14の課題

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第1話 とりあえず全部入れてみた

 その日のことを、彼女は決して忘れる事ができない。見慣れた板張りの天井の代わりに、紫色の天蓋が彼女を覆い尽くしていた。


 目覚めた彼女は、鬱蒼と茂るジャカランダの森に自身を見出した。

 映画『コイサンマン』の世界ならいざ知らず、Covid-19のワクチン接種が進む21世紀で、就寝中に家が森に喰らい尽くされるというのは、いかにも奇妙なことではあった。


 しかし人々が気づかぬ間に――それこそ彼女がキャンディス・ブーシェへの憧れと、秘めた嫉妬(……美しい著名人に対して少女が抱く感情は常に崇拝と妬みが混在している)をしたためかけた電子メールを、書いては消し、書いては消している間にも、森は人知れずヨハネスブルグの街を侵食しつつあった。


ネルソン・マンデラの下でアパルトヘイトという過去最悪の出来事を克服し、2010年サッカー・ワールドカップを成功に導いたこの国に、人知れず迫りくる過去最悪の危機について、人々は気づくよしもなかった。


彼女は5秒で精神を研ぎ澄ます事ができた。

海賊である父親、オブライエンをも、彼女はそうしてやり過ごしてきた。

オブライエンは、目に入れても痛くないほど彼女を可愛がっていた。

そして、成長した彼女の肉体を満たしたいと思うほどに、彼女を求めていた。

若くして亡くなった妻の生き写しである彼女に対する欲望を、父はどうする事もできなかったのだろう。父は彼女を犯し、人目につかぬ部分へと暴力の痕跡を残し、そうして最後に赦しを乞うた。

陽だまりの日々がしばらく続き、スコールのような唐突さで父は再び荒れ狂い、彼女を蹂躙し、そして陽射しが差しこむ。そして、彼は赦しを乞う。その繰り返しだった。

彼女はいつも、日曜日に教会へと通っていた。彼女は祈りを捧げ、時に告解をした。


 彼女の思考の歯車は瞬時に回転を開始した。遭難者は、なるべくその場を動かないのが鉄則だが、それは救助が期待できる場合の話だ。

 救助隊など来るわけがない。ヒョウやライオン、ワニなどに出くわすのがオチだ。しかし闇雲に動けば良いというものではない。焦る気持ちを抑えるため、彼女は深呼吸をし、神へ祈った。


 粘つくような土に膝を浸しながら、彼女は祈った。アメリカ中西部で少女時代を過ごしたローラ・ワイルダーもかくやという熱心さで、彼女は祈りを捧げるのだった。

 唐突にやってきたスコールが、彼女の服を汚しても、彼女は微動だにせず祈り続けた。彼女にとって、オブライエンのスコールに比べれば、こんなスコールなど物の数にも入らなかった。神は耐え忍ぶ者を愛す。


 茂るジャカランダの木立の隙間から、やがて太陽の光が差しこんだ。

 彼女は神に感謝を捧げ、そしてにぃっと唇の端を大きく広げて笑った。

 紫の花を戴くジャカランダの枝先に、焼き鳥のように串刺しにされたのは、哀れなるオブライエンのもぎ取られた右腕だった。罪深き彼の、べとりべとりと粘つく体液が恩寵となり、彼女の行く道を指し示してくれた。

 濃密な森の出口へと、オブライエンの残骸がまき散らされている。

 海賊オブライエンの死と、森からの脱出。

 彼女が毎週願った祈りと、喫緊の彼女の祈りは、見事に成就したのだ。







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