第2話 素人っぽさも魅力だけれど
「
二日間に及ぶ撮影が終わった。そのまま三人に、お疲れ様の飲みに誘われた。
さすがに今日は疲れている。すぐにでも帰りたい。
でも、みんなと話もしたい。
最近は、この三人と飲みながらゆっくり話すなんて時間、めっきり減っている。
結局、話したい気持ちが勝った。みんなとお店になだれ込む。
飲み屋に入ると、オープンの座敷席に通された。
手際よく注文を終えると、まずビールがジョッキで運ばれる。飲めない梨絵だけはジンジャーエールだ。
乾杯もそこそこに、次々運ばれる料理の皿をつつきながらお喋りが始まる。
「そうね、特に
嫌みじゃない。本音も本音。
梨絵の撮影には、これまでどれだけ苦労したと思ってる。
ん? 本音並べたらやっぱり嫌みかこれ?
私はカメラ歴はそこそこある。学生時代から九年。昨年からは、フリーカメラマンの事務所に登録している。
登録してからしばらくは、アシスタントやセカンドとして先輩に付いて回っていた。本格的に一人で撮影依頼を受け始めたのは、半年前からだ。
それからというもの、Iris japonica のサイトで使う写真をはじめ、フライヤーやプロフといった印刷用の写真も私が撮っていた。
元々私が梨絵の親友だからか、まだまだ駆け出しの私をずっと使い続けてくれている。
さすがに親友とは言っても、個人的な依頼ではない。バンドとしての依頼だ。
梨絵はいつも、撮影事務所を通じ正規ルートで指名依頼する。だからタダではないし、割引だってもちろん無い。
ウチの事務所は安くない。
でも使い続けてくれているのは、私を「少しは見込みがある」と評価してくれている…と信じたい。
彼女達はミュージシャンではあるけれど、それぞれ個人個人が「自分プロデュースの事業主」でもある。
みんな、芸能事務所には所属していない。それぞれ教室運営やイベントプロデュースなど、活動の幅が演奏の枠内に収まらため、制限を設けられがちな事務所への所属は避け自営で活動している。特に
個人個人が独立している彼女達は、カメラマン選定も他者の制約を受けない。当人達の話し合いで、自由に選べるのだそうだ。
これまでの半年はずっと、スタジオやライブでの撮影だった。
彩さんと涼華さんは、ずっと注目を浴びる立場だったり、アーティスト活動歴が長かったりで、そこそこ撮られ慣れている。カメラを向ければ、完璧な笑顔をサッと作れる。
しかし。梨絵はてんでダメだ。
梨絵はずっと裏方だった。表舞台で個人名を売るような活動は、これが初めてだ。そのせいかどんなに気持ちを
結局、梨絵の写真は殆ど横顔か、演奏姿の真剣顔でお茶を濁す羽目になっていた。
「今までほんっとに苦労したよ。あんた笑っても能面の笑みなんだもん」
「わかる。あれ、ほんっと残念ね。ライブ中でもレンズ向けられると察知して固まるし。驚いたよ。いきなり音飛ばして何事かと思ったもん」
そう。彩さんの言うとおり、梨絵はライブ中にステージ直下からレンズを向けると、演奏中でも固まるのだ。これではパフォーマンスに支障が出る。
表情を撮るなら、暗い中の望遠という最悪の条件しかない。ホントに苦労する。
「でもこれで少しは慣れてくれれば、ライブ撮影も楽なんだけど…って梨絵、枝豆食べ過ぎ! こっちにもよこしなさい」
お酒を一滴も飲めない梨絵は、呑みの席ではとにかく食べる。そのちっさい体のどこに入ってるんか? と疑問に思うくらいに食べる。放っておくと、注文の8割は梨絵の胃袋に収まってしまう。
更にこのお店は、和風系の料理が美味しい。和風が大好きな梨絵は、ずっと箸が止まらない。
と言うか。
これだけ言われて意識は料理。いまの会話一言も聞いてないだろ。おのれはお子ちゃまか。
入ったお店は、見た目は何処にでもある路地裏の赤提灯だ。
しかし一歩店に入ると、楽器奏者にはなかなか心躍るお店だった。
壁一面に尺八やら三味線・三線やら
奥の座敷には
もちろんギターも、アコギやクラシックに加え、エレキ系も三種ある。
ここは、彩さんや梨絵がよく参加している『和洋楽器交流会』で、懇親会に使っている民謡酒場だ。
三人も近くに来た時は、少しだけでも、と顔を出すくらいのお気に入りだ。
気のいいおやじさんは、津軽三味線の奏者だ。コンクールの審査員もやっていた方で、界隈では有名人らしい。
おかみさんは、奥ゆかしく温かい笑顔が魅力。こちらは民謡の歌い手だ。コンクール金賞の賞状も壁に飾ってある。
二人とも東北の民謡出身なだけあって、客層もそっち関連の人が多い。
だけど最近は彩さんのような若い奏者が、洋楽器奏者と組むケースも増えている。それにつれ洋楽器奏者はもちろん、海外民謡奏者や歌い手、そして愛好家など、お客さんもバラエティ豊かになっているそうだ。
「麻里っちさぁ、今日はあたしらがいつも見てる『ナチュラル梨絵』が撮れたんじゃない? この二日で大分撮られスキル上がったみたいだし」
梨絵の目の前の枝豆を、ひょいと取り上げた涼華さん。そのままこちらに回しながら言った。
さすがだ。取り上げかたが手慣れている。
「ほんとにそう!涼華さんね、私さ、梨絵の笑顔はずっと撮りたかったんだよぉ。それこそ写真を仕事にする前からだよ。素人っぽい感じとか、癒し効果あるもん」
「だよねぇ。なんか和むね。これからもこんな感じで、このまんまの梨絵で写真だけ慣れてくれればいいんだけど」
「んー、どうだろ。麻里に撮られることはかなり慣れたかなぁ…えと、枝豆…」
涼華さんの振りに、名残惜しそうに枝豆を見つめて答える梨絵。
てか、何気にその理不尽な取り上げに抗議するような目はやめろ。欲しければ自腹で追加しなさい。
丁度そのタイミングで、ねじり鉢巻親父さんがひと皿を手にやってくる。
皿には揚げたての下足の唐揚げ。
まずい。梨絵の目が輝いている。おやっさん、梨絵の前だけは置くな?
「おいさ下足揚がったよ。梨絵ちゃんの前は…危険だな!ほいさ彩ちゃん受け取んな」
皿は梨絵の前…を素通りし、一番奥の彩さんの前に。おやっさんさすが。心得てらしてありがたいよ。
「嬢ちゃんたち、今日は遊んでかないのかい?」
おやっさんは、悪戯っぽい笑みで彩さんに聞く。
遊んでいく。つまり、店の楽器でセッション遊びしないか? という誘いだ。
むしろ、おやっさんがセッションしたり聴きたいだけ、とも言う。
彩さんは梨絵と涼華さんに目配せする。
その視線に答える前に、涼華さんが立ち上がる。
この店でおやっさんの一言を一番待っているのは、実は涼華さんだ。ここでのお酒が入った音楽遊びに、すっかりハマっているのだ。
「いいの?他のお客さんいるけど」
「構やしねぇよ。今日の客はみんな民謡好きだし、音楽自体なんでも好きな音楽バカ連中だ」
「なに言ってんの。そもそもここ、音楽バカしか来ないじゃん」
涼華さんは既にジャンベとカホンを引っ張り出し、軽く叩いて具合を見ながら言い返す。
彼女の返しは、いつもスッパリ気持ちがいい。親父さんも、そんな雑な軽口を叩き合える涼華さんを、一番の気に入っている。
「そらそうだ!そん中でもお前さんたちは別格のおバカさんだよ」
「んじゃ、別格のバカっぷりがどんなもんだか、見せつけたるわ。おやっさん、リクエストある?」
「そうだな…ま、初っ端じゃなくていいから、どっかで
「お!
「うるせぇや! あのな、赤田は『お嬢ちゃん達だから』聴きてぇんだよ」
ツンデレキタァァーーー!!
心底三人の演奏が好きなんだな、おやっさん。音楽に厳しい人だけど、これ!と思った人には簡単にデレる。かわいい。
沖縄民謡で童歌。津軽系が多いこの店では、演奏する人はあまりいない。
童歌と言っても、Iris japonikaの赤田首里殿内は、大人の歌に昇華している。しっとりながらも煌びやかなのだ。それでいて、子守唄のような柔らかな空気もちゃんとある。大人への子守唄。そんなアレンジ。絶妙だ。
彼女たち曰く、弥勒様が歌われていることから、その神々しい姿と包むような温かさをイメージしているのだと言う。
私も彼女達の演奏でこの歌を知り、一発で惚れた。だから、おやっさんの気持ちもよく分かる。
「麻里も入る? キーボもあるよ? ハモリも合うはずだよ。単に遊びだし。…集客とかファン対応とか、関係ない場だし」
不意に、梨絵がギターを調弦しながら私を誘う。
一瞬迷う。迷ったけど、やっぱり…
「いや、いい」
それだけ答えた。
梨絵はこちらを向かず、チューナーを凝視している。
その横顔には、僅かな笑みがあった。少し寂しそうな、複雑な表情の笑みだった。
それ以上はなにも聞かず、三人はお箏、パーカス、ギターを、それぞれキャッキャと楽しそうにセットした。
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