掃き溜めの男たち

@Mmoon

メン・イン・ブラック

 5:00AM

 体が燃えるように熱い。息がうまくできない。できることといったら、自分の血が雨で流されていくのを見つめるぐらいだ。

 俺は死ぬのかもしれない。それも悪くない。元々楽しみなんて無い人生だった。それに、自分の正義に従って行動できたのだ。後悔は無い。

 ただ一つ、気がかりなのはあいつらの行方だ。あいつらはあの後どうなったのだろうか、逃げ切ったのか、それとも……。

 警察の話し声が微かに聞こえてくる。

「……犯人グループを発見……。……発砲、……全員死亡……。繰り返す、犯人……」

 雨が強くなる。段々と視界が狭まってくる。それなのに、見つめる地面は少しずつ明るくなっていく。不思議に思った瞬間、その現象の意味に気が付き、ふ、と微笑んだ。

 もうすぐ朝が来る。


 3:47 AM

「はぁ……」

 深いため息をつきながら、椅子から立ち上がった。あくびをしながら鞄を乱雑に取り、エレベーターへと向かう。もうこんな時間だというのに、これから家に帰らなければならないのだ。

 うちの会社はなぜか寝泊りする事ができない。こんな時間まで働いているのなら殆ど泊っているようなものだと思うが……。その事を指摘すれば、いつも不機嫌な上司が怒鳴りつけてくる事は間違いないので、絶対に言わない。

 それに、そんな事よりも声を大にして言いたいのは、これだけ働いているというのに、生活が楽になる気配が全く無い事だ。

 最近は家と会社を往復するだけの毎日だというのに、給料は増えるどころか少しずつ減り続けている。

 それでも、この街には他にまともな仕事なんて無いから、辞めることもできない。ぎりぎりの生活だから、こんな街から出ていくこともできない。

 こんな生活、死んでいるようなものだ。

 携帯でぼうっとニュースを見ながら、人ごとのように現状のおさらいをしていると、物騒な文字が目に入ってきた。『銀行で強盗が発生。犯人は逃走中。』、昨日の朝発生した事件らしい。結構近くの銀行だ。強盗なんていつもの事だが、最近は何だか頻繁に起きているような気がする。

 俺も流行りに乗って強盗をやってみるか? ふと浮かんだ不謹慎で馬鹿げたアイデアを自嘲的に笑い飛ばしたところで、エレベーターが開いた。ネクタイの結び目を強引に引っ張り、緩める。スーツなんてもううんざりだ。こんなもの脱ぎ捨てて、さっさと寝てしまいたい。

 悪しき風習に辟易しながら、会社に暫しの別れを告げ、薄暗い寂れた通りを歩き我が家に向かう。

 同じようなデザインの住宅と、ひび割れ、消えかかった街灯だけが立ち並ぶ、どんなに進んでも何の変化も無い、何の感情も湧かない道。

 ただでさえ眠いというのに、そんな場所を歩くのは拷問に近い。退屈すぎて何か考えていないと気絶しそうだ。

 何か楽しい事でも考えよう。楽しいこと、楽しい……。

 そうだ、この街を出たらどんな仕事に就くか。やりたい仕事か……。俺は何になりたいのだろうか。

 子供の頃はヒーローになりたかったはずだ。空を飛んで、ビームを撃って、人々を助けて、悪者を倒して……。

 「悪者を倒す」といえば警官だろうか。まあ、それも良いかもしれない。こんな人間に務まるような仕事でもないとは思うが。この街でなかったら、それなりに機能しているはずだろう。それに、自分の正義に従って行動できるのだとしたら、それは何よりも尊い事だと思う。そんな風に生きられるのなら、いつ死んだって満足できるはずだ。

 しかし、こんな歳にもなってヒーローになるなんていう非日常に憧れて、自分の正義に従うだとか考えているのは少しクサいかもしれないな、と思考が自虐的な自己分析にまで至った所で、ようやく愛しの我が家に到着した。二階しかない小さなアパート。家賃が安いという理由で一階に住んでいる。

 こんな事を考えてしまうのも、ずっと寝ずに働いていたせいだ、少しだけでも睡眠を取ればいつも通り何も考えずにいられるだろう。そう自分に言い聞かせ、あまりの眠さに殆ど目を瞑りながら、ふらふらとした足取りでドアに向かう。鍵を差し込み、回しながらドアノブを捻る。今まで数え切れない程繰り返してきた、半ば無意識下での行動。しかし、今回は初めて違和感があった。

 ……回らない?

 初めて起きた事象に少し動揺しながら、強引に鍵を回そうとする。今まで聞いたことのない不気味な音を立て、少しずつ鍵穴が傾いていく。力を込めると、何とか回すことができた。一体何だったんだ……?

 疑問を覚える開き方ではあったが、まあいい。とにかく、やっと家に帰ることができたのだ。ほのかな安堵感に浸りながら、ドアを開けた。


 4:59 AM

「クソッ!」

「おい、なに止まってんだ! 早く走れ!」

「足を挫いた! 俺の事はいいから逃げろ!」

「そんな事する訳ねえだろ! 早く来い!」

「いいから逃げるぞ、ブルー!」

「何言ってんだホワイト! 仲間を置いてけっていうのか⁉」

 銃声。

「……ッ! ち、くしょ……」

「おい、どうした⁉」

「撃たれたんだ! 早く逃げないと俺たちも危ない!」

「……クソッ!」

 ………………

「何とか撒けたか……?」

「クソッ! なんでこんな事になっちまったんだ!」

「オレンジの奴だ……! あの野郎、俺たちを裏切りやがった! クソッ! クソッ‼」

 銃声。銃声。銃声。

「……ウグッ!」

「……ウワァ!」

「……クソ……最悪の……日、だ…………」


 4:11 AM

「……………………」

 おかしい。ここは俺の部屋のはずだ。会社からやっとの思いで帰ってきて、これからベッドで暫しの休憩に入る事になっているはず。

 理解できない光景を前に、自分の今までの状況を再確認する。そうなっているはずだ。なのに……何で知らない男が俺の部屋にいる? しかも三人も!

 理解できないのはそれだけではない。なぜか全員、俺と同じ黒のスーツを着ている。会社帰りの俺が言う事ではないが、三人もの男が揃いも揃ってこんな時間に、スーツを着たまま部屋に座っているという事実だけでも十分不自然だ。

「よう、やっと来たか。」

 唖然としていると、一人が口を開いた。少し太っている、グレーがかった髪色の中年男性。五十代くらいだろうか。

 冷静に外見を分析しながらも、頭の中は混乱と、少しの怒りで占められていた。

 何を言ってるんだこいつは? ここは俺の部屋だ。迎え入れるような態度を家主である俺に取るんじゃない。それに、記憶を必死に辿っても全く見覚えの無い男だ。そいつがなぜ俺の事を知っているみたいに話しかけてきている?

「俺がホワイトだ。こいつがブルーで、そっちのやつがピンク。」

 そう言って、両隣に座っている男をそれぞれ指さす。ホワイト? ピンク? 何の話をしてるんだこいつ? なぜ名前が色なんだ?

「今日はよろしく、オレンジ。」

 オレンジって俺か? なぜ俺の事も色で呼ぶ?

「あ、あぁ。」

 何か返事を、と声を絞り出したが、気の抜けた声が出てしまった。

「よう、あんたがオレンジか。今日は期待してるぜ。」

 今度は隣の奴が話しかけてきた。がっちりとした体格に、浅黒い肌。少し俺よりは年を取っているようだ。三十代くらいだろう。確か……ブルー、だったか?

「お、おう。」

 またしても気の抜けた返事。

「とうとう全員集まったか……興奮してきたぜ!」

 続けてブルーが言う。激しく貧乏ゆすりをしながら。というか、俺が入ってきてからずっと彼は手だったり足だったりを動かし続けている。身振り手振りも大げさだ。何だかこいつ落ち着きが無いな。

「おい、力み過ぎるなよブルー。」

 ホワイトが諫める。

「ビビってるのか? まったく、こんな腰抜けとなんて先が思いやられるよ。」

 今度はピンクが煽る。痩せ型な体系の割に身長は高く、青白い顔色も相まって不健康そうな印象を受ける。三人の中では最も若く、俺と同じ二十代ぐらいか。喋り方からして相当の皮肉屋のようだ。しかし、男の名前にピンクは少しおかしくないだろうか。もっといい色があるだろう。ブラックとか。

「腰抜けだと⁉ ピンク、ビビってんのはお前の方だろ!」

 ブルーが怒鳴る。

「いや、そんなわけないだろ。ビビってるのはお前だけ。」

「お前、舐めてんのか⁉」

「おい、止めろ二人とも!」

 そこから口論に発展していく。何やってんだこいつら……。

 だが、こちらに向けられた目が消え、少し考える時間ができたおかげで、何とか冷静さを取り戻してきた。

 恐らく、彼らは俺の事を『Mr.オレンジ』だと勘違いしているのだ。なぜ皆そんな名前なのかは分からないが。そして、部屋を間違えているのは俺の方。鍵穴に違和感があるとは思ったが、まさか違う部屋だとは……。しかし、多少強引だったとしても違う鍵で開けられるとは、このアパートのセキュリティはどうなっているんだ?

 この街の酷さを再認識した所で、今度はぐるりと部屋全体を見渡す。よく見ると、俺の部屋とはずいぶん違う。俺の部屋は、ただでさえ小さいワンルームに所狭しと物が積み上げられていて、かなりごちゃごちゃしているのだ。それに対してここは、何のインテリアも、テーブルすらなく、あまりにも殺風景だ。あるのは三人と俺が中心を囲うように座っている椅子と、壁際に無造作に置かれている大きな袋のみ。どこかちぐはぐな感じがする。三人もいたというのに、生活感がなさすぎるのだ。

 自分が置かれている状況と、その奇妙さを整理したうえで、それでも分からないのは彼らが今ここに集まっている理由だ。口ぶりと、俺の存在が咎められていない事から推察するに、オレンジと彼らはまだ一度も会った事が無い。だというのに、皆俺を、いやオレンジを信頼しているようだった。

 そして、ホワイトは俺に『今夜はよろしく』と言った。額面通り捉えれば、これから何かをするためにここに集まったとするのが自然だ。ならば何を?

 ……考えていてもしょうがない。何しろ考えるだけの情報が無い。

 正直、この場を切り抜けたいなら「俺はオレンジではなく、このアパートに住むただの隣人だ」と宣言すればいい話ではあるのだ。しかし、久方ぶりの仕事以外での会話に少し心が躍っているのも事実であり、せっかくの非日常体験を投げ出すのも勿体無い。それに、ある種の推理ゲームだと考えれば興味深い謎でもある。そう考えると、少しずつだが、この状況も楽しく思えてきた。

 ……何か重要な事を見落としているような気がするが。

 まあいい、乗り掛かった舟だ。無理矢理乗せられたようなものだが。思い切ってこちらから聞き出してみよう。

「な、なあ。」

 俺が呼びかけると、皆が一斉にこちらに顔を向ける。そんなに見ないでくれ。

「俺たちって、これからやる事のために、ここに集まってきたんだよな。なら、その話をしようぜ。」

 ……少し迂闊だったか? もっと慎重になるべきだったかもしれない、と内省していると、ピンクが気怠げに口を開いた。

「確かにそうだな。この馬鹿と話すのも疲れた。計画をもう一回確認するか。」

「なんだと!」

「まあまあ。俺もオレンジの意見には賛成だ。なんせ、俺たちの人生を左右するって言ってもいいぐらいだしな。」

 ブルーが突っかかり、ホワイトが宥める。

「……チッ! しょうがねぇな。」

 よし。少し不安だったが、思ったよりすんなり彼らの目的を知る事ができそうだ。

 しかし、ホワイトの発言が少し引っ掛かる。『俺たちの人生を左右する』? 何か重大な事をやろうとしているのか?

 他人のプライバシーに無断で踏み込む事に罪の意識を感じはしたが、それと同時に、好奇心は抑えきれない程に膨れ上がっていた。これから人生を左右するような事をするなんて。これこそ俺が求めていた非日常体験だ!

 一人で勝手に盛り上がっていると、ホワイトがゆっくりと語り始めた。

「じゃあ段取りをもう一度説明するぞ。ここを五時に出て、店の前に車を止めたら、俺とオレンジ、ブルーが車を降りる。ピンクは車で待機だ。俺は出口で見張りをするから、オレンジとブルーは店に突入しろ。店員を脅して、店の奥から宝石を持って来させるんだ。抵抗したら一人二人ぐらいなら殺して構わない。」

 ……………………………………何だって?

 ぽつぽつと、雨が窓を叩く音が微かに響いた。


 4:49 AM

 雨音がどんどん強くなる。窓の方に目をやると、雨が強すぎて外の景色が全く見えない程だった。土砂降りと言っていいだろう。朝まで続くようなら最悪だ、益々会社に行くのが億劫になってしまう、と窓を見つめながら少し憂鬱な気分になった所でようやく、自分が無意識に現実逃避をしていた事に気づき、我に返る。

 こんな状況で出社できるって?

「お前は成功したらどうする? ブルー。」

「俺は酒と女にでもパーッと使うかなぁ。無くなったらまたやりゃいいだけだろ?」

「何度も何度もできると思ってんのか? 計画性の無い奴だ。」

「お前は何で俺に毎回文句言ってくんだピンク!」

「落ち着けよブルー。ピンクもそんなに噛みつくな。そうだ、オレンジは何かやりたい事あるか?」

「あ、あぁ。……そうだな、とりあえずこの街を出たいかな。」

「おいおい、そんなの今だってできるじゃねぇか! 大金が入るんだぜ? もっと豪快に使えよ!」

「ハハ……」

 冷や汗が頬を伝う。

 まさか隣人が宝石強盗を企んでいたなんて……。いくら治安が悪いとはいえ、ここまでだとは流石に予想外だった。

 計画の全容を聞かされた俺は、彼らとの勘違いを伝え、この場から立ち去ることもできず、最悪の可能性に恐れ慄きながら、彼らと何とか話を合わせながら慎重に会話を続けていた。

 彼らは犯行手口以外にも色々な話を俺にしてくれた。

 立案者は四人ではなく、彼らのボスであること。彼らはそのボスに様々な場所から集められた、所謂アウトローであること。今までは個別に指令を受けていて、決行日である今日に初めて集合場所であるこの部屋にやって来たため、それぞれ全員が初対面であること。ここは俺の真隣の部屋であること。誰かがしくじって捕まったとしても足がつかないように、互いを色のコードネームで呼び合っていること。

 なぜ皆スーツなのか? その疑問についてはブルーが答えてくれた。曰く、『やっぱこの恰好が一番気合入るよな』だそうだ。全く賛同できない。

 だが、その拘りがなければ、『一人二人ぐらいなら殺して構わない』なんて平気で言う連中だ、俺は今頃物言わぬ死体になっていただろう。そう考えると、今は感謝しなければならない。

 その他は殆どがどうでもいい情報だったが、おおよその状況は分かった。今から考えなければならないのは、この場から逃げ出す方策だ。このまま話を合わせ続けてもいずれ限界が来る。今までの会話の中でも、危ない場面はいくつかあった。今までばれていないのが不思議なくらいだ。

 何とかして脱出しなければ。だが、出発の時間は刻一刻と迫っている。ここまで直前になって急に外出しだすのは不自然だ。

 さらに、不甲斐ない事実でもあるが、この部屋は四人も集まっていると少し狭苦しいくらいには小さい。部屋の中であれば、どこに居ても俺の一挙手一投足は皆に丸見え、こんな状況の中こっそり逃げ出すのは殆ど不可能だ。

 どうしようもないのか。危機的な状況を前に絶望しかけたが、感情を無理矢理抑えこみ、何とか頭を冷やす。

 すると今度は不意に、ふつふつと怒りがこみ上げてきた。

 こいつらは犯罪者だ。なぜ悪人相手に善良な市民である俺がここまで怯えたり頭を抱えたりしなくちゃならない? そんな目に合うのは本来こいつらの方であるはずだ。

 同時に、自分のやるべき事を確信した。俺の使命はこいつらを止めることだ。つい数時間前に思い起こした夢が、実感を伴ったイメージとして浮かんでくる。子供の頃憧れた、悪者を倒すヒーローに俺はなるんだ。

 そんな事をすれば、俺は死ぬかもしれない。だが、それでもいい。自分の正義に従って行動できたのであれば、後悔は無い。そうだ。そのはずだ。

「……おっと、もうこんな時間か。雑談は終わりにしてそろそろ出発するぞ。」

 ホワイトが立ち上がり、袋を持って部屋を出ようとする。

 そうはさせるか。

「おい!」

 ドアの前に立ち塞がり、声を上げると、三人は怪訝な顔をして俺に注目した。

 やってやる、やってやるぞ。俺がこいつらを止めるんだ。

 次に発する言葉を決め、大声で張り上げようとした、その時。微かに感じていた違和感の正体に気づき、一瞬固まる。

 

 大きな音を立てながら、ドアが開いた。


 4:04 AM

「……………………」

「おい、ピンク。いつまで外見てんだ? サツに怪しまれたりしたらやばいだろ。ドア閉めてこっち来いよ。」

「わざわざこんな所にサツが来る訳無いだろ。少しは考えろよ。」

「何だと⁉ 来るかもしんねえだろ!」

「おいおい、いがみ合うな。ピンク、もういいから戻って来い。少し遅れてはいるが、もうすぐ来るだろう。」

「……分かったよ。」

「お前、ホワイトの言う事は素直に聞くんだな。」

「まあ、年上だからな。」

「俺も年上だろうが!」


 ……退屈すぎて何か考えていないと気絶しそうだ。何か楽しい事でも考えよう。楽しいこと、楽しい……。


「やっとこの日が来たぜ……! もう貧乏生活とはおさらばだ!」

「喜ぶのはまだ早いぞ、ブルー。でも、気持ちは分かるよ。これが成功したら俺たちは大金持ちだ。暫くは生活に困らない。」

「そそっかしい奴だ。まあ、言いたい事は分かるけどな。」


 ……こんな事を考えてしまうのも、ずっと寝ずに働いていたせいだ、少しだけでも睡眠を取れば……


「それにしても、こんな時間まで起きているのは久しぶりだな。少し眠い……」

「おいおい、お子様はもう寝る時間ってかあ? 困った奴だぜ。」

「う、うるさい。俺を子ども扱いするな。」

「へいへい。年下の言う事だけど素直に聞いてやるよ。」

「コイツ……」


 ……回らない?


「ブルー、お前とオレンジは実行犯だ。連携が取れるよう、ちゃんと意思疎通しておけよ。」

「勿論! ああ、どんな奴なんだろうな。楽しみだぜ……!」


 ……やっと家に帰ることができたのだ。ほのかな安堵感に浸りながら、ドアを開けた。


 4:54 AM

「動くな!」

 重装備に身を包み、銃を携えた三人が、ぞろぞろと部屋に突入してくる。

「おい何なんだよこいつら⁉」

 ブルーが叫ぶ。返答は無い。ホワイトも、ピンクも状況を理解できていないようだ。二人共困惑した表情で周りをきょろきょろと見回している。

 勿論、俺も何が起きているのか全く分からない。

「全員壁に並んで手を挙げろ!」

 銃を向けられ、なす術もなく行動を強制させられる。

「犯人グループを確保。これより拘束する。」

 緊張感に満ちた、しかし、達成感を含んだ声。

「クソッ!」

 ホワイトが吐き捨てる。

 三人が悔しげに顔を歪めるなか、俺だけは奇妙な充足感に包まれていた。

 恐らく、押し入ってきたのは強盗の情報を掴み、彼らを捕まえにやってきた警察だ。オレンジがこの時間になっても来ていない事を鑑みるに、大方彼が三人を裏切ったか、途中で捕まって居場所を吐いてしまったのだ。

 目的は成し遂げられた。最早今やるべき事は何も無い。このまま捕まっても、正直に話せば俺だけは解放してくれるだろう。

 これでいいんだ。悪は挫かれた。俺は何もできなかったが、これからだって、ヒーローになれる瞬間は来るはずだ。その時に、またやれば──

「畜生、何にもできないまま終わりかよ……」

 痺れるような衝撃が体に駆け回った。

 反射のようなものだった。一瞬、自分の身体ではないかのような錯覚に陥る。初めての感覚に戸惑ったが、すぐに理由は分かった。

 彼らの情けない姿を見て浮かんできたのが優越感、満足感ではなく、憐憫や同情だったからだ。

 なぜ気づかなかったんだ。後悔と共に、波のように感情が溢れてくる。

 彼らは俺だ。何かを成し遂げようと奮起して、結局何もできなかった今日までの俺自身なんだ。

 朧げだった幼い頃の思い出が鮮明に蘇る。そうだ、俺が憧れたのは、悪者を倒す姿じゃない。弱い人を助ける姿だったんだ。それこそが俺の正義だった。

 俺の使命は彼らを止める事ではない。守る事だったんだ。そして、ヒーローになるのはまたの機会じゃない、今だ。

 今度こそは本当だ。心の底から、やらなければならないと思った事だ。

 やってやる。俺が彼らを助けてみせる。

 素早く振り向き、その勢いのまま警察の一人に体当たりする。態勢を崩し、銃が手から離れた瞬間に奪い、そいつのこめかみに銃を突きつける。

「こいつが撃たれたくなかったら銃を下ろせ!」

 残りの二人が不本意そうに銃を下げたのを確認した後、驚いた表情でこちらを見ている同胞たちに向かって叫ぶ。

「お前らは逃げろ! ここは俺が何とかする!」

 少しの静寂が訪れ、やっと状況を飲み込んだらしいピンクが答えた。

「仲間を置いて行けるか! 俺たちも戦う!」

 ああ、こんな俺を仲間と呼んでくれるのか。

「そうだ! 計画を成功させて、この街を出るんだろ⁉ オレンジ!」

 ブルーも続く。

「俺はオレンジじゃない。」

 そうだ、これだけは言っておかないといけない。俺は本来、お前らと出会うはずのなかった人間なんだ。

「どういう事だ⁉」

 ピンクが訝しげに問う。当たり前だ。ずっとオレンジの振りをしてきたから。

 俺はオレンジじゃない。俺はこいつらの仲間ではない。

 だけど、だからこそ、今は、俺は、こいつらみたいになりたい。

「俺は……、俺は、ブラックだ‼」

 高らかに宣言する。大嫌いだったスーツ。でも今は、こいつらと俺を繋ぐ、俺がヒーローになるための「黒いヒーロースーツ」だ。

「「「ブラック⁉」」」

 三人が理解できないような表情で俺を見つめる。

「ボスからの指令を受けて、お前らを守るために来た!」

 適当な論理で誤魔化す。頼む、納得してくれ。

「じゃあオレンジはどこ行ったんだよ⁉」

 ブルーが問いただす。しまった、全く考えていなかった。何とか理由を捻り出さなくては。

「オレンジは……裏切った! サツが来たのはオレンジがこの場所を教えたからだ!」

 すまない、オレンジ。だが、恐らく裏切ったか吐いたかしたんだろう。お前はもう仲間ではない、はずだ、多分。

「ボスはオレンジが裏切る事を知ってた! だから皆に秘密で俺がここに来たんだ!」

「じゃあ着いたときにそう言えばよかったんじゃないのか? 別に俺たちにまで秘密にする必要はなくないか?」

 ピンクが指摘する。クソ、こいつ勘が良いな。

「細かい事はいいから逃げろ! ここは俺だけで十分だ!」

 こうなったらゴリ押しで何とかするしかない。覚悟を決め、まだ律儀に銃を下げ続けている二人に向けて、再び脅しをかける。

「おい、お前ら二人! 銃を床に置いてドアの前に行け!」

 苦々しい表情を浮かべながら、命令に従い、銃を捨てドアに向かう。

 その銃を端に蹴飛ばし、今度は説得するような声色で言う。

「俺はこいつらを片付けてから合流する。お前らは窓から逃げてくれ!」

「……分かった。また後で落ち合おう。」

 ホワイトが険しい表情で答える。

「本気で言ってんのか⁉ ホワイト!」

「俺たち全員が捕まるのが最悪のパターンだ。ここはブラックに任せよう。」

「……確かに、一理あるな。」

「……クソッ! 分かったよ! おい、ブラック! 絶対に生きて帰って来いよ!」

 ありがたい。流石、年長者の意見だけあって、俺が主張した時より皆すんなりと受け入れてくれた。

「でも、集合場所はどうする? 店って訳にも行かないだろ。」

 集合場所か……。全力で思考を巡らせて、一番初めに思いついた場所を言う。

「じゃあ、ここから二十分ぐらい歩いた所に会社のビルがあるだろ。そこにしよう。」

 気が狂うぐらい往復した場所だ。目が見えなくなったって行ける。

「……あそこか。分かった。そこで落ち合おう。」

「死ぬんじゃねえぞ!」

「恩に着る、ブラック。またな。」

 三人が窓から逃げていく。

 感謝するのは俺の方だ。人生に意味を与えてくれた。お前らは俺にとってのヒーローなんだ。

 今度は俺の番だ。

「ドアを開けて外に出ろ!」

 三度、命令する。ドアが開放され、二人の後ろから外へ出る。大量の雨粒が直撃し、顔をしかめる。何とか目を開けると、視界は大勢の人間と車で埋め尽くされていた。

「犯人に告ぐ。無駄な抵抗は止め、速やかに投降しなさい。さもなくば射殺する。」

 まさか、人質ごと殺す気なのか。どこまで腐った連中なんだ。一瞬でもこんな奴らの味方をしようとしていたなんて、寒気がする。

 殺されてたまるか。突きつけた銃をさらに固く握り、叫ぶ。

「うるせえ! こいつが」

 鈍い破裂音が何度も鳴り響く。

 今まで感じたことのない激痛が体中に走り、崩れ落ちる。

 走馬灯のように今までの記憶が頭を駆け巡る。だが、その殆どは会ってから一時間も経っていない、あの三人との思い出だ。

 俺はあいつらのヒーローになれたのだろうか、本当に自分の正義を貫けたのだろうか。 

 いや、できている。そう確信する。

 だってこんなにも、生きていると感じるのだから。

 5:00 AM

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