15 努力の証明

「シリル」


 やっぱり、という気持ちと、ひどく悲しい気持ちが混ざってぐちゃぐちゃになる。

 いつかは来ると分かっていた事だけど、目の前に現実として迫ってくると、脳みそが処理しきれない。まだ私は、折り合いをつけられてはいないのだ。


「さて、アナベル。昨日は本当にお疲れ様だったね。僕の無理難題に、短期間でよく向き合ってくれた。あの食べ方は、魔術師の間でもかなり好評だったよ。なにせ、そのままだと不味いって相当苦情が来てたからねえ」


 私の葛藤を知ってか知らずか、イアンさんが口を開いた。

 顔の前で指を組んだ彼は、さすがというべきか風格がある。

 だがとても飄々としていて、次に何を言われるのか全く読めない。シリルに助けを求めるように視線を送るけれど、今日に限って彼とは一切目が合わない。いつもの無表情で、静かにイアンさんの続きを待っている。


「君は、スーザンの体調不良と不調を改善し、ソフィア王女の湿疹を軽減する策を提案した。そして、在庫を抱えるグラノーラの画期的な食べ方を考案し、利益まで生み出した。実は他にも、『君に助けられた』という魔術師が、たくさんいてね」


 イアンさんの言葉に、私は目が点になった。


「私が? いつ?」

「ま、覚えていなくても無理はない。君にしたら大したことのない気遣いを回しただけだろうからね。例えば、通りすがりの腹ペコな人にサンドイッチを分け与えたりとか、辛い時に寄り添って、ただ一緒にご飯を食べてくれたりとか。そういうことを、された方は意外と覚えているものなんだよ」


 心当たりがない、わけではない。けれどそれは、別に私が特別にやっている事でもないんじゃないか、とも思う。私の考え込む表情を見て、イアンさんは「君はそれでいいんだよ」と言った。そういうもの、か?


「僕は、君が『相応の評価を受けるべき』だと考えている。そして、有能な君にもっと仕事を効率よくこなしてもらいたい、ともね。これは、ハワード料理長とも一致している意見だ。そこで、君に提案がある」

「なん、でしょう」


 また無理難題を言われるのかな。正直、シリルもいなくなるこの状況で、今回みたいにうまくいくと思われても困るんだけど。


 イアンさんはパチン、と指を鳴らした。

 自分にふわり、と『何か』の魔法がかかる気配がして、思わずぎゅっと目をつぶった。

 けれどそこから何か起こる感じはなく――


「いいよ、目を開けても」


 イアンさんがくつくつと笑う。私は恐る恐る、まぶたをこじ開けた。

 目の前にはイアンさん、とシリル。

 後ろには料理長。

 部屋にはなんの異変もない。


 ぐるり、と見回して――

 私はそこで初めて、自分のコックコートの上に羽織っているものに気がつき、声にならない悲鳴をあげた。


「――っ! なんで、どうして魔術師のローブが、私に!?」

「それが僕から君への『提案』だ。アナベル・クレイトン、君が魔術師の資格を有すると証明し、身分を保証する。けれど僕が君に求めるのは、前線に出て活躍する、いわゆる普通の魔術師としての活躍じゃない。魔術師と同等の立場から、いつもどおり『料理番』の仕事をしてくれればそれでいい」


 私は震える指でローブに触れた。滑らかな肌触りのそれに触れても、まだ実感は湧かない。

 憧れて、憧れて、諦めたものがここにある。


 呆然としている私に対して、イアンさんは話を続けた。

 

「『料理番』の恩恵を受けられるのは、今のところ、王都にあるこの魔術師寮だけだ。地方都市には、食の重要性を分かっていない魔術師がたくさんいる。食糧事情が貧しい地域もある。将来は、全ての拠点に少数精鋭でいいから料理番を置くのが僕の夢なんだ。その為にはまず、食べ物の重要性を説いてくれる優秀な料理番が必要だ。君に、その役目をお願いしたい」


 どうかな、とイアンさんが言う。

 私が息をするのも忘れて固まっていると、ふ、と再びイアンさんが笑う気配がした。


「ま、というのは建前なんだけどね。要するに、僕らの地方遠征の時に同行してくれる料理番を前々から探していたんだ。地方に行くなら魔術師のローブはそれだけで色々な抑止力になるから、持っておいた方が安心、くらいに思っておいてくれればいいよ」


 イアンさんはおもむろに椅子から立ち上がる。いまだに微動だにしないシリルの脇をすり抜けて、彼は私の前に立った。


「もともと君が魔術に関してすごく勉強熱心なのは知っていた。もちろん、昔は魔術師志望だったこともね。当時の試験には通らなかったけど、この度のグラノーラの一件を通して、君には魔術師に相当する能力と勘の良さ、それから機転を持っていると僕は判断した。僕のつけた難しい探知魔法の存在にも、すぐに気がついたしね」


 それはソフィア王女を伴って現れた、あの時のことを指しているのだろうか。


「そのローブは、君の実力がきちんと認められた証だ。受け取ってくれるかな?」


 イアンさんの言葉が、心の中に沁みていく。彼は私の目の前で微笑んだ。その顔が、込み上げてくる涙で歪んで見えた。なんと答えたらいいのか、わからない。


「――はい。必ず、料理番として、ベリルの魔術師として、胸を張れる自分になります。その為に、精進します」


 自らの言葉が重みになる。ずしりと胸に響くそれを、大切に持ち続けたい。


 私、本当に、魔術師になったんだ。


「うん。よろしい。これからもよろしく頼むよ。さて」


 イアンさんが背後を振り返る。


「シリル・スタンフォード。君は一昨日、魔術師試験を受けさせろと唐突に本部に迫り、最終的には難なく突破してしまったと聞いているよ。そんな突飛な行動に及んだ理由を、申し開きしてもらおうか?」


 ――シリルさん?

 あの忙しい時に、そんなことをしていたんですか?


 私が驚きに目を丸くしていると、シリルがアイスブルーの瞳をバツが悪そうにふと逸らす。「さあ、自分の口でちゃんと話して?」とせっついたイアンさんは、まるで新しいおもちゃを見つけた子供のような、無邪気な表情をしていた。


 シリルはしぶしぶ、といったふうに口を開いた。


「……料理番は、バディで動くのが基本です。事故防止の為や、お互いの体調管理の為など、理由は様々ですが、魔術師として地方まで付いていく料理番にも、バディは必要と考えます。その為には――私にも、魔術師の資格が必要であると考えました。アナベル・クレイトン魔術師が料理番を兼務して任務に同行する際には、私がバディとして任務を遂行します。もちろん、普段の業務も同様です」

「──だってさ。聞いた? アナベル」


 イアンさんがやたら楽しそうに、つかつかとシリルの方へ歩いていった。弟の肩をポン、と軽く叩く。ついでに、彼の顔へ人差し指をつきつけた。


「要するにコイツ、君が魔術師の資格を得て、料理番としてのバディを自由に指名できる立場にあるにも関わらず、自分こそ君の『相棒』だって言って全然譲る気がなさそうなんけど、どう?」


 どうって、どうもこうも。


 それじゃあまるで、シリルが魔術師を目指したのは、「私のため」と言っているように聞こえるんだけど。


「え、なんで……?」


 私はつい、素でぽろっとそんな質問をこぼしてしまった。シリルはほんの少し眉を顰めた。

 口を開いて、ためらうように少し閉じて。そして紡がれた言葉に、私は硬直して動けなくなる。


「俺が、アナベルと同じ景色を見たいから。他に理由が必要か?」


 ぶっきらぼうに言い放たれたそれが、私の心臓をぎゅっと掴んだ。身体中の血液が沸騰するような羞恥に、思わず俯いてしまう。

 耳の先まで熱い。心臓が破裂しそうな勢いで早鐘を打つ。


 まさか、シリルが私と全く同じことを考えていたなんて。

 この感情を、なんと表現すればいいのだろう。


「必要ない、ですけど……」


 なんとかそれだけを振り絞ると、シリルが満足げに頷くのが見えた。なんだその、見たことがないくらい嬉しそうで、最上級に蕩けそうな甘い顔は。こっちは真剣にシリルとの別れをどう切り出すか考えていたんだぞ。それなのに。

 羞恥が徐々に収まってくると、今度は猛烈に腹が立ってくる。一人で勝手に話を進めて、丸く納めやがって。私は貰いたてのローブの裾を、強く強く握りしめた。


「私もシリルとずっと一緒がいいと思ってたけど、それはそれとして! 私がバディ解消されると思って、どれだけ腹決めてたか思い知れ馬鹿野郎!!」


 私はシリルに向かって突進する。勢いのまま頭突きをかますつもりだったのに、どういうわけかシリルはびくともしなかった。どころか、そのまますっぽりと彼の腕の中に抱え込まれる。いや、ちょっと待って、抱きつきに行ったわけじゃないんだ私は!

 滅多に聞けないシリルの笑い声が、私のすぐ頭上から降ってくる。


「確定するまでは言えなかったのが大きいが、途中から思い詰めていくアナベルの顔が面白くなって、わざと黙っていた部分はある。すまない」

「わざとじゃん!!! このバカ!! 許さない!!」

「悪かったって」


 全然悪く思っていない。これはそういうトーンの声だ。


 けれど迂闊に顔をあげることもできなくて、私はしばらく、シリルの胸をこぶしでぽすぽすと叩き続けた。


 イアンさんと料理長?

 どんな顔でその光景を見守っていたかなんて、知りたくも考えたくもない。

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