第3話 赤田首里殿内を聴きながら
うりが
しーやーぷー しーやーぷー
みーみんめー みーみんめー
ひーじんとー ひーじんとー
いーゆぬみー いーゆぬみー
しーやーぷー しーやーぷー
みーみんめー みーみんめー
ひーじんとー ひーじんとー
いーゆぬみー いーゆぬみー
だいくくぬ
しーやーぷー しーやーぷー
みーみんめー みーみんめー
ひーじんとー ひーじんとー
いーゆぬみー いーゆぬみー
しーやーぷー しーやーぷー
みーみんめー みーみんめー
ひーじんとー ひーじんとー
いーゆぬみー いーゆぬみー
沖縄民謡、『
この歌は、1番以外は様々な歌詞があるらしい。
弥勒様を讃える歌で、「弥勒様降臨され、世界が平和になったよ」という内容だ。
この歌は、本土でも比較的知られた歌だ。だから様々な歌われ方をする。
本来の手遊び歌風。リズムミカルなポップス風。子守歌のようなスローテンポでもよく歌われる。
『しーやーぷー』からの囃子には、手遊びの振りがつく。
彩さんは、1コーラス目だけ振りを付けたが、その後はお箏の伴奏に移った。
ここが沖縄なら、わざわざ彩さんが見せなくても、自然にお客さん皆の振りが付くだろう。
それはそれで楽しいけれど、ここは東京の東北系民謡メインの酒場だ。
パーカッションの涼華さんは、カホンとのコンビネーションでツリーチャイムやティンシャ、鈴といった鐘物を数多く持ち替え、弥勒様の様子を描き出す。
どちらかと言えば、雅楽の
2番と3番の間にお箏とギターの短いソロが入る。これも技術を見せつけるソロではない。世界観を音で作り出す間奏だ。
お箏の彩さんが、二和音でメロディラインを。ギターの梨絵がアルペジオで景色を描く。
潮騒の音。柔らかに吹き付ける海風。磯の香り。夕暮れ時。または暁時。群青の空に輝く星と、オレンジ色の水平線。
そんな、キラキラとした僅かな時間。
それらが伝わってきそうな間奏だ。
最後は囃子のフレーズを繰り返し、段々早くなる。盛り上げてエンディングを迎え、ふっと消える。
ここは皆が息を合わせて盛り上げ、止まるという合奏の見せ所だ。
そして静寂。盛り上りの余韻を噛み締める。
その隙間から、イントロのメロディがお箏で弾かれ、静かに終わる。
何より、彩さんの歌がたまらない。
お母さんが枕元で歌っているような、
歌い上げるスタイルじゃない。まるで語りかけ、一人一人に読み聞かせるかのように歌う。
彩さんは琉球民謡を習得するため、東京の琉球箏曲の奏者さんの元に、出稽古に通っていたという。
その会派の解釈。沖縄民謡の歴史、琉球・沖縄の歴史。口伝。それらも学び、歌う心構えとして必要な知識も蓄えたという。
もちろん、たとえ彩さんレベルの歌い手でも、現地の人には敵わない。
よそ者がどうやっても、真似事の域を出ない。
彼女だってそれは充分理解している。嘗て箏曲コンクールで、最年少日本一を獲った人だ。民謡は甘くないことなんて、誰よりも理解している。
それでも、現地の心を僅かでも自分の内に流さなければ、その土地の人たちに失礼だ。
和楽器界に長く身を置く彩さんにとって、それは当たり前の考え方だった。
でもそれ以上に…
「私さ。お母さんに子守唄とか歌ってもらった記憶、無いんだよね」
はじめてこの歌を歌ってくれた時、彼女はそう漏らしていた。
彩さんのお母様は、お箏のある会派の大師範だった。
そのため二歳を過ぎたころに、お母様の手解きでお箏を習得し始めた。
その時から、彼女とお母様は「師弟」の関係となった。母娘の関係は、その時を境に失われたのだ。
祖母や母と同じように、トップを獲るため。そしてその座を守り続けるため。すべては周囲の期待に応えるため。
ただそれだけのために、彼女は鉄拳制裁も厭わない、お箏のスパルタ育成を受け続けていたという。
当然、子守唄を歌ってもらった記憶など無い。
「でもね。涼華や梨絵と出会って、分かったことがある。あの二人、まるでお母さんだったりお姉さんだったり。梨絵なんか、たまに妹みたいで。私が欲しかった理想の母娘、姉妹の役割をやってくれてる」
二人とも彼女が
まだサポートの金銭的リターンなどほぼ無い頃から、彩さんを支えていた。
涼華さんは、彩さんのマルチな才能に惚れ込んで。
梨絵は、彩さんを苦しみから解放したくて。
そして二人とも、彩さんに羽ばたいて欲しいと願い、支えてきたのだ。
「あの二人から、親心や姉妹の心を教えてもらった。自分が未熟でも、想い続ける心とか、嫌われても言わなきゃいけない苦しさ。それと、最後は自分の手を離れて羽ばたけ!っていう、無条件の愛情。あの二人がいて、そんな心を知ったから、私は童歌や子守唄を母心で歌える」
そんな彩さんの赤田首里殿内に、私の隣でおやっさんは目を瞑って聴き入っていた。終わっても、まだ余韻を噛み締めている。
強面で、音楽、特に民謡に厳しいおやっさん。さっきまで涼華さんと軽口叩き合ってたこの人が、いまはじっと余韻に浸っている。
「…やっぱ、すごいよ。すごい。みんな。私、ステージ降りて正解だったよ」
その言葉に、梨絵が身を乗り出し何か言おうとする。
しかしそれは、彩さんによって制止された。そのまま彩さんは、梨絵を見つめ静かに首を横に振った。
「嬢ちゃんも歌ってたんだってな。ピアノ弾き語りだっけか。そこでカバー被ってんの
おやっさんがそれとなく誘ってくる。けれど、私は混ざる気にはなれなかった。
なぜなら、私はもう辞めた人間だ。
人前では弾かない。カラオケ以外では歌わない。そう決めて一年前、音楽の舞台から降りたのだ。
「もう弾かないし歌わない。決めたことだし」
- 特に、梨絵と一緒にはね。引退を決めた切っ掛けは、あなただから -
そう心の中で続けたけれど、口には出せなかった。
口に出せば、梨絵を傷つけてしまう。
梨絵は一見、ただぼーっとしているように見える。本当にぼーっとしている時もあるけれど、大抵何か想いを巡らせている。
他人の気持ちを慮り、どう接するか、どう声をかけるかを考えているのだ。分かりにくいけれど梨絵は、他人に対し必要以上に心を砕く癖があるのだ。
こんな風に考える人は、心に繊細な部分を抱えていたりする。ちょっとしたことを、深く考えてしまう。梨絵もそういうタイプの子だ。
実際、私の引退に梨絵は全く関係ない。私自身の心の問題だ。
と言うよりも私程度の人間は、事務所の意向や方針、その他自分のコントロールの外にある力に左右されることは無い。自分の身の振りは自分で決められる。
そんな人間一人の引退なんて、どう理由付けしても自分自身の問題なのだ。他の誰かが切っ掛けだなんて、言いがかりでしかない。
だけど、それでも梨絵に対して100%曇りなく「あなたは関係ない」と言えるか、と言われると…。
ちょっと難しい。
そんな思いを
少し湿っぽい雰囲気になりかけたその時、涼華さんの威勢よく軽快なジャンベのコンビネーションが、静寂を突き破った。
叩きながら、涼華さんは店内のお客さんに向け声を張り上げた。
「よっし! 次、景気よく行こう!『オジー自慢のオリオンビール』な! 彩、 箏の調弦変えたら合図お願い。梨絵、彩の合図まで前奏回して。さっ、 お客さん! 折角だからどんどん入ってきなっ! できる人は壁の楽器取って…キーはD♭ね! 弾かない人は歌って踊ろうぜ!」
_________________
第3話はここまでですが、一つだけ言わせてください。
今回のテーマ、沖縄民謡『赤田首里殿内』4番の歌詞です。
「
は、
「道々のそこら中で歌を歌い遊ぶ。
そんな、弥勒様がもたらす平和で豊かな世の中が、近くなったよ」
という意味です。
昨日から、主権国家同士の戦争が始まってしまいました。
私には、半分ロシアをルーツに持つ友人がいます。
彼女も、ロシアに住む彼女の親族も、この戦争に疑問を持ち、嘆いております。
「ウクライナ、そして母国ロシアも、双方色々言い分はあるだろう。でもなぜ血を流さなければならないのか?」
と、彼女の親族の方が仰っていたそうです。
私は彼女に心を寄せること、ウクライナ支援窓口に募金するくらいしか、できることはありません。
とにかく。こんな情勢下ですが、平和を願って。
道々ぬ巷、唄歌てぃ遊ぶ。両国にそんな時が再び訪れることを願って、この一編をUPします。
あなたの音は、私が「撮る」 伊吹梓 @amenotoriitouge
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