朝焼け

 何か嫌なことがある時、そこまでどん底に落ちないように、何か見えざる手が寸出のところで、優しさをくれてる気がする。神様だってうらまれたくないのだろう。


 それがここのところ楓だった。だから、次楓に会うときはきっと何か嫌なことが起こった時、と勝手に思ってた。けど、今回は違った。どう考えても何も悪いことは起こってない。なのにここでもう一度楓に会った。


 堤防沿いを歩いていた。深夜のバイト終わりだ。冬の明け方、頬を引き裂くような寒さが刺す。

 

 寒すぎて視点を下にしたまま歩いていると、影が伸びていた。誰かが堤防に立っている。風が吹き、長い髪が風に揺れていた。今さっき地上に降りてきたように見えた。


「…楓?」

「雪島くん?」

 楓は仁王立ちで見下ろす。とんっと堤防から飛び降りると、僕に近づいた。

「うわ、久しぶり、半年ぶり?…て、なんでそんなに驚いてるの?」

「だって…今何にも悩んでないし」

「え?」

 

 二人で堤防に腰をかけた。

「ふーん、じゃあ部費はその後、無事に返ってきたんだ」

「そう。で、その後、沢北は部で浮いたまま大学来なくなっちゃった」

 かわいそうとも思わない、自業自得だと思う。だが、ほんの少し一緒に楽しく過ごしていた日々はもう戻らないんだなって感覚はしていた。


「嫌なことがあるとわたしに会うか…」

「でもいま僕は何も嫌な事なんてないよ」

「もしかしたらわたしのほうがその法則にあてはまるのかも」

「え?」

「わたし、雪島くんに会う時、なんか嫌な事ばっかりでふてくされてたかも、言われてみたらね」

「じゃあ、今も?」

「今もね」

「何があったの?」

「うーん、たいしたことじゃないさ」

「僕が神の使いなのかもしれないなら、話を聞くべきかもね」

「何をえらそーに」

 ふっと笑うと、楓はケータイを取り出して、言った。

「今本気で戦ってんの」

「何に?」

「一番になるために」

「それはさ、恋愛的な? 夢的な?」

「夢的なほう」

「へえ」

「でさ、周りも真剣に戦ってるわけよ。そうなると、いろんな嫉妬が起きたり、関係性がギシギシしたりさ、いろんなことが起こるわけよ。中にはズル…したりさ。そんなことまで起こる」

「一番目指してんのに、小さい事気にしてんね?」

「そう、小さい事なんだよ。だけどさ、本気で自分もやってるからわかるんだ、そういうズルしちゃう気持ちも。ずるいって思っちゃう気持ちも。傷つくなってこともさ」

 僕はそこまで何かにこだわったことがない。だから、彼女がなんでそんなに意固地になってまで一番を取りたいのかわからない。

「傍から見たら滑稽かもしれないけど、今のわたしの気持ちは本気。でも全然関係ない事ばっかり眼がいっちゃう。再生回数とかフォロワーの数とか。他人と比べても仕方ないのにね」


 彼女はボーダー、超えられるってあの時、僕に無茶苦茶なキスをしてそう言ったけど、やっぱり違うんだろうな。


 あの氷を見れば解ることなのに。純水氷なんてその辺のコンビニで売ってる。そんな手間暇かけなくても透明な氷は手に入る。それなのに誰かに食べさせるために、溶けない様にあの氷を持ってきたんだ。


 まじめかよ。


「まあさ、特に力になれないけど、また話なら聞くよ」

 僕にはそれしかできないけど。たぶん僕もそう簡単にボーダーなんて超えられなくて。

「ねえ、このまま試してみてもいい? さっきの仮説」

「悪いことが起こると出会うっていうアレ?」

「うん。次はまた会った時ルールが変わってるのかもしれないし。ちょっとさ、賭けてみたいんだ。わたしと君で」


 僕らはそういうと前を向いた。


 また今度どこかでふらっと会うかもしれないし、このままもう二度と会わないかもしれない。この紫色から金色へと変わる風景をじっと眼に焼き付けようとした。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

つめたさに触れる 一宮けい @Ichimiyakei

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説