れ落ち、二人ともすり傷だらけだ。わたしは、こんなことに二度と巻き込まれたくない、と切実にそう思った。


 ふあぁと欠伸をした。時刻はもう深夜2時で、家族の誰もが眠ってしまっている。外はしんと静まり返り、遠く踏切の音が、寂しげにカーンと響き渡った。


 わたし、森園つむぎは冬の定番こたつの中に足を突っ込みながら、目をしばたかせた。眠い。けれども眠れない。―むしろ眠らない構えでいた。どうしてもやっかいな悪夢を見るのだ。

 最近になって見出したこの悪夢は決まって午前3時に起こる。初めは暖かな草原のような場所で楽しく走ったり寝転がる夢だったのが、いつのまにか暗い建物でゾンビに追い回されている。そこまではたまにある夢の内容だが、問題はそのあとだ。ふと前を見るとおそろしい象のような生き物と少年が立っていて笑いながら私の頭をばくん!と食べるのである。うなされ飛び起きると午前3時。仕組みはわからないが、繰り返される不思議な夢に正直疲弊していた。しかしわたしには心当たりがある。このような悪夢を見るようになったきっかけは、通っている学校の噂だった。

 

 冬休みに入る少し前、わたしは数少ない友人の的井澪(まといみお)ちゃんと話し込んでいた。二人とも面白い噂には目がなく、どんな話題でも飛び付くことからクラスでは|メアリーズ(壁に耳あり障子に目あり)と呼ばれている。澪ちゃんが口を開く。

「最近、3年と1年のクラスで変な夢を見た人が何人もいるらしいの。どんな夢かは決まっていてね、すごーく怖いことが起こった後に、黒白の象と男の子が暗い闇の中から走ってきて、終いに象に食べられちゃうんだって。」

「ふうん。おかしな夢だね。」

「でね、そんな夢を見た後、肩こりとか筋肉痛とか、不思議となくなるみたい。けど、その人は呆けたように1日2日何も手がつかなくなってしまうんだって。今までは3年生と1年生で噂が広まっていたみたい。でも昨日私たちの隣のクラス、2年3組の学級委員の真田さんが夢を見て、登校してきたら、友達の誰ともほとんど話さなくって。心配した同級生が粘り強く話しかけたらぽつりとさっきのみたいな夢の内容を話したらしいよ。」

「それ…本当?」

噂の内容は初耳だった。だけれどもその夢に出てくる白黒の象とは獏のことではないか、と思った。中国の伝承にある架空の動物で鼻が象、目はサイ、足は虎、尾は牛で出来ているといわれている。実在する動物のバクと混同されることがあり、日本では夢を食べる動物として有名だ。噂の夢の象はその実在する方のバクであると考えられる。それを伝えると、

「そうかも。でも夢の中に出てきて、人間を食べるなんて変だよねぇ。」

「なぜか伝説の獏とバクが混ざってるんじゃないかな、それにしても恐ろしい夢だと思うんだけど……。」

お互い顔を見合せながらう~んと唸っていたが、結局この日の話題はチャイムが鳴ってお開きになった。

 その日からわたしも噂にある通りの夢をみだした。そのことを冬休みになっても夢は続き、正直疲弊していた。誰かに相談できたら良かったのだが、学校が遠いため、このあたりでは澪さんにもクラスの知り合いにも会わない。どうしよう…と考えたところでぷつんと限界が来てしまった。意識が、少しずつ薄らいでゆく。


学校のどうやら英語の授業中らしい、私だけが眠っていたようで、顔を上げると先生が教壇に立って構文の説明をしている。なのだが、どうしてか言葉は糸のようにほどけて頭から抜けてしまう。昼間の教室、明るいいつもの光景だが、いつも楽しそうに喋っているクラスメイトはなんだか人形のような冷たい印象を受けた。ふと席を立つ。廊下に出てみると、しんと静まり返っている。奥の方は遠く暗く、誰もいない。しばらく廊下を歩き、周りを見回していたが、いくら経っても景色が変わらなかった。曲がり角まで来たところで反対側から来た人にぶつかった。

「わっ」

「おっと」

 見た感じ、同じ学校の生徒らしい。小柄な少年という感じだ。男子で少し緊張したが、久しぶりに人に会ったので思わず話しかけた。

「あの…この学校の人だよね。」

 少年は少し目線を下にしてからこちらに向き直して、にこやかに口を開いた。

「ん?ああ!そうだよ。君は二年生?…僕、柏ノ木綴っていうんだ。今日転校してきたんだけど、校内を案内してもらってもいいかな?」

「そうなんだ―う、うん。わかった。わたし森園つむぎだよ。よろしく。」

「うん。よろしく。」

廊下では誰にも会わなかったので、少し疑問に思ったが、少年が人当たり良さそうな朗らかな満面の笑みをしていたので、なんとなく応じてしまった。

「ここは、理科室。あっちは技術工作室だね。」

 柏ノ木くんに学校の各教室、特別教室など説明しながら歩いていると、突然廊下の真ん中に人が現れた。本日二人目の来訪者だ。わたしたちが面食らってていると、その女の子は、女性らしいおっとりとした柔らかい口調で

「あら、こんにちは。うちの生徒だね。」と言った。

「ええっと……。」わたしが口ごもっていると、相手はにっこり笑って

「ここで迷っているの?」と首をかしげながら聞いてきた。迷っている……学校の中で?

ここで、頭にふと思い浮かんだ。さっきからいる場所は夢であると。これは明晰夢ってやつかもしれない。


「毎日ね、この場所には何人か生徒が来るの。その度、私が案内するのよ。―でね、好きな子のこととか嫌いな教科とか楽しく話してるんだけど、最後には少年と大きな動物が来てこの世界を丸ごと食べちゃうの。」女の子は「ハル」と名乗った。わたし達も自己紹介した。

わたしは最近何度も見ていた夢のことを思い出していた。学校内でも噂されている、不思議でおかしな夢。その夢には、女の子がいた、という話はなかった。


わたし自身の夢にもハルという人物は登場していない。ここ暫く歩いていても一向に変化がなく、夢の終わりが見えない。じわじわと不安になる。いつまでもこれはいつもの夢だろうか―そう思った時、いつもと違う重い音でチャイムが鳴った。


何時の間にか、周囲の校舎が木造に変わっていた。わたし達の側を沢山の人影が走るように駆けて行く。皆一様に袴を履いていて、髪型はリボンにロングヘアー。テレビやビデオで見た昔の女学校の様だった。

最後に楽しそうに話しながら走ってきた人影はハルさんに似た一人と、少し背の高いすらりとした綺麗な顔立ちの少女だった。

 ブラックアウトして教室に場面がフィルムの様に切り替わると、先程の二人の少女が言い争っているようだった。夕方のようで教室は影が伸びている。また暗くなり、窓の外は冬の様だった。外は雪が降り教室には一人、顔は見えないが机に座りながら窓をぼうっとながめている。そこで元の学校に戻った。相変わらずしんとしている。思わず側にいた影でない本物のハルさんに話しかけた。

「今の人たちは。あなたは―」わたしがそう言うと、ハルさんは語り出した。

「昔のこと、今は大正時代っていうのかしら。この地域の農家の一人娘だった私は、この学校に通っていたの。木造建築の少し前に出来た新しい場所だったわ。初めて行く学校に胸を高鳴らせながら通ったの……。周囲は豪農や商家のお嬢さんが多かったわ。緊張していたけれど、勇気を出して隣の女の子にやっと話し掛けることが出来て。物部芳子さんという、物静かで知的な雰囲気の少女だった。お互い気が合って、価値観も出身も違う二人だったけれど直ぐに打ち解けられた。二人で色んなことを話したわ。好きな子のこと嫌いな教科……ある日学校で、きっかけは些細なことでひどく口喧嘩をして仲違いしてしまった、二人で放課後手紙を交換する約束をしていたのに。芳子さんが3日後、御家族の都合で満州の方へ引っ越しをする、という話があってお別れに。

けれど学校には戻って来なかった。風の噂で彼女はそのまま旅立ったとも、遠い外国で戦争のつらさに身投げしたかもしれないとも耳にしたわ。何十年も経って、もう私はこの世に居ないけれど、どうしてもあの日のことを諦めきれなくて、私は今でもここで彼女を待っているの……。」わたしが何も言えないでいると、

今まで黙っていた柏ノ木くんが口を開いた。「そうか、だから君はつむぎさんの夢に入ったんだね。芳子さんを探して、幾度となくこの大規模な夢の空間を作った。それが学校での悪夢の事件を引き起こしていたんだ。」

……やっぱりこれは夢だったのか。はっきりと解った。では、この夢からどうしたら出れるのだろう?そしてこの少年柏ノ木くんは何者なんだ?


柏ノ木くんが話し始める。

「僕はナイトメア調査官。世界中の夢にまつわるあらゆる事件を解決するためにいるんだ。夢は人の意識の奥深く、無意識の部分に大きく関わっている。また常日頃から願っていること、思い出にとても影響されやすい。それはその人の欲望や願いにも関わる重要な部分なんだ。強すぎる思いは時に悪夢に変わってしまう。それが、現実にも干渉し大きな事件となって世界を脅かす。僕はそんな夢達を歪めずにこのバクくんと共に食べ、なんやかやで解決しているのさ!」柏ノ木くんの言葉と共にボン!と大きなわたしの体長の倍くらいあるバクが出てくる。

そうだったのか。では、いままでの夢に出てきた少年とバクは柏ノ木くん達だったのか……。

「ということはハルさんとこの夢も解決できるの?」訊いたそうしたら夢からわたしは出れるんだろうか。柏ノ木くんは自信有りげに続けて言う。

「もちろん!けど、解決には夢の本来の持ち主である君の協力が必要なんだ。」柏ノ木くんはわたしを指差して言った。わたしは驚いて、

「え!わたしも協力するの」たじろいでいるわたしを気にせずに

「君たちの学校が冬休み前からずっと同じ悪夢を追っていたけれど、何度食べてもまた同じものが学校内の他の誰かから出てしまう。夢を見直すと僕には見えない少女と話している記録があった。ハルさん。君が姿を表さないのはどうしてなんだろう……そう思っていたんだけど、理由が解ったよ。」ハルさんに向き直して、

「今日がその日なんだ。」わたしはハッとした。もし、日にちに意味があるなら……

「その日……もしかして、友人だったハルさんと芳子さんが仲違いして別れてしまった日ってこと?」柏ノ木くんはこくりと頷いて

「先程の学校の連続したフィルムのようなもの。最後は冬で記憶が切れていた。ハルさん、君がもし姿を表すなら……輝くような春の記憶ではなく芳子さんと別れてしまった冬の始めであると思ったんだ。」わたしはハルさんを見た。ハルさんはぎゅっと苦しそうな顔をして、

「そう、きっとそうなんだわ。私があの日、芳子さんに会えなかった。別れの挨拶をすることが出来なかった。そのことを彼女がどう思っていたのか。もしそれで辛く苦しんでいたのだったら……気になって心残りだったの。だから私は、この夢の空間を作ってしまったんだわ。」


「じゃあ、この夢を終わらせようか。」柏ノ木くんが静かに言った。

「このままだとハルさんとその思い出は永遠にさ迷ってしまう。夢は浄化されず滞ったままだ。つむぎさんも目覚めない。それは貴方も本意ではないでしょう?」

「ええ……。」ハルさんは苦しそうなままだ。胸につまされたわたしは思わず言った。

「い、いいですよ!ハルさんが、ハルさんの気持ちが晴れるまでこの場所でわたしも待ちます!」ハルさんがハッとした顔でこちらを見る。

「つむぎさん…」

「だって大切な友達なんでしょう?永遠に離ればなれになるくらいなら、わたしも一緒に探します!」わたしも澪ちゃんと口喧嘩して別れてしまう、何てことがあったら一生忘れられない後悔になるだろう。だから。

柏ノ木くんは一瞬驚いたような顔をしてからわたし達に向き直って

「……わかりました。つむぎさんがやるというなら協力します。三人で芳子さんを探しましょう。」


「ハルさんとつむぎさんは校舎の中を探して下さい。僕は世界中の、ハルさんと同じ夢の欠片を持った人を探します。」ハルさんと頷いて、

「はい」「うん」

私たちは校舎内を隈なく探し始めた。


「ありがとう。つむぎさん、あなたのお陰で少し心が軽くなったわ。」廊下を一緒に歩いているとふとハルさんが言った。

「えっ!わたしは……何もしてないですよ。」わたしがそう返すと、ハルさんは

「友達のこと―芳子さんのことは、夢の中で沢山の人に話しをしたの。皆励ましてくれた。いつか会えるって。泣いてくれる人もいた。でもこんな風に強く同意して、今探そうとしてくれる人はいなかった。」

「そうなんですね。でもわたしは特別な何かをしたわけじゃありませんよ。」ちょっと困ったようにおどけてわたしが言うと、

「そうかしら、夢で見ていたけれど、あなたは凄く変わっていたり特別何か秀でているわけじゃないかもしれない。でも、上手く言えないけど今この時に探そうとしてくれた、それだけが嬉しかったの。」

「……わたし、昔友達と喧嘩したことがあって。些細なことなんですけど、謝ろうと思ってもタイミングを逃してごめんねって言えないで別れてしまったことがあったんです。そのことがずっと後悔してて。だから、もし昔の自分に会えたら、勇気を出してごめんねを言って欲しい、今も後悔しないで友達に向き合いたい。多分その気持ちをハルさんに重ねたんだと思います。」

「そうね、きっとそうだわ。」会ったときと同じくにっこりとハルさんが笑った。

 その時、校舎にふわりと光が舞い始めた。長く続く廊下の奥を袴を履いた女性が走っている。ハルさんが呟いた。「芳子さん……!」不意にハルさんが走りだした。「待って芳子さん!!」私も走りだす。「待って下さい!」

 その頃、柏ノ木くんはいくつかの夢を探していた。一つの揺蕩う夢に重なる部分を見つけて、覗いてみると暖かな日差しを受けた室内だろうか。何人か車椅子のお年寄りがいる。どうやら老人ホームらしい。

「これは―」


どんなに走っても芳子さんの影には追い付けなかった。肩で息をしながら、先を走るハルさんに声を掛ける。「ハルさん!」その時、角から柏ノ木くんが現れた。「つむぎさん、お疲れ。もう大丈夫だよ。」柏ノ木はそう言って、ハルさんに呼び掛けた。「ハルさん!芳子さんに大声で呼び掛けて下さい!」ハルさんはこちらにはっと振り返って驚いた後、芳子さんの影に向かって大声で「ごめんね……!芳子さんありがとう、私と、私と友達でいてくれて!また、会おうね……。」と言った。

 すると、芳子さんの影がこちらに振り返ってにこっと笑ったように見えた。泣きながらありがとう。そう言っているようだった。


何処かの老人ホーム。

「芳子さん、大丈夫ですか?」介助をする方が心配そうに話しかける。「寝ていらっしゃったけれど、とても悲しそうで、でも少ししてゆっくり微笑まれたからよかったわぁ。」隣に座っていたご高齢の女性が言った。うたた寝していたその女性は「ええ、大丈夫よぉ。」と返して呟いた。「ごめんね。ハルさん、あの時、ごめんね。また話しましょうね。」一筋の涙が頬をつたった。


 暫くして、芳子さんに想いが伝わったことを確認してハルさんは満足そうに夢から消えていった。わたしと柏ノ木くんはそれを見送って、帰ることにした。すべてが終わって後はもう目覚めるだけだ。


 朝起きてベットに入って寝ていないのを気がついた。凄く冷えて風邪を引いてしまった。1日後、学校に向かった。あの後柏ノ木くんに学校の生徒に夢をみた影響はないのか訊いたところ、悪夢を見て負担がないよう夢の記憶を一部抜いていたため、1日2日魂が抜けたようになっていたのだという。体に負担はないから問題はないそうだ。わたしには、バクに食べられる夢こそが、悪夢だと思うのだが……。

 学校に到着すると、なんだかざわざわとしていた。澪ちゃんに聞いてみると「季節はずれの転校生だって。男子みたいよ。」「へぇー。どんな子なんだろ。」

「みなさん、席について。」先生が呼び掛けた。

「転校生を紹介しますね。こちら柏ノ木綴さんです。」「よろしくお願いします。」目を見開いた。驚いてつい指差してしまった。「えっ、ええ……?」柏ノ木くんは会ったときと同じように笑った。「君のこと面白そうだから、来てみたんだ。これからよろしくね。」また大変な出来事が起こる予感がした。


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