灰雪と銀狼の華麗なる革命輪舞曲

湊波

チェスの盤面、あるいは絢爛たる幕開け

「ルーさま、好きです。結婚してください」

「はいはいそうですね、今日は実にいい天気ですね」

「きゃ、ルーさまったら! ぜんっぜん見当違いなお返事ですわよ! もちろん、そんなところも可愛らしいのですけれど!」


 へーそうですか、と淡々と返しながら、ルーはチェスのこまを一つ進めた。


 ビルツ家のサロンは、決まって夜に開かれる。東西のあらゆる書物が収められた図書室ライブラリで、暖かな炎が暖炉だんろに灯されれば準備は終わり。


 ビルツ家の三女にして、じゃじゃ馬娘シェリ・メジェールことアンナが、上機嫌に「いらっしゃい、ルー様」と言えば、二人ぼっちのサロンの幕開けだ。


 藍色あいいろのドレスをきっちりと着たアンナは、もう日付も変わろうかというのに、今晩も元気いっぱいのようである。


「お嬢様」

「アンナと呼んで。ぜひ。できれば愛を込めて」

「ビルツお嬢様」ルーは慇懃無礼いんぎんぶれいに言い直した。「こんな夜更けまで起きてていいんですか。明日から学園に通われるのでしょう。出立の準備はよろしいので?」

「いやだわ、ルーさまったら。セバスチアンと同じことを言うのね」


 アンナは唇をとがらせたが、やっぱり視線はちらちらとルーの方に向けられている。早く駒を動かせと目だけで伝えれば、彼女はなぜかうっとりと息を吐いて呟いた。


「やっぱりルー様ったら……す、て、き……」

「阿呆なこと言ってるようなら帰りますが」

「きゃー待って待って! そういう冷たいところもいいですけれど、もう少しだけ私と遊んで! あっ、もちろんよこしまな意味ではないのよ!? あわよくばベッドに連れ込んでいただこうとか、そんなことはこれっぽっちも思っていないのよ!?」

「……早く次の手を指せよ……」


 ルーは、仲間から万年凍土まんねんとうど揶揄やゆされる眉間みけんみながら、肘掛ひじかけに体を預けた。


 アンナの暴走しがちな性格はいつものとおりだが、これを夜中にまともに受けると体力も精神もごりごりに削られるのだ。なんといっても栄光風雅えいこうふうがたるビルツ家と違い、ルーの一族はしがない猟師りょうし。その日その日を生き延びるために、朝から晩まで獲物を追い回す肉体労働なのである。


 腕はいいが、ひょろくて鉄面皮てつめんぴで愛想の欠片もない。そんなルーをアンナがどうやって見つけたのかは今をもっても謎だ。ともかくも、ビルツ家のご令嬢は泥まみれの年上の少年を見るなり恋に落ち、夜ごと図書室に彼を呼びつけるようになった。


 かれこれ十年だ。いや待て。もう十年も、この超絶前向き都合の良いようにしか解釈しない女と付き合ってるのか。気づきたくもない事実を改めて再確認してしまって、ルーは息をつく。


 アンナが盤面で駒を進める音がした。ルーは片眉をぴくりと動かす。ふざけてはいるが、彼女の一手は正確にルーの王駒キングを狙っていた。


「うふ。ルーさまの心臓を狙い撃ちですわ。きゃ、言っちゃった」


 赤くなった頬に手を当てて悩ましげに身をくねらせるアンナを、ルーは当然のごとく無視した。


 盤面へ目をやりながら、ぬるくなった紅茶に口をつける。「ねえ、ルーさま」とアンナは楽しげに問いかける。


「その紅茶、美味しい?」

「普通です」

「えへへ。褒めていただいて嬉しいわ。私がずかられたのよ」

「へえ、そうですか」

「東国で採れた、とっておきの媚薬びやくを隠し味にしているの」


 ルーは茶を噴き出した。アンナが手を叩いて笑う。


「冗談よ! ルーさまには真実の愛を見つけてほしいんですから!」

「っ、一体なんなんですか、あんた」

「だって、ルーさまの反応がとっても愛らし……じゃなかった、かっこいいんですもの!」

「どういう言い直しだ、それは。というかですね、ビルツお嬢様。俺は」

「鉄面皮で愛想がない、でしょう?」


 灰色の目を細めたアンナは、洗練された所作で紅茶を飲んだ。やれやれと首を振る。


「皆は見る目がないのよ。ルーさまほど、考えていることが分かりやすい人はいないわ。手のひらで転がしちゃいたくなっちゃう」

「最後の一言は余計です」

「あら、すねないで。とっても可愛いということよ。そう、なんというのかしら。ご主人さまのためにたくさん考えて行動するけど、おおよそ空回りしちゃってるって感じで」

「……一応これでも、暗夜あんや銀狼ぎんろうの通り名で猟師をやってるんですが……?」

「まぁ、ルー様ったら」アンナは珍しく真面目な顔つきになった。「流石に二十歳を超えて、その通り名を自分から名乗るのは恥ずかしいとは思わない?」


 いや、言わせたのはお前だろうが……というつっこみを、ルーはなんとか飲み込んだ。


 アンナのくすくすという笑い声は、暖かな図書室と柔らかな絨毯じゅうたんに染み込んで消えた。もう考えるのも億劫おっくうで、ルーは適当に駒を取り上げる。


「そういえばルー様は、どんな女性が好みなのかしら」

「おしとやかで、物静かで、勝手に妄想しない深窓しんそうの令嬢ですかね」

「きゃー! 待って待って、それって私のことじゃない!」


 どこがだよ、と内心で呻きながら、ルーは騎兵ナイト女王クイーンを狙った。

 格子のはめられた窓の外では、粉雪がちらちらと舞っている。



 *****



 銃声を合図に、ルーは塔の中に踏み込んだ。


 内乱のおりに建てられた監視塔かんしとうは、もう何十年と使われていない。本来ならばほこりっぽくて薄暗いはずだ。だというのに、猟師達を出迎えた部屋は人の姿こそ見えないものの小綺麗に整理されている。


 仲間の一人、向こう見ずな子犬テメリテ・シオことヨハンが鼻先を動かした。


「やっぱり隠れ住んでますね。火薬の臭いはないようですが」

「剣があれば十分脅威きょういだ。革命軍には手練てだれも多いと聞く」

「んー、でも隠れ鴉カシェ・フルーいわく、ここにいるのは前線に出たことのない鳥頭ばっからしいですよ。あ、ちなみに今のは能無しって意味の冗談なんですけど……いやだな頭領ったら、いくらつまらないからって、そんな今にも人殺しそうな顔しなくても痛っ」

「これは生まれつきだ」ヨハンの頭を小突き、ルーは言った。「油断は終わってからにしろ。進む時は相棒バディで、物陰にも気をつけるように。隠し部屋の位置は頭にいれてるな?」

「もっちのろんですよお。じゃあちゃちゃっと、狩りしてきまーっす」


 人懐っこい笑みを浮かべ、後頭部を押さえながらヨハンは次々と仲間に指示を出していく。三々五々に仲間が散れば、ほどなくして銃声と怒声が響き渡り始めた。狭い建物、それも螺旋らせん階段で逃げ道は一本しかない。


 わざわざ狩りに適した場所に陣を敷いてくれて、ご苦労なことだ。盤上の遊戯はお手の物でも、実戦はそうでもないらしい。


 入り口で様子を見守っていたルーは、安物の煙草を地面に吐いて仲間の一人に言いつける。


かしらは俺が仕留める。ねずみ一匹、生きて出すなよ」


 足音を殺し、ルーは素早く階段をのぼった。途中に出くわした不幸な獲物――いずれも戦闘向きではない小太りの貴族達――を仕留め、最上階に辿り着く。銃と腰元の短剣を確認し、ルーは古びた扉を開けた。


 まず彼を出迎えたのは、身を切るような冬夜の風だった。正面に据えられた窓は粉々に砕け、次から次へと粉雪が舞い込んでいる。


 そして、群青の夜を背負ってにこやかにたたずむ女が一人。


「いらっしゃい、ルーさま。お待ちしておりましたわ」

「ずいぶんと余裕なことで」

「本当? 三年ぶりにお会いできるときいて、十日前からよく眠れなかったのよ。あ、妄想のあまり興奮したわけではないから安心して」


 ルーは銃口をアンナの心臓に向けた。華やかなドレスではなく薄汚れた平民服をまとった彼女は、「あらあら」と微笑む。


「お仕事のルーさまも、とても知的で荒々しくて素敵だわ」

「目的はなんですか」

「愚問ね」アンナは穏やかに応じた。「父上を殺して革命を。圧政に苦しむ民を見るのは耐えられない。そのように報告が上がっているのではなくて?」

「そうですよ。だからこそ、それは表向きの理由だ。どこを洗っても綺麗すぎる結論しか出ないのは、あまりにもおかしい」

「さすがはお父様の猟犬。素晴らしい見立てだわ」


 アンナは、ゆっくりとルーに向かって歩き始めた。


「表向きの理由と言ったけれど、それもまた間違いなく私の本心なのよ。けれどもそう、もう一つの動機を言えば、私が世界にどこまで通用するかを試したかったから。お父様はきちんとそれを見抜いて、私を幽閉ゆうへいしてらっしゃたのでしょうけれど」

「それで学園生活でたがが外れて自由を夢見たというわけですか。馬鹿らしい」

「うふふ、自分の過ちを認めないところは殿方の悪いくせね。きちんと猫をかぶっていた私を、あなたたちが見抜けなかったというだけ」

「いずれにせよ、女が戦うなど無謀むぼうなことだ」

「時代遅れね。女の活躍をうたった英雄譚えいゆうたんというのも存在するわ」

「すべて悲劇です。そして、あなたという物語も悲劇で終わるわけだ。階下のお仲間もほとんど失った今、あなたの玉座は虚栄きょえいのものになった」

「あれはすべて、私を裏切っていた内通者。せっかく腕利きの猟師さんが来るのだから、お掃除を手伝ってもらおうと思ってね」

「へえ、そうですか」

「私の物語は、そう簡単には悲劇にはならないのよ」


 眼前で立ち止まったアンナは、銃口を己の胸に押し当てて嫣然えんぜんと笑った。


「ですから、銀狼ルー・アージェント。私のもとに下りなさい」


 夜風がびゅるりと空気を打つ。ルーは静かに返した。


「大胆な方だ。この状況で?」

「えぇ、そうよ。なかなか刺激的でしょう」

「俺が好きなのは、おしとやかな深窓の御令嬢なんですが」

「そんなもの、おやめなさい。絶対にあなたを満足させることはできないわ。あなたは私でないと駄目」

「……ふざけたことを」


 ルーは眉根を寄せてため息をついた。引き金にかけた指に力を込める。


 階下で爆発音が響き、塔全体が大きく揺れた。まるでそれを予期していたようだった。アンナが弾かれたように身をひるがえす。ルーは発砲するが、彼女は猫のような身のこなしで全てかわし、割れた窓辺に足をかけた。


「残念、そろそろ時間だわ。それでは愛しきルーさま、また会いましょうサリュー!」


 おさげを夜風になびかせて、彼女は窓の外へ身を躍らせた。ルーが窓辺に駆け寄る頃には、協力者らしい男たちが馬を駆って逃げ始めている。


 かさりと紙のこすれる音がした。窓枠に挟まった紙切れを、ルーは乱暴に開く。


『分かりやすく兵を配置しておいたのに、罠とも気づかないなんてお馬鹿さん。次のチェスまでに精進なさいね。あなたの愛しのアンナより』


 ルーは顔を引きつらせて、手元の紙をぐしゃりと握りつぶした。


 アンナ・ビルツ。それはこの国を統べるビルツ家の三女。聡明かつ勇猛果敢な軍略家。そして今や、国民を熱狂させる革命軍の女神。三年経った今、彼女を称える言葉は山とあるが、ルーにとっては今も昔も彼女を表す言葉は一つなのだった。


「……じゃじゃ馬娘シェリ・メジェールめ」ルーは苦々しく吐き捨て、伝令に来た部下に言いつける。「追うぞ。馬を用意しろ!」




 天星歴テンセイレキ二五年、黒曜月某日――圧政に苦しむ国の片隅で、腐れ縁の男女の再会が一つ。


 美しき灰雪の軍略家アンナ・ビルツと、夜統べる暗殺集団王狼の若き長ルーが夜明けをもたらすことを、革命間近のこの国はまだ、知らない。

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灰雪と銀狼の華麗なる革命輪舞曲 湊波 @souha0113

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