第6話
「明美、たぶん今夜だよ」
「うん。そっか」
体温計を見ながら僕は彼女に言う。
ここ最近の僕は目覚めても、すぐに身体を起こすことができなかった。痛みや寒さなどは感じないが、低温で筋肉が収縮してしまっているのかもしれない。
この症状を電話で医師に相談すると「体温計を使ってください。赤い目盛りを下回る日が五日、連続すれば」そこで彼は言葉を切った。
「冬が来ます。準備を整えてください」
続いたその声はやはりドッキリを疑うくらい平静だった。
準備。その意味は理解したが、まるで冬眠だなと僕は場違いに可笑しくなった。二度と春の来ない冬眠か。
「勇人の好きに生きなよ」
知ってか知らずか、明美はあの日と同じことを言った。これから電話をする母も、きっと同じことを言うのだろう。それはなんと幸せなことか、と今更になって思い至る。
「僕はこの一年、ずっと好きに生きてきたよ」
彼女の目を見て。
僕は自分の人生の選択は間違ってなかったことを知る。
「春も夏も秋も冬も、君と一緒にいたい」
こんな時でも。
笑顔でいてくれる君に出会えて良かった。
「よし、じゃあ今日は有休取るね」
「なんかかっこいいな有休って」
「あはは、大したことじゃないよ」
僕と彼女の笑い声が冬の空気を震わせた。
***
「おやすみ」
「おやすみ」
僕たちはいつものように一日を終えて、挨拶を交わして別々の寝室に入る。流石に目覚めたら隣で人が凍ってたなんて嫌だろうから今日だけは部屋を分けた。僕は部屋の電気を消して静かにマットレスの上に寝転ぶ。
そのままじっとしていると、徐々に身体が痺れた様に固まってくるのを感じた。痛みも寒さもない。このまま眠ればきっと目覚めることはないのだろうけど、数ある苦しい最期の中ではある意味ハッピーエンドなのではないかとも思う。
目を瞑る。
毛布はかけていないが、寒さはやはり感じない。まるで自分が冬になったかのようだ。四季病とは、自分が四季になる病気なのかもしれない。そう考えると、病気というより奇跡というほうがふさわしい気がした。
父も最期の夜にこんなことを考えていたのかな、と笑おうとしたが唇はもう動かなかった。
静かに時が流れる。睡魔が顔を出し、僕の意識は暗い底へゆっくりと沈んでいく。
そんな僕を引き上げたのは、眩いほどの熱だった。
咄嗟に目を開ける。
僕の身体を、明美が抱き締めていた。
なんで、と僕は言おうとしたが口が動かない。しかし明美はその疑問に答えた。
「最後まで一緒にいてあげようと思って」
彼女は強く僕を抱き締める。やめろ、と言いたかった。
今の僕の体温は氷点に近い。氷を抱き締めているようなものだ。冬の夜に暖房もついていない部屋でそんなことをしたら。
目だけで彼女を見れば、案の定かたかたと震えていた。唇も色を失っている。
「それに言ったでしょ」
声を震わせながら彼女は言う。一瞬泣きそうな顔をして、唇を引き絞ってそれを堪えて、笑顔を見せる。
ころころと変わるその表情は、まさに四季のようで。
「一生付き合って、って」
こんな時でも、君は笑うのか。
そう言おうとしたが、凍り始めた身体から言葉は出なかった。それでも、口が少しだけ動いたのがわかった。彼女の熱が僕の体温の低下を和らげてくれたのかもしれない。
最後の力を振り絞る。
「……知ってるかも、しれないけど」
僕は君のことが好きだよ。
言葉になって届いたかはわからない。
それでも彼女は嬉しそうに微笑んで答えた。
「――――」
その声はもう僕には聞こえなかったけれど。
何を言ったのかくらい、わかるんだ。
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