「なんか、もう死にたいです」

kgin

第1話 「なんか、もう死にたいです」

「なんか、もう死にたいです」



 数分ためらったあとに、思い切って送信ボタンを押した。メール送信中の画面がもどかしく、長く感じる。ようやく「送信完了」が表示されたときには、もう動悸は止まっていた。



 死にたいのは、ウソじゃない。というか、いつでも死にたかった。たまたま今日は、とても死にたかっただけ。別に、構って欲しいから言っているワケでもない。ただ、誰にも知られずにこの気持ちがちていくのが嫌だった。


 


 一人の部屋は、遮光カーテンを閉め切って薄暗い。大学をサボった平日の昼間、女子寮の3階は怖いほど静か。散らばった睡眠薬のパッケージをパキパキと折りながら、これからどうするか考える。メールが返って来なかったら、それはつまり、ひかれたってことだろう。当然だ。普段のアタシの言動を見ていたら、真剣には取り合わない。そうなると、次のサークルのとき、かなり気まずい。どんな顔して、部室に行こうか。……メールが返って来たら、冗談でごまかしたらいい。



 そのとき、お気に入りの着うたが大音量でロックを奏でた。サークル専用の曲だ。急いでチカチカとピンク色に点滅するそれを拾い上げて、メールを開く。


「今から、そっち行くわ」


 顔文字も絵文字もない無機質な文が、先輩の単調な口調と重なった。まさか、直接来てくれるとは、思ってもなかった。サークルでは真面目な顔なんて見せたこともない人だったからこそ、メールしたんだから。日頃のふざけた調子で、笑い飛ばされるものだとばかり思っていた。まさか直接、来てくれるとは。


「はい。すみません」


「駅、着いたらメールする」


 さすがに、女子寮に先輩を入れるわけには行かない。大学から寮の最寄り駅まで、東西線で15分。駅に迎えに行かないと悪いから、とりあえず部屋着を黒のTシャツワンピに着替える。手近なものをポイポイとバッグに放り込んで、ロッキンホースで部屋を出る。早歩きで駅に向かいながら、動悸がぶり返す。とんでもないことになってきた。




「おい、大丈夫か」


 改札前のパン屋のウインドウにもたれながら座り込んでいたら、頭上から特徴的な細い声がした。


「……ヒロキさん」


 返事をしたつもりが、思ったよりしゃがれて、カスカスの声になってしまった。先輩は、ペシッとアタシの頭を叩いて、


「ほら、立て」


 と、いつもの軽い調子で言った。掴んだ掌は、汗ばんでいた。急いで来たのだろう、不思議と嫌じゃなかった。それどころか、やっぱりアタシはこの人を求めているんだなあと感じる。


「なんか、すみません」


「いいから、ちょっと来い」


 ずんずん歩いていく先輩の後ろを大股で着いて行く。線路沿いの路地を入ったところの、間口の狭い店、看板を見た先輩が振り返った。


「ここのコーヒーがうまいらしいから、一回来てみたかったんだよ」


 だから、気にするな。と、飄々ひょうひょうと言いながら、薄く笑った。店内は、カフェというより、珈琲店という感じの落ち着いた雰囲気だった。先輩は、一番奥の、隅っこの席に勝手に座って、灰皿を引き寄せて早速、一服していた。喫煙所で嗅ぎなれたフィリップモリス・ライトの香りに誘われて、アタシもJPSを一本取り出す。肺いっぱいに吸い込まずに、喉元と口内で煙を含む吸い方を教えてくれたのも、先輩だった。伏し目がちにタバコをくゆらせていると、長い睫毛、薄い唇、灰を落とす仕草が妙に大人っぽい。たった2歳しか違わないのに、悔しくて、追いつきたくて、アタシもタバコを始めたのだった。


「すみません、ブレンドを。お前、何にするの」


「あ、じゃあエスプレッソで……」


「いつも甘ったるいの飲んでるくせに、大丈夫か」


「大丈夫、ですよ」


 出されたエスプレッソは、当然のように苦くて、アタシはお冷やを3杯もおかわりした。先輩は、そんなアタシを小馬鹿にしたように笑って見ていた。その笑っている顔を見て、生暖かい妥協めいた気持ちが浮かんだ。先輩がブレンドを飲むのに合わせて、エスプレッソのカップを舐めながら他愛もない話をした。最後まで何かあったのか、とか、何で死にたいんだ、とか、そんなことは一切聞いてこなかった。アタシも、このふざけたような優しさに浸っているのが気持ちよすぎて、何も言い出せなかった。




「じゃあな、明日のサークル、来いよ」


「はい」


 改札前でバイトに行く先輩を見送った後、小走りに寮に帰って、泣いた。先輩のことが好きだったのかもしれない。ただ、こんなときにも心を開けない自分には、誰かを好きになる資格なんてないように思えた。何より、犯罪者すれすれの幼女好きな先輩には、到底好きになってもらえないだろうと思った。


バッグにねじ込んだJPSのボックスを引っ張り出して、タバコごとぐちゃっと潰した。そしてゴミ箱の中に叩きつけた。もう、動悸も涙も、止まっていた。


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