年明けこそ鬼が笑う〜学者峯岸浩太郎の困惑〜

達見ゆう

もう、どうにでもな〜れ

「それで今は第六波の影響でラボの出勤制限あるけど、基本的には週休二日なんだ。あまり詳しく話せないけど、僕はあるウイルスが細胞に及ぼす影響の研究をしているんだ」


「へー、顕微鏡で覗いて分析とかするんだ、ドラマみたい!」


「まだ詳しい内容は明かせないけどね、試薬を入れると時にはオーロラみたいな綺麗な色の細胞になることもある。そうなるとある意味感動的だね」


「顕微鏡でオーロラの世界、不思議」


 Zoom越しにエリカちゃんに僕の仕事を説明する。典子さんの娘であるエリカちゃんが進路相談であらゆる医療分野を調べて決めたいというので研究者も視野に入れているからだという。

 残念ながら、また感染病の第六波が来てしまったからオンライン越しになってしまったがけれど。

 典子さんもZoomに一応参加しているけど、案の定内容について行けなくなっているようだ。


 エリカちゃんはすごく優秀なのだな、でも現実も教えないと。


「でもね、研究者は待遇がいいとは限らないよ。僕がアメリカで研究しているのも日本だと給料が安い、開発者の権利問題で会社と揉めるなど課題も多いから。アメリカがすごくいいという訳でもないけど、日本よりはマシかな。医者だと数年は大学病院で修行と言うか、薄給、下手すると無給で働くことになる。アメリカの方がまだいいのじゃないかな」


「その前に日本語むーりー。ママや俊雄伯父さんの日本語の会話なんてわかんないもん」


「あら、私は少しできるからパパとは会話できるわ」


 横からというか、Zoomの画面にエミリーさんが割り込んできた。


「エミリー姉ちゃんがどうしてZoomに来るのよ」


 エリカちゃんは戸惑いというより不満気だ。まあ、進路の話が中断された訳だならわからなくもない。


「コータローさんの家に遊びに来たのに、ずっとZoomしているのですもの。退屈で」


「えぇ〜、じゃ、オジャマしちゃった? その前にウイルスまん延しているのに行くぅ?」


「これ、そんなことを言うものじゃありません」


 エリカちゃんのませた言い方に典子さんがたしなめる。


「ああ、大丈夫ですよ。3Cの一つ、距離は置いていますし、換気もしてますし、同居人のボブもいますから二人っきりと言うわけではないですから」


 さらに間隔を置いてボブが所在なさげに論文を書いている。しかし、気のせいかキーボードを叩く音がさっきから止まっている。書く内容に悩んでるのか、それとも聞き耳を立てているのか。


 エミリーさんにすればリスク冒しても僕に会いに来てくれたけど、Zoomで打ち合わせは想定外だったようだ。というか、サプライズで遊びに来たから何も支度してなくて驚いたが、引き籠り用のお菓子とお茶はたくさんあるからおもてなしはできた。


 でも、エリカちゃんの進路相談という用事があることは言ってなかったので彼女はやや不満気である。それは僕のミスだが、ロックダウンこそしていないものの、みんな引き籠もっているから、サプライズで来るとは思わなかったから言わなかったのだ。それにボブとルームシェアしてると知ってるよなあ? うーん、女心はわからない。


「コータローおじさん聞いてる?」


「あ、ああごめん。何だっけ?」


「成果を出したら論文を出すのでしょ? プレプリントとかよくわからないけど」


「プレプリントとはいわば仮説のようなものだよ。発表して他の科学者が査読……検証するのさ」


「うーん、研究者って他人の研究結果も調べるのか忙しそう。医者もドラマ見てると忙しそうだし、身体持つかなあ」


 エリカちゃんは若いから大丈夫、と言いかけた時エミリーさんが横槍を入れてきた。


「なあに? 暇な仕事探してるの? ならばアルバイトにすれば?」


 言葉に棘がある。こないだのカフェと似たような空気だ。


「エミリー姉ちゃんには関係無いでしょ。デートの邪魔されたからって八つ当たりしないでよ。っていうかこのコロナまん延に行くなんて信じられない。ウイルス学者と付き合うなら、そういうところ考えたら?」


 頭の中でゴングの音が鳴った。どうしよう、止めなくては、いや、まずは母親の典子さんは?


 典子さんの画面はいつの間にかビデオとマイクがオフになっていた。お手洗いかもしれないが逃げては……いないよな?


「まあ、あんたね。小さい頃にお父さん亡くしたのは気の毒だけど、コータローさんはお父さんじゃないからね、独占しないでよ」


「はあ? 進路相談してるだけなんだけどぉ?」


 うう、怖い。女の戦いだ。僕の存在すら忘れかけられてキャットファイト(なのか?)が始まった。


 こ、こう言う時はどうすればいいのだ。って、普通は争ってる男性がいる時はこういう攻防戦は起きないはずだが。


 いや、そんなこと言ってる場合じゃない。


「大体ね、そういうのを『来年のことを言うと鬼が笑う』というのよ」


「ざーんねーん。進路決定は今年なんだけどぉ」


「じゃ、『年明けこそ鬼が笑う』だわ」


「勝手に日本のことわざを改ざんしないでよ」


「Shut Up!!」


 ボブが突然大声で出した。同部屋であるエミリーさんだけではなく、Zoom越しでも大きかったらしくエリカちゃんも固まっている。


「お気づきかわかりませんが、この部屋にいるのはあなた方達三人だけではございません。私はテレワークで論文を書いております。エリカさんは進路相談をしています。コータローさんはそれにアドバイスしています。それ以上でもそれ以下でもございません。これ以上脱線したら。Wi-Fi切って差し上げますがいかがしますか?」


 まずい、ボブは怒るとクッソ丁寧な言葉になる。


「それからエミリーさんも感染拡大防止の意味でもすぐに帰宅された方がよろしいです。すでにタクシーを呼んでおります」


「は、はい」


 ボブの殺気を感じ取ったエミリーさんはコクコクと頷いた。


「お待たせ。父の世話が終わったわ。あら? 皆さんなんか固まっているけどどうしたの?」


「いえ、ピークアウト始まっているとはいえ、ウイルスの感染拡大の危険性を改めて話してたのです、典子さん」


「アメリカは日本より衛生管理ずさんだからねえ、マスクは病人扱いで三密、いえ3Cも放棄してこの有様だから。こういう時は日本人で良かったわ。嫌がるけどエリカにもマスク着けさせているからなんとか感染してないわ」


 エミリーさんは気まずくうつむいた。彼女はノーマスクだからだ。親が日本人でも父親と母親だと個人差もあるが、子供へのしつけも違うのか。エミリーさんは大人だからなのか特に言われないのか。


 とにかくボブの計らいでキャットファイトは収まり、進路相談はつつがなく終わった。


 〜〜〜


 コーヒーブレイク中にボブが僕に言ってきた。


「典子さんは問題無さそうだけど、エミリーさんは日系でも典型的なアメリカンだな。俺はアメリカ人でもウイルス研究しているから怖さを知っている。だが、それは少数派だ。大半のアメリカ人は予報対策を放棄している。価値観違うと苦労するぞ。よく考えた方がいいぞ」


 これからどう付き合っていけばいいのか、僕の頭の中にも年明けから選択を迫られ、それをおかしそうに笑う鬼が見えたような気がした。

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