最終話

「先輩、なんでこの二人だけ冷凍保存するんすか」

 彼は研究棟の冷凍室の重い扉を閉めながら不思議そうに言った。その声には人間二人分の重量を運ぶという明らかな重労働を任された不満も滲み、それを知る権利が自分にはあると言わんばかりだ。

「研究のためよ」

「だからなんでこの二人だけ。他にも患者はいるでしょうに」

 あまり詳しいことを言いたくない彼女は簡潔に答えて話を終わらせようと思ったが、後輩はそれを許さなかった。

 仕方ない、と内心でため息を吐く。しかし彼女自身も多くの情報を持っているわけではないので特に問題はないだろう。一応周囲を確かめてから彼女は口を開く。


「この二人の死因は凍死だそうよ」


 それを聞いた彼は「え」と抜けた声を出す。

「そんなのおかしいじゃないすか。四季病の死因は心筋凍結でしょ」

「ええ」

 四季病患者の死因はすべて心筋が凍り付くことによる拍動の停止と心筋の壊死。これが常識だ。

 しかしこの患者の男性の死因は凍死と判定された。これは低温による全身障害。似ているようでまったく違う。

「心臓は凍っていなかった。どころか全身どの部位にも凍結は見られなかったそうよ」

「そんな馬鹿な。しかも凍死ってことは、ってことっすよね」

「そうなるわね」

 低温による影響を受ける身体になっていた。つまり男性の身体は一般人の身体に戻っていたということになる。

「……これはあくまで私個人の推測にすぎないけれど」

 彼女は声を潜めて言った。

「四季病の症状は体温変化ではないかもしれない」

「え?」

 後輩は頓狂な声を出す。

「四季病はただ身体のシステムを組み替えるだけ。人体を温度変化に耐えうる身体に変容させるだけで、体温変化は別の要因が影響しているんじゃないかしら」

 これはまったく根拠のない例え話だが、すべての研究は仮定から始まるものだと信じて彼女は続ける。

「たとえば四季病がウイルスによるものだとして、そのウイルスは常に発熱していて、死ぬ際に吸熱する」

「増えれば熱くなるし、減れば冷える」

「そう、体温変化はあくまで体内のウイルス量の変化によるもの。そしてその寿命は一年。春から増殖を始めて、半年を過ぎた辺りから冬に向かうにつれて減少していく」

「そしてウイルスが完全にいなくなれば四季病は治る」

 てことは、と彼は湧き上がる興奮を抑えるように言った。

「じゃあその最後の攻撃に耐えきれば、死を回避することもできるかも……?」

 たとえばウイルス絶滅時の急冷却中に、生命活動を維持できる温度を与え続けることができたとしたら。

 ウイルスは完全に死滅して、元の身体を生きたまま取り戻せるかもしれない。

「もしかしたら、という話よ」

 確証はない。説明できていない部分もまだまだ多い。なぜ春にだけ発症するのか、遺伝でのみ伝染するのか。不明瞭な点ばかりだ。

 そこにあるのは可能性だけだった。

 だが、可能性は人にもう一度前を向かせる。

 アメリカの大学では四季病研究チームが新たに発足したという話を彼女は聞いていた。彼女たちのチームも早速研究を進めている。その僅かな光を、未来を照らす大きな灯にするために。

 そしてその可能性を提示したのは、紛れもなくあの二人だ。

「……愛っすね」

「キミはほんとそういうクサいのが好きね」

「まあそうっすね。こんなに冷たい愛は初めて見ましたけど」

 彼は先程自分で閉めた冷凍室の扉を見た。その目はまるで二人を羨むようだ。

「でも、この研究が上手くいけば」

「ええ」

 彼女は二人の穏やかな表情を思い出す。冬に閉じ込められた、あたたかな微笑みを。

 この氷に覆われた冷たい希望の芽を花開かせることができれば。


「――ようやく春が来るかもね」

 


(了)

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四季に閉じる病 池田春哉 @ikedaharukana

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