最終話

「――なるほど」

 全てを打ち明けた私に彼は言った。表情も声音も変えず、いつも通りに。

「……ね、変でしょ?」

「まあ僕とは違うけど」

 でもさ、と彼は言った。 

「それが加奈なんでしょ?」

 彼のその言葉が、私の中にどれだけあたたかく響いたことか。

「……うん。ありがとう」

 受け入れてもらえたのかはわからない。それでも亮は私の目を見てそう言ってくれた。

 彼は、走って逃げたりなんかしなかった。

「加奈のことはよくわかったよ」

「うん」

「じゃあさ」

 亮はいつも通りの調子で言った。

「噛んでみてよ」

「え」

 まさかそんなことを言われるとは思ってなかった私は言葉を失う。

「だって愛情表現なんでしょ? 加奈にとってはキスより大事な」

 そして彼は、少し拗ねたように口を尖らせた。


「そんなの、欲しいに決まってんじゃん」


 亮はそう言って、自分の左手を差し出す。

 私はその大きな手を見た。

 ……噛みたい、とは思う。

 でも、まだ怖さのほうが大きかった。

 またあの時みたいに嫌われるんじゃないかって。

「大丈夫だから」

 声を辿って目線を上げると、彼は小さく頷いた。その言葉に促され、私はおそるおそる彼の指先を口に入れ、歯を立てた。

 ゆっくりと、彼の肌に歯を沈める。

 やわらかな弾力を押しのけて、彼の輪郭が私の形に変わっていく。

 ぶわっ、と色の付いた熱が一気に広がった。

 今まで抑えていた想いが溢れて、全身を瞬く間に巡る。

 

 ……ああ。


 もっと欲しい。

 彼をもっと噛みたい。

 もっと。

 もっと。

 歯を、沈める。


 ――だって私、あなたが大好きなの。


「ストップ」

 彼の言葉にはっと我に返り私は口を離す。

 目に映るのは、はっきりと歯型が残った指。

 自分の失敗に気付いて一気に血の気が引いた。

 どうしよう。あの日と同じだ。

 私はまた嫌われてしまったかもしれない。

「……あの、ごめ」

「ここまで」

 彼は自分の指を持ち上げる。

 紫色にくっきりと窪んだ私の形を、私たちの境界線を見せつけるように。

「ここまでなら、僕は君を受け止められるよ」

 これ以上は痛くて無理だけど。

 彼は微笑んだ。


「それでも良ければ、僕とずっと一緒にいてくれませんか」


 その言葉は。

 私の知ってる物語にはないセリフだった。

「……ほんとうに?」

 あたたかい感情が内側からじわりと滲むように溢れて。

 ぼろぼろと涙が零れた。

「だってすごく伝わったからさ。それこそ痛いくらい」

 亮は落ち着かせるように私の頭を撫でる。

 私は彼の手の平の温もりを感じながら、止めどなく涙を流し続けた。

 その歪んだ視界の中で、彼のあたたかい声が鳴る。

「僕加奈を愛してるよ」

 私は頷いた。何度も何度も頷いた。

 流れていく私の涙を、彼は指でそっと拭ってくれる。

 その優しい指先には、私の凸凹の愛が刻まれていた。



(了)

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TOOTHING LOVE 池田春哉 @ikedaharukana

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