16 料理男子の独り言
目の前でパンケーキを頬張る少女は、まだ不貞腐れていて口を聞いてくれない。
『私に黙って勝手に色々手を回した罰だ! 今すぐパンケーキを奢れ!』と息巻いたアナベルの要望通り、魔術師寮近くの専門店までやってきたわけだが、シリルはいまだに彼女の怒りを解くことができていなかった。
「悪かったって」
「思ってないでしょ」
困ったことに、彼女は「無表情」とよく言われる自分の顔から、的確に感情を読み取るのが得意だ。
これ以上どう謝ろうか、とシリルが考えていると、アナベルがかたん、とフォークを皿に置いた。
「ごめん。ちょっとへそ曲げすぎた。私はシリルと一緒にいられないことばかり考えてたのに、シリルが全部飛び越えてきたもんだから、悔しかったの」
こういう素直なところが、彼女の美点だ。
彼女は少し眉を下げると、「まさかグラノーラ事件が、私への魔術師試験を兼ねていたなんて思わなくて」と独り言のように呟く。
それはそうだ。シリルはあの直後イアンから『アナベルを魔術師にするつもりでいる』と耳打ちを受けたから知っていたが、当然本人には伏せられていた。他の料理番の面々も、ハワードからある程度聞かされていたが、厳しい箝口令が敷かれていたのでアナベルの耳には届かなかっただろう。自分へのメリットがほぼ分からない状態でも、あれだけ全力で取り組むことができる。つくづく、アナベルは稀有な人間だと思う。
シリルは自分の分のパンケーキを口に運びながら、アナベルとの出会いを思い起こした。
『シリルに魔術師は向いていない』
五歳の時、家族が満場一致で下した決断だ。
勉強も魔術訓練もそつなくこなすが、向上意欲が薄く、執着もない。感情表現は苦手な割に、根が優しすぎて訓練中に大人相手でも手加減してしまう。幸いにしてスタンフォード家にはイアンという天才がいたため、下手に後継争いになる前に早々と魔術師としては見切りをつけられたシリルが、初めて自ら興味を示したものが『料理』だった。
魔術師の両親が多忙の間、祖父母の家に預けられることの多かった兄弟。イアンが暇さえあれば魔術の本をめくっていた傍らで、シリルはよく祖母の料理を眺めて育った。料理上手だった祖母は教えるのも褒めるのも上手く、シリルはどんどんと上達していった。
そして『その日』はやってくる。
街が賑やかな建国記念の日、ちょうど祖母の家から帰るところだったシリルは、いつもよりも人の多い大通りを避けて路地に入った。そこで、半べそをかく少女に出会った。
栗色の髪の毛に、アーモンドのようなこげ茶色の瞳。「パパとはぐれちゃった」と泣きそうになっているその子の話し相手になっていると、お腹が空いていたのか、ぐう、とかわいらしい音が響き渡った。
その日は偶然、シリルが祖母の家で、大好きなアップルパイを作る練習をしたところだった。バスケットに入っていたそのアップルパイを差し出すと、彼女は大喜びでそれを頬張った。
『あなたがつくったの?』
『うん』
『ほんとうに!? すごいわ! わたし、おりょうりなんてちっともできない』
目をきらきらと輝かせて、彼女は言ったのだった。
『こんなにおいしいアップルパイをつくれるなんて、あなたきっと、「天才まじゅつし」ね!』
その言葉は、幼かったシリルの心を激しく揺さぶった。自分が作るもので、こんなに笑顔になってくれる人がいる。家族以外に料理を食べてもらう機会がなかったシリルには、衝撃的な言葉だった。
『まじゅつしってすごいのよ、火を出したり水を出したり……私はまだうまくできないけれど、きっと将来はすごいまじゅつしになるの! あなたはきっと、お料理の大まじゅつしになるわ。私にはわかる』
少女はなんてことのないように言い切った。
どうして分かるのか、と尋ねると、彼女はきょとん、と首をかしげる。
『んー。なんとなく?』
根拠もないのに、言い切った彼女がおかしくて。
けれど屈託のないその笑顔に、シリルはとても救われた。
漠然と、「魔術師ではない何か」にならなければいけないと幼いながらに考えていたシリルにとって、その言葉は大きな指針になった。
後から合流した兄とその少女が、魔法の話題でずっと盛り上がっていたのは少々気に食わなかったが、それを差し引いても有り余るくらい、彼女がシリルに与えた温もりは大きなものだった。
それからのシリルは、さらに料理に熱を上げるようになった。と同時に、魔術訓練も熱心にこなすようになった。細かい魔術の制御が、料理にも活かせると考えるようになったからである。
シリルの場合は生まれ持った魔力量が多いので、発散や制御練習のためにも魔術訓練そのものは欠かせない。兄や王子たちに混じっての訓練は、魔術師にならないと決まってからもずっと行われていたが、今まで以上に真剣に取り組むようになった。
シリルはやがて料理番を目指すようになった。その頃、ハワード・オルムステッドの活躍で、『料理番』という職業がだんだん知名度を上げてきていたことも大きい。兄や家の支えにもなり、好きなことを続けられる仕事なので、目指すには都合が良かった。
名前も知らない。顔もはっきりとは覚えていない。
けれど彼女が「魔術師」になると言ったのだから、もし再会できたらその時は、最高においしい料理でも振る舞ってあげたい。彼女が自分を覚えているかもわからないし、自分が彼女を見つけられるかも分からないけれど。
そうして料理番見習いになったら……
目の前でそれらしき人物が、一緒に料理を習っているではないか。
十年も前の話だし、初めは他人の空似だと思っていた。栗色の髪の毛なんて、ベリルではざらにいる。けれども気のせいではないと確信を持ったのは、料理長が「面白いやつを拾った」と周囲に話しているのを聞いた時だ。
『あいつ、魔術師試験に落ちて凹んでたんだけど、骨がありそうだったからうちに来いって誘ったんだ。そしたらすぐに顔をあげて「行きます」って即答したんだよ。かえって俺が面食らって、「本当にいいのか?」って聞いたんだが、「絶対ついて行ったほうがいいって、私の勘が言うんです。なんとなくだけど」とか言うんだ。ああいう思い切りがいいの、嫌いじゃないね俺は』
それからシリルは、彼女のことを遠巻きに観察するようになった。
美味しいものを食べた時は、あの日と変わらない太陽のような笑顔になること。
初めて食べる料理の時は、マナーにお構いなく興味津々で食べ物の解体をして研究を始めること。
料理を作る時、けっして器用さはなく仕事も早くはないけれど、熱心に勉強して、次には必ず上達していること。
驚くほど自分自身には頓着がなく、他人のことばかり考えている。人にかかりそうだったから、という理由から素手で鍋を掴んだ挙句、中身を被った日には流石に大声を出してしまった。危なっかしくて、目を離しておけなくて、けれど本人が大切にしている芯はぶれない。そんな彼女が、いつでもシリルには眩しかった。
彼女が絶対に諦めないから、自分も引きずられるように諦めが悪くなったのかもしれない。「アナベルに魔術師の資格を与えて、料理番の仕事の管轄を広げる」と聞かされた時、真っ先に思い浮かんだのは「自分が付いていくにはどうしたらいいか」という事だった。
シリルにとってはいつだって、アナベルが目標であり、自分の先を行く人だ。
彼女と同じ景色が見られるなら、どこへでもいくつもりだった。
彼女はたぶん、シリルがあの時のアップルパイの少年だとは少しも気がついていないだろう。あの時言った何気ない一言が、少年のその後の人生を大きく左右したとも知らない。アナベルはどんな時も真っ直ぐで、当たり前に、そばにいる人の気持ちを救うのだ。
いつか本人にそれを告白する日が来たら、彼女はどんな顔をするだろう。
幼い日の彼女にも胸を張れる自分でいるために、これからも精一杯努力し続けるつもりでいる。
「――でね、せっかく魔術師になったんだから、憧れのネックレスを買って石も新調しようと……ねえシリル、聞いてます?」
「聞いてる聞いてる。俺にアナベルの魔術師用のネックレスを贈らせてくれるっていう話だろ」
え、と見事に固まったアナベルの顔が面白い。
シリルはふっと笑って、その少し間抜けで愛おしい顔を正面から見つめた。
「スーザンのジンジャースープに付き合った時のお礼、まだなにもしてもらってない。だから、その分で」
「え? いや? ちょっと意味がわからない。私がシリルの石を選んで買うならまだ分かるよ。けどシリルが私の石を贈る? なんで? 逆じゃない? それ、お礼になってない」
「細かいことは気にするな。俺がしたいと思うことを聞いてくれる、という点において変わらないんだから、それでいいだろ」
よくない! と叫ぶアナベルをおいて、シリルは席を立った。遅れて立ち上がったアナベルが、まだ何かぶつぶつと文句を言っている。
彼女は憧れの魔術師になる。その夢を叶えても、きっと立ち止まりはしない。
願わくはずっと隣で、彼女の道を共に歩きたい。
シリルがそう思っていることは、まだアナベルには秘密である。
Fin.
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お読みいただきましてありがとうございました。
アナベルが置かれた場所で一生懸命花を咲かせる物語、ひとまず完結とさせていただきます。
本当はまだまだ描きたいアナベルたちの姿がいっぱいあるので、彼女たちの新しいお話が届けば、また更新させていただくこともあるかもしれません。
そのときはぜひ、よろしくお願い致します。
この作品は現在カクヨムコン9に参加中です!
面白かったと思ってくださった方は、ぜひフォロー&お星さまを投げてくださると嬉しいです。
また別作品も更新中です。
「毎日一生懸命働く人」全てにおくりたい、現代お仕事小説『春を待つ人〜カフェ・ハルコと夢さがしのティータイム〜』もぜひよろしくお願い致します。
魔術師寮の料理番 〜その不調、おいしいごはんで解決します〜 楠木千歳 @ahonoko237
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