第17話

 石段を登った先に、寺門が現れた。

 通り抜けるとしゃらん、と鈴の音がなった。

 今度は警告ではない。清涼な、来るものの心を引き締める爽やかな音。


 ここは安全な空間だ。僕にはそう判断できる。

 おそらくだが、あの百足の怪異はこの場所には入り込めないのではないだろうか。


 傍らには相も変わらず浮遊するミヤコ。

 彼女の視線がどこに向いているのかを探ったのだが、逆にその様子を悟られてびゅんびゅんと蠅か蚊のような鬱陶しさで周囲を飛び回られた。気が散るのでやめてほしい。気を失った人間一人を背負ってここまで来ているのである。そんな中でやられたので頭に来たのだが、ミヤコはどこ吹く風という様子だった。


 境内には大きな建物が二つ見える。

 正面には仏教寺院らしい金堂、右手には鳥居と木造の建築が縦に二つ連なった社殿。

 いずれも時代から置き去りにされた建造物であるように見える。かつて塗られていただろう漆などは剥げていて、くすんだ色合いになっている。

 しかし全く手入れされていないというわけでも無い。境内には塵などは落ちておらず、草木が荒れ放題になっているということも無い。必要最低限の管理だけがされているようだ。


 金堂の様子を探る。が、中に人がいる様子は無かった。

 金堂の奥の方を覗くと講堂らしき建物が見えた。もしかすると、あそこに人がいるかもしれない、と足を運ぶ。

 と、そこに低い声が鳴り響いた。


「待て!」


 びく、と体を竦める。あまりに急で威圧的な声であった。

 声のした方に視線を向けると、小柄な老人が立っていた。

 剃髪していて、その代わり口元には豊かで白い髭が蓄えられている。服装は襦袢の上から袈裟を纏っている様子で、つまりは一般的な僧侶の服装である。

 僧侶らしくないのは、頭に白い三角巾を巻いているところだった。


「お前、どこから———いや、何しに来た!」

「あ、そのう……僕の連れが、山中で具合を悪くしてしまいまして———」

「山に入ったのか!?まさか何か見ていないだろうな……!?」


 老人はなんというか、すごくティピカルなよく聞く叱責を僕に浴びせかけた。

 僕が正直に「大きな百足を……」と答えると、老人はなおさら「全く、軽率に入ってくるとは……!」と声を荒げてくる。


「貴様らアレか、またネットの噂を聞きつけてきた連中だろう!?」

「……ネットの噂?」

「とぼけるでない!」


 とぼけてはいないのだけれど。

 が、弁解する暇もなく「このままではいかん」とひとまずメイを安静にするための場所を作ってくれるとのことになった。


 本堂の一室に布団を敷いてもらい、彼女を寝かせる。

 畳で敷かれた床間の向こうに、仏像が鎮座している。仏像自体はさほど珍しくもない。甲冑を着て左手に槍を持ち、右手に宝塔を持っているところから、おそらく毘沙門天だろうか。

左に女性らしき脇侍がいるところを見ると、あちらは吉祥天だろう。

 ただ、少し珍しい部分もある。

 毘沙門天は普通、小鬼を踏みつける姿で絵画や像になる。この毘沙門天も何かを踏んでいるのだが———

「百足?」


 踏んでいるのは百足の像だった。森で見たあの大百足のことを連想させる。ここは、あれを封じ込めるための寺院ということなのか。


「信じられん……よほど強い守護霊でもいたのか?」

「はい?」

「この娘の霊障だ。普通はこの程度では済まん。死んでいてもおかしくないというのに———」


 その守護霊は、と言えばしゃべり続ける老僧の頭のあたりを覗き込みながらひたすらわめいていた。


「この人絶対ハゲだって!絶対ハゲだよ!全然生えてないもん!ハゲ誤魔化すために坊主になったんだよ!」


 どうやらこの人には視えていないらしい。先ほどの切れ方からして、こんな失礼なことを言われてスルー出来るとも思えない。

 ———正直、この人物が話を聞いてくれるのかどうかは不安だ。しかし、この人に聞かないわけには行かないだろう。僕は自分の身の上———つまり、十数年前の遭難事故について話を聞こうとした。


「その、10年前に遭難した小学生がいた、という話は聞いたことがありませんか」

「全く、懲りないヤツだ。その話はもう飽きるほど聞かれた。大体、この娘の処置が先だろう」


 が、その話もこの老人には癇に障る話であるらしい。取り付く島もない。

 しかし、引き返すわけには行かない。僕たちは知らなくてはならない。何が起きたのか、何が起きているのか。


「その小学生が———多分、僕とこの娘です」


 僕がそういうと、老人はようやく怒り以外の反応を見せた。

 何、と声にならない声を挙げる。


「あの時何が起きたのか———実のところ、記憶が無いんです。ただ、僕の周りに奇妙な出来事は起きている。その、あなたのいう守護霊みたいなものがいたりもする。だから僕たちはここに来たんです。教えてくれませんか。何があったのか、何が起きているのか」


 僕がそう問うと、老僧は神妙な表情で押し黙った。

 語り掛ける言葉に迷っているように見える。先ほどまでの怒りは消えて、懸命に言葉を探している。

 答えを待つべきか迷ったが、ようやく見つけた取っ掛かりを逃したくなかった。


「その、それで。守護霊……と言いましたよね?」

「ああ……うむ。言ったが」

「それが語り掛けてくるんです。ここに、すべてを知っている人がいる、と」

「語り掛けてくる———?」


 老僧は眉間に皺を寄せた。

 うなりながらさらに何か考え始めてしまった。

 「そうか、だとすると———」とか「しかしそのような素振りは———」とか、何かを納得したり、逆に合点がいかないというような独り言をつぶやく。


 しばらくして、老僧はようやく僕に向かって口を開いた。


「ともかくも、まずはこの娘についてだ。境内に社があったろう?そこに案内する。眠っている娘も連れてくるがいい。そこにいる者なら呪いを解くことが出来るし———おそらくだが、お前のいう守護霊についても答えを知っているだろう」


 というと、老僧は外に出て行ってしまった。

 僕は慌ててメイを背中に担ぎ、その後を追う。



 境内にやってきた時、最初に目についた鳥居と社。そこに僕たちはいざなわれる。

 一般的な神社のように賽銭箱があり、その奥には壇に乗せられたご神体があり———老僧はその中に遠慮なく入っていった。

 壇の上にあるものは、鈴のようだった。持ち手があって、その先には稲穂のように鈴が実っている。いわゆる神楽鈴である。

 老僧はご神体を通り過ぎて、さらに奥に進んでいく。

一番奥に、引き戸が一つ。外側からは普通の壁にしか見えない。だが老僧は迷うことなく、一か所に手を掛けた。


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ミヤコ童子は傍にいる 佐倉真理 @who-will-watch-the-watchmen

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