リビングルーム

「え、本当にそうだったの!?」


 目を見張り、スマホを片手に固まる。

 キッチンで料理をしていた妻――亜紀が、化け物でもみるような目でオレを見て、はち切れんばかりに頬をパンパンに膨らませた。


「それ、本気で言ってるの!? ヒロリンって釣りの本を読んでると、わたしの話を半分も聞いてないよね? 返事だけはいつもしっかりするクセに」


 耳が痛い。大学の頃から言われ続けてきた。それが原因のケンカも何度もしたっけ。オレは学習能力がないのか?


「そんなこと言った?」

「言ったッ! 花先輩と一緒に推しバンの追っかけするとこなったからしばらく忙しいって。来月にはバンドが渡米しちゃうからって」

「う~ん……」

「あきれた。『推し事が忙しくて、ってヤツか』って、ヒロリンが言ったんじゃん。語呂がよかったからそのまま使ってたのに」


 覚えてない。亜紀は夢でも見ているんじゃなかろうか? なんて口が裂けても言えないけれども。ケンカどころか、これ以上は本当に血を見る。


「それでわたしの浮気を疑うなんて、ホント信じられないッ!」

「や、だって、見たこともないアクセサリーや派手な服とかあったし……」

「え、人のタンス勝手に……エッチ! ヘンタイ! スケベッ!」

「夫婦なのにエッチって……じゃあ、何だよあれは!」

「アクセサリーはヒロリンに買ってもらったやつばっか! 自分で買ったのなんて少ししかないから」

「……マジ?」


 大丈夫か、オレ!? 自分の記憶力を疑うわ。


「じゃあ、服は?」

「ライブに行く時のに決まってるでしょ! 普段は着ないわよ!」


 そうか、だから派手なのか。納得。

 自分の思い込みの激しさに嫌気がさす。

 亜紀は怒りが収まらない様子でテーブルにタンッと皿を置くと、乱暴に椅子を引いて座った。

 テーブルの上でギュッと腕を組み、殺意の籠った目でオレをにらみつけている。


「どれだけわたしに興味がないのよ! 本当に浮気しちゃおうかしら」

「そ、それだけは勘弁。オレが悪かった。ごめん、亜紀……」

「アキリンッ!」


 わかった、わかったから。

 どうにも愛称で呼ばれたいらしい。しかし、会社では勘弁してほしい。

 ただでさえ、公私混同するなとうるさく言われる会社なんだから。未だ旧姓で亜紀を呼んでいるのもそのせいだ。


「本当にごめんなさい。アキリン、大好きです! 愛してます! 海より深く反省してます!」

「もうッ、口ばっか!」


 プイッとそっぽを向きながらも、亜紀の顔がデレッと崩れる。かわいい。

 結婚して三年経っているのに、亜紀は増々かわいくなっている。と思うのはオレの気のせいではあるまい。


「でも、よかったのか、花先輩。温泉の招待券なんて安いもんじゃないだろうに」

「あー、うん、推し事のお詫びに旦那さんと行くつもりだったらしいんだけどゴニョゴニョ……」


 亜紀が目を逸らし、言いづらそうに言葉を濁す。

 テーブルの上でモジモジと指先を遊ばせながら。


「ここだけの話ね? 昨日お礼がてらに聞いたら、離婚することになったらしいの。旦那さんの浮気で」


 どこかのスレで見たような話だ。

 嫁さんの推し事が忙しくて、それにかまけて自分が浮気って。

 まさか、な。


「ちょっと派手な下着があったくらいで逆に浮気を疑われるなんて……」

「えっ!?」

「あ、ううん、なんでもない」


 間違いない。社畜生は花先輩の旦那さんだ。世界の狭さに身震いする。

 オ、オレは他の連中みたいに煽ってないからな。

 他人事とは思えなかったから「私怨」はしたけど。

 自分と重ねて「悔い改めろ」とも書き込んだな。


「ヒロリンは浮気なんてしないよね?」

 不安気に、亜紀は上目遣いでオレを見つめてくる。


 かわいい。好きだ。大好きだ。

 オレは世界で一番亜紀を愛している。どんな美女よりも、アイドルなんかよりも。

 53ちゃんねるに書き込んだら、間違いなく「もげろ」と生暖かいレスがつくに違いない。が、亜紀とふたりきりのこの場だ。ここで言わずにどこで言う。


「推し事が忙しくて、浮気する暇なんてないよ。出会った頃から、アキリンはオレのいち推しなんだから」



 Fin

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おしごとが忙しくて えーきち @rockers_eikichi

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