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宮﨑

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 サライエヴォの街に白いタワーが建った日を、ぼくは鮮明に覚えている。

そのときぼくはブルックリンの我が家にいて、朝食に薄味のオートミールをぱくついていた。その日はぼくお気に入りのカートゥーンが休みだったので、ダイニングには父親の趣味を反映して退屈なニュース・ショウが流れていた。

「こちら、世紀の瞬間を迎えたサラエヴォです」

 白すぎる歯を見せつけながら、リポーターが言う。

 変ななまえの街だな、とぼくは思った。『スター・ウォーズ』に出てくる宇宙人のなまえみたい、とも。

 そんなたんぱくで冒涜的なぼくの態度は、あの塔を見てすっかり変わってしまったのだ。

大きな白い塔だった。稚拙な表現だが、そうとしか形容できない。凹凸も窓も継ぎ目もなく、ただただ白く、そして巨大だった。

 そしてそのたもとにはたくさんの人々が集まり、塔の完成を祝ってお祭り騒ぎをしている。

 ぼくはその光景に釘付けになった。なんと醜いのだろう、と思った。それでいてたくさんの大人たちがそれを礼賛している様子がなんともシュールで面白かった。

 次に式典の映像が流れた。まるで作り笑いのコンテストのようだった。主な参加者はセルビア人、クロアチア人、ムスリム人の各代表と国連事務総長、欧州理事会議長、アメリカ大統領で、審査員は世界中のマスメディアたち。ふだんは民族、国家、宗教で分断されいがみ合う彼らでも、軽薄な笑みの作り方は共通しているらしい。

 審査員は全員一致で言うだろう。文句なしの満点、と。

 風船のように飛んでいってしまいそうなほど軽い笑み。

 辛口で有名な、ダウニング街のある政治記者はこう記した。

極めて政治的ではあるが、しかし理想的だextremly political but ideal 

 彼らの笑顔が意味するものは、式典における成功だけでなく、その後のボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦の恒久的な安定を意味するという。

 世界中の自称有識者たちが自信満々に語った。

「ハクスリーさん、本当にボスニアから紛争の種を根絶できるとお考えですか?」

 現地からの中継が終わったあと、映像はスタジオのものに変わった。どぎついピンク色のスーツを着たキャスターが顎をしゃくりながら問いかける。

 コメンテーターであるなんとか大学の教授はわざとらしく頷いて、

公正歴史機関ジャスト・ヒストリー・エンジンならば、不可能ではないでしょう」

 へたなショッピング番組みたいだ、とぼくは思った。

 目玉商品はユーゴスラヴィアの平和。今ならお安くなっています。


 その日のワールド・ニュース・モーニングがぼくの人生に決定的な影響を与えたとは考えたくもない。

 ぼくのルーツの一部は確かにボスニアにあって、ぼくは八分の一セルビア人で十六分の一クロアチア人だけれども、しかし残りはすべてアメリカ人だ。どういうことかというと、もはやぼくに民族的アイデンティティなんてものはこれっぽっちも残されていない、ということ。

 だから、大学でユーゴスラヴィアにおける民族浄化エスニック・クレンジングを専攻したのも、就職した新聞社に命じられてサライエヴォに特派員として赴任したのも、ただの偶然のいたずらにすぎない。

 ただ、あの白い塔に関しては別だ。


 人間の認知を是正し、民族間の憎悪を取り払い、地域の恒久平和を実現すると謳われた公正歴史機関ジャスト・ヒストリー・エンジン。いくつかのオープンラボとシンクタンク、多国籍企業MNCからなるパテント・プールが提唱したそのメルヒェンに真っ先に飛びついたのは我らがアメリカ合衆国ステイツだった。彼らにとってボスニア介入は苦い思い出でしかない。クリントンとブッシュの口喧嘩の種として始めたものの、ロンドンやモスクワとの「外交戦争」に敗北した挙句、対ムスリム人政策で大失敗を犯し、国務省で五人のユーゴ専門家が辞職するという体たらくを見せたのだ。

 もうユーゴには関わりたくない——少なくとも、大々的には。

 それがアメリカの本音だった。

 EUも、トルコも、ロシアも、他のバルカン諸国も——あれだけユーゴ内戦にこだわったドイツでさえ、やがてアメリカに追随した。理由は明らかだ。もはや紛争地域のために自国のリソースを投入した強硬策タフ・メジャーをしたがる国は地上のどこにも存在しないということだ。

 そうであるなら、まるでおもちゃで遊ぶように最新科学の実験をしたい連中や、それを利用して儲けたい連中に——つまり民間に、任せてしまえばよい。

 そうしてサライエヴォにはアメリカの手切れ金によって最初の〈タワー〉が建つことになった。第二次国際連合ボスニア・ヘルツェゴヴィナ・ミッションは、世界中のちょっぴりの善意と大いなる利害によって次なる資金を調達し、各地に次々と〈タワー〉を建造した。この醜悪な資本主義リアリズムの産物はやがてボスニア・ヘルツェゴヴィナ全土を覆い、それと同時に民族間の憎悪の応酬はぴたりと止んだ。

 そのはずだった。


「あの塔が、どうやって人間の歴史認識に介入しているか、知っているかい」

 サライエヴォのハンガリー人記者、ベトレン・ミクローシュはクロアチア・タバコをふかしながらぼくに訊いた。

 ぼくはそのとき、ベトレンの悪名高き国民車ユーゴの小さな助手席にいて、小さく首を横に振った。

「音で何かしていると訊いたけど?」

 ワールド・ニュース・モーニングはそう言っていた。

「正確には言語さ。あの塔には超指向性の極小スピーカが無数についていて、その範囲内でボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦に市民登録している人間の耳に囁いているんだ」

 ぼくは拙いセルビア・クロアチア語で、

「不一致のあるところに調和を、誤りあるところに真実を、疑いあるところに信頼を、絶望あるところに希望を」

 ベトレンは豪快に笑った。

鉄の女サッチャーか。いや、語られるのは自然言語じゃない。普遍文法に基づいて情報的に純化された、言語関数だよ」

「生成文法ってやつかい」

イゲン。はじめに言葉ロゴスありき、じゃなく、はじめに情報データありき、ってことさ」

我が神は情報なりデウス・エラト・データ。ヨハネもびっくり」

「ちょうど物質を解析していくと素粒子に行き着くように、言語からあらゆる表層を削ぎ落とすと、やがて不可分の最小構成単位ミニマムにたどり着く。その領域において言語はまったく異なる様相を見せる——人体を定義するあらゆる方程式の解として振る舞うのさ」

 ぼくはいけないことタブーを知りたがる子どものようにささやいた。

「そうか。魂か」

 ベトレンはタバコを車外に吐き出した。

「言語、記憶、感情、思考、認知、器官、組織。それらが量子場においてどのように存在しうるかを定義する数式が魂だ。それはフレームのようなもので、そこにさまざまなモジュールが積み重なって人間という存在は成立している。ただ、どのようなモジュールがどのように積み重なるかは、そのフレームのかたちによって決まる」

「歪んだ魂もあれば、社会的に正しい魂もある、と」

 歴史を正しく認識する魂。あらゆる民族の罪を赦す魂。あらゆる民族の罪を等しく認める魂。

 かつてティトーは、この恐ろしく不安定な多民族国家を治めるために徹底した公正主義をとった。あるセルビア人がブルガリア人を殴って逮捕されたとする。するとその翌日にはまったく同じ罪でアルバニア人、セルビア人、クロアチア人、マケドニア人、スロヴァキア人、モスレム人が逮捕される。

 たとえ彼らがブルガリア人など見たことすらなかったとしても。

そう、世界にとって大切なのは事実の有無ではない。公正の有無だ。そうでなければ、嘘だけが真実であるこの国は、内戦を待たずに破滅を迎えていただろう。

「じゃあ、あの塔は正しい魂のあり方を常に説教プリーチしているんだ」

 ベトレンは再び笑ったが、その口元は歪んでいた。

「そんな大規模演算を可能にするマシンは、この地上には存在しないよ」

 ぼくは沈黙によって彼の話を促した。

「一から計算ができないなら、雛形を使えばいい」

 ぼくははっとした。同時に蟲が全身を這うような嫌悪を感じた。

「誰だ」

「分からない。この地上のどこかに存在する、誰かとしか言えない」

 魂のかたち、そのモデルタイプ。

歴史ヒストリーということばには、人々の理性を惑わす力がある。公正魂機関ジャスト・ソウル・エンジン。あの塔を建てた連中は、裏でそう呼んでいるらしい」

 だれかの魂が積み重なった墓標——そう言いかけてぼくは口をつぐんだ。そのことばは、大いなる決意をもって公正なる魂を受けれたボスニア・ヘルツェゴヴィナの人々と、その魂のモデルにあまりに失礼だと気づいたからだ。

 ふと車窓を見ると、遺棄された戦車の残骸が見えた。

 あのなかに何人分の魂があるのだろう、とぼくは漠然と考えた。


 先日、ぼく行きつけのカフェ、「スプリューグ」の店主から妙な話を聞いた。

 つい最近になってサライエヴォ郊外の農村で不穏な動きが見られるのだという。

「銃を?」

「そうだ。古いQBシリーズやカラシニコフがセルビア、クロアチア国境を越えて密輸されてるらしい。しかも、その行く先はマフィアでもテロリストでもなく、ただの田舎だっていうんだよ」

「そいつに関してだが、面白い話を知ってるよ」

 スリヴォヴィッツの酒気をまとった老人がニタニタ笑いながらぼくを見ている。

「本当かい」

「サライエヴォっ子は嘘をつかないね」

 ぼくは老人をゆっくり吟味し、

「いくらだ」

「そうさな、三百兌換マルクコンヴェルティビルナ・マニカでどうだ」

「高すぎだよ」

「米ドルだったら百に負けてやるよ」

「そりゃどうしてだい、じいさん。ここでドルに使い道なんてあるの」

「そりゃあ、ここがまた戦場になりそうだからな、逃亡用の資金さね」

 ぼくは老人のしわくちゃの顔を覗き込んだ。

「どうしてそう思う」

「それが知りたきゃあ、なあ」

 ぼくはしぶしぶ、懐から取り出した百ドル札を老人に押しつけた。仕事柄、ぼくは社会保障番号SSNに紐付けられた電子マネー以外にも、キャッシュを持ち歩くようにしている。

「サライエヴォの旧市街からバニヤ・ルーカの方に十キロほどいくと、ツェペシュっていうセルビア人の小さな村がある。そこでは内戦前よろしく自警団が組織され、大人連中がガキどもを訓練してるって噂だ」

「——QBやカラシニコフの使い方を?」

 老人は何度も頷いた。

「戦争が始まるぞお。前のときも、そうだったんだ」

 どこか楽しげな口調。偽りのない、純真な笑み。

 あるいはそれが、正しい魂のかたちなのだろうか。


「よおく狙え、あの案山子を、ウスタシャの豚野郎だと思え」

 教官である老人が子どもたちに檄を飛ばす。あくまで優しく、ささやくように。

 乾いた発砲音がして、薬莢が飛ぶ。カラシニコフの七・六二ミリ弾が案山子の頭部に命中し、綿を散らして地面に倒れた。

 案山子の顔はツェペシュの村民よりも鼻が高く、細長い。クロアチア人の特徴だ。

「次はあの案山子だ。モスレムの原理主義者だ。異教徒は撃ち殺さにゃならん」

 こんどは髭のついた案山子が倒れた。ムスリム人の特徴だ。


 ミレーの絵画のような田園風景のなかに、黒い異物が混ざり込んでいる。

 カラシニコフ、QB、ツァスタバ、レミントン。ぼくらの柔らかい肉を噛みちぎろうと狙う、冷たい人工の獣たち。

 それはかつての全民衆防衛トータル・ナショナル・ディフェンスドクトリンを彷彿とさせる光景だ。国民の六割がパルチザンとして訓練されていた時代、学校のカリキュラムに実弾射撃訓練があった時代。いつソ連軍が故郷を蹂躙しても、おかしくなかった時代。

 最初はショットガン、次はピストル、そしてアサルトライフル。そうやってユーゴスラヴィアの子どもたちは、生活の一部として銃を受け入れていった。

 当時の銃口はスターリン主義とワルシャワ条約機構に向けられた。今はどこに向いているのだろうか。

不安げなベトレンがぼくにささやいた。

「何がおかしいって、あまりにも殺意を感じないことだ。みんな優しすぎる」

 ベトレンが村長と面会しているあいだ、ぼくは村長の孫のシュレヴィッチに話を聞くことができた。

 彼はとっておきの場所を案内してくれるという。

 ツェペシュ・チェトニク・ビブリオテカ、村の外れにあるぼろぼろの納屋の入り口にはそう書かれていた。

「ここにあるのは全部、おじいちゃんたちが子供の頃のストーリーだよ」

 それは図書館を名乗るにはあまりにお卒末な施設だった。

 かび臭い室内にはまともな書籍は一冊もない。手書きの、下手くそな走り書きがプラスティックファイルにまとめられて無数に置いてあるだけだ。ぼくはそのうちいくつかを手に取ってみた。

「ブラトゥーナッツにおけるモスレムの蛮行は——」

「スレブニッツア反攻で百人のモスレムを焼き殺したとき——」

「モスレム女をレイプすれば、二つの効果が得られる——」

「クロアチア人はこうやってセルビア人妊婦の腹から胎児を取り出し——」

 セルビア民兵軍、アルカン部隊、シェシェリ部隊、HOS、HVO。

 ミローシェヴィチ、バビッチ、マルデヴィッチ、トゥジマン、サンジャック。

 民族エスシニティ、そして虐殺ジェノサイド

 ユーゴスラヴィアに染み付いた、ありとあらゆる血生臭いことばがそこにはあった。それは老人たちのノンフィクション・エログロミリタリー小説で、心底くだらないものだった。

 狂気を媒介する死者たちのことば。

 ぼくは吐き気を催した。

「これは、いったい」

「ツェペシュの子どもは、こうやって書かれたものから歴史を学ぶんだ。話すことばは形だけのさえずりだけど、書くことばには魂が宿ってるんだって」

 ぼくはたまらず図書館から飛び出した。

そしてディナ・アルプスに沈む夕日に向かって嘔吐した。消化途中のチェバププチがてらてらと光っている。

「大丈夫?」

 シュレヴィッチは本当に優しかった。よそもののぼくに、とことん親切だった。

「もし、もし私がクロアチア人だったら、こうやって心配してくれるかい」

 ぼくの心に生じた直感は、いつの間にかことばになっていた。

 シュレヴィッチは意外そうな顔をして、

「もちろん」

「——」

「だって僕らはわかっているもの。クロアチア人、セルビア人、モスレム人はお互いに仲良くしなくちゃいけないって。前回の紛争だって、だれが悪いわけでもなくみんなが加害者で被害者なんだって。塔が教えてくれるから」

 シュレヴィッチは地平線を指さした。乾き切ったカルストの大地に、サライエヴォのよりひとまわり小さい〈タワー〉がそびえている。

「わかっていて、彼らを憎むのかい?」

「憎む?」

彼はその大きな目を瞬かせた。

「お兄さんは、ぼくたちがモスレム人やクロアチア人を憎んでると思ってるの?」

 ぼくは怯えた。その態度が、あまりにも純真だったから。

「ちがうよ。ぼくたちは彼らと仲良しだ。おじいちゃんだってそうだ。塔ができてから。ぼくらは変わったんだよ」

「でもクロチアチア人やモスレム人に見立てた案山子を、君は撃ってた」

 ぼくは泣きそうだった。世界の理不尽が、目の前の少年に詰まっていたからだ。

「たしかにぼくらはおじいちゃんの話どおり、彼らを撃ち殺すつもりだ。殴り殺すつもりだ。焼き殺すつもりだ。でもそれは憎んでいるからじゃないよ」

 シュレヴィッチの笑みは眩しかった。サライエヴォに最初の〈タワー〉を建てた連中の何倍も美しく、残酷な笑みだった。

「おおい、シュレヴィッチ。そろそろ帰ろう」

 老人の声が遠くでした。

「ごめん、もう時間だ。今夜はレイプの仕方をおじいちゃんから習うんだ」

 シュレヴィッチの後ろ姿はボスニアの闇の中に溶けていった。


 ツェペシュからサライエヴォにどうやって帰ったか、ぼくはよく覚えていない。

「チェトニック、ウスタシャ、原理主義、公正歴史機関ジャスト・ヒストリー・エンジン

 ホテルに帰ったあと、ベトレンは泣きべそをかきながら何度も、何度も繰り返した。

 でもそれだけだ。大したことじゃあない。

 サライエヴォに帰って三日後には戦闘が始まった。バニヤ・ルーカで、ビーハッチで、グリーナで、ペトゥリニヤで、神さまがあらゆる平和や安定をボスニア・ヘルツェゴヴィナから浄化クレンジングしようとしているかのようだった。

 ジェノサイド、レイプ、バイオレンス、そんなことばが約半世紀ぶりに旧ユーゴスラヴィアの、アメリカの、世界のメディアを駆け巡った。

 ぼくはといえば、サライエヴォの〈タワー〉に近いアパートに引きこもって、記事を書き続けている。

 先週、テレビ局の方で銃撃戦があって、取材の最中だったベトレンの頭が吹き飛んだ。

 三日前は郊外の学校でたくさんの子供が撲殺された。

 昨日は食料配給の長い列に砲弾が着弾し、大勢死んだ。

 そう記述してしまうのは簡単だ。しかしことばは暴力だ。

 書かれたことばが書いたものの魂を宿し、次の世代に暴力の禍根を残すとしたら。老人の子どもの頃の話が、孫たちを戦場に駆り立てるとしたら。

 そうだ。きっとこの惨状を目撃しているぼくたちの魂は、憎悪と恐怖にまみれている。

 だから、ぼくたちにできることは暴力を描写することではなく、憎しみを記述することではなく、きっと祈りを紡ぐことだけだ。

 世界中を祈りで満たすことだけだ。なぜなら、祈りとはこの世で最も無駄なことばだからだ。

 公正なる歴史も、公正なる魂も、関係ない。

 セルビアもクロアチアもムスリムも関係ない。

 ジェノサイドもエスニッククレンジングもレイプも関係ない。

 さあ紡ごう、祈りを。解いていって骨格も残らぬような、情報量のない祈りで世界を満たそう。方程式の解が無限となるような、何人にも伝えられぬような、模倣されないような、将来の子どもたちにばかにされるような、そんな無為で無垢で無心の祈りを紡ごう。

 ぼくはボスニアが嫌いだ。バルカンが嫌いだ。ヨーロッパが嫌いだ。世界が嫌いだ。

 そんな世界を定義するあらゆる言語が嫌いだ。だが、ほかに僕たちを定義できるものなど、どこにもない。

 

 



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