#6 星を掘った男
ばれた――。
ナイフを手に持ち、立っている男を見てそう思った。もうだめだ。なにもかも終わったと。
「いや、ここからはじめよう。こんなものを持っているから終わりだなんて考えるのさ」
そう言って男は、頭の上に振りかぶったナイフをぽーんと遠くへほうり投げた。ナイフはきらきらと光りながらまっくろな杉木立の向こうへ消えていった。
「えっ?」
「つまらないことは考えなさんな。あんたの手を見てあれは気づいたんだ。あんたはわたしらと同じ、真っ暗やみの中で自ら光ることのできない人……だから、『ひかりのくに』を読ませた」
いったいなんのことだ。わたしらと同じ光ることのできない人? あの絵本は物語だろう。ひかりのくには作り話のはずじゃないか。自分の手を見た。ひび割れ、節くれだって、硬くなった醜い手だ。
「その手で掘ってきたんだろう。まだ終わってはいない、だめではない。分かっているはずだ。いま、大切な人と時間を失ってはいけない。」
そういって男は湯舟の中のわたしに向かって手を差し伸べた。そのときになって、はじめて気づいた。その手がひび割れ、節くれだっていることに。
「あんたも星を掘るんだ」
見上げる夜空いっぱいに柔らかい光りを湛えた銀河が広がっていた。
☆☆☆
「なあにそれ、絵本のお話し?」
「え……。ああ、そうだね。そうかもしれないね」
そりゃそうだよ。こんな話だれが聞いたってほんとの事だなんて考えやしない。夢か物語のなかの出来事と思うふつうだ。妻はまったくわたしの作り話だと思っている。
「ほんとに星がきれいな旅館なの。それも『お話』じゃいやよ」
「ああ、間違いない。それは保証する」
あれから何年もたった。会社をクビなったことについてはひと悶着あったけれど、無事につぎの仕事は見つかり、不景気の中、何年もかかったけれど元のような生活がわたしたちに戻ってきた。
余裕ができたので、久しぶりに温泉旅行へ行きたいという妻をクルマに乗せて、わたしはあの宿へ向かっていた。わたしを押し止めてくれたあの夜空をもう一度見たいと思ったからだ。クルマは街灯のない、まっくらな山道を走っている。
「ずいぶん山奥なのね」
「うん、もうすぐだよ」
以前は半日かかってのぼったこの山道だが、それにしても遠い、時間がかかり過ぎているもう町から30キロは走ってきたはずだ。見落とした? いや、宿の前にはあの点滅信号がある。暗い山道で見落とすなんてありえない。
不安に感じながら運転を続けると、曲がりくねった道の先に明滅する黄色い光が見えてきた。あの点滅信号に違いない。速度を落とし、信号機の前で山側に折れた。すぐそこにあの宿が――ない。
「そんな!」
「え?」
「あ、いや、なんでもない……」
ここじゃない? ううん。たしかにあの日この信号機を曲がってすぐに宿があった。いまここには未舗装の道がうねうねと尾根伝いに続いているだけだ。
「大丈夫?」
「……」
狭い道を慎重にゆく。対向車があってもすれ違えないな。やがて坂が急になり、まっくろな杉木立が途切れた。
「きれい」
妻の小さなため息に目をあげると、森に遮られていた視界が開けた。眼下に街の明かりはなく、真っ暗な森の上に降るような星空が現れていた。やがて道は周囲の森を見下ろす小山の上の広場で途切れた。
「わあ。素敵」
クルマを降りると360°星空のパノラマだ。暗い街の空では見ることのできない一面の星空。
「天の川! すごーい」
子どものようにはしゃいで銀河を指さす妻。予定とは違ったけれど、これもよかったかもしれない。――と、歩いていたわたしは、広場の隅に据えられたふたつの石碑に気づいて足を止めた。石碑の間になにか落ちている。拾い上げると、それは赤錆びてぼろぼろに刃の欠けたナイフだった。
―― 男のことを哀れに思った人びとは、夜空の星が美しい丘の上にふたりのお墓を並べて建てたという――
(了)
星を掘った男 藤光 @gigan_280614
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