あなたの音は、私が「撮る」

伊吹梓

第1話 はじめてこいつの笑顔が撮れた!



「ちょっ、麻里まり!なにやってんの!あんたこのタイミングで撮るかっ!?」


 パシャ、と一眼レフの控え目なシャッター音が鳴る。梨絵りえはブランコを豪快に漕ぎながら、耳聡くその音を聞き分けた。


 ここから梨絵の漕ぐブランコまでは、20mほど離れている。よくシャッター音が聞こえたものだ。地獄耳かあんたは。


「違う違う、スカート狙ったわけじゃないよ?」


 ブランコが起こす風。頂点まで来たその時、ちょうど突風か吹き付けた。

 二つの風が合わさって、プリーツスカートの裾がフワリと舞う。

 シャッターを切ったのは、その瞬間だ。撮られた梨絵は、焦ってブランコを止めに掛かっている。


「ごめんごめん。でもいま、梨絵の表情が最高だったんだよ。スカートは事故!」

「まさか今の写真使わないでしょうね? ちょっと見せて!」


 もちろん狙ってなんかいない。そもそもこんな美味し…偶然の賜物、どうやって合わせるんだ。丁度いい時タイミングが来てしまっただけだ。違う丁度良くない。いや丁度良かったかも?


 梨絵は、少し大きめの声でブツブツ文句を言っている。声だけはここまで聞こえた。でも、言葉は公園の広場に拡散し、よく聞き取れない。

 般若心経でも唱えているような単調なメロディで、恨み節らしき言葉を吐いている。


 なかなか止まらないブランコに痺れを切らし、梨絵は発射台から飛び出すように降りた。


 おいおい。いま履いてる靴、ピンヒールのショートブーツだぞ? 足挫いても知らないぞ?

 

 なんて私の心配も他所に、そのブーツで駆け寄ってくる。器用なヤツだなまったく。と言うかそれ、私の予算で揃えた衣装の一つ。ヒール折れたら弁償な?


 そもそもだ。

 プリーツスカートで裾ヒラつかせ、額に青筋立ててブランコ鬼漕ぎする方が、余程どうかしている。


(ま、そのおかげでちょっと貴重なショットかも)


 カメラのディスプレイで写真を確認しする。

 サラサラショートヘアは、風でフワッと膨らんでいる。

 光を浴び、気持ち良さそうに大口開けて笑う梨絵。

 滅多に見せない、無防備な梨絵の笑顔が映し出されていた。


 額の青筋だけが色んな意味で残念だけれど、これくらいなら補正で消せる。問題なしだ。


 駆け寄ってくる梨絵と一緒に、他の二人も興味津々でやってきた。


 集まってきた三人。彼女たちが今日の被写体だ。


 三人は、和洋楽器混成の女子3ピースバンドのメンバーだ。

 バンドの名は Irisイリス japonica・ジャポニカ 。アヤメ科の花、シャガの学名から採っている。


 ボーカル & 十三絃箏じゅうさんげんそうあやさん。

 パーカッション & 時々マリンバの涼華りょうかさん。

 そして、私の親友でアコースティックギター & クラシックギター & 稀に十七絃箏じゅうしちげんそうの梨絵だ。


 昨日と今日は、Iris japonica の 1stアルバムに付ける、初回予約特典のための撮影だ。

 手書きサイン入りのフォトブックを、予約限定で付けるという。そのための素材撮影だった。


 昨日はスタジオで、アーティスト写真に近い撮影を。

 そして今日は、彼女たちの素の表情を中心にした、野外でのポートレート撮影だ。


 三人は顔を寄せ合い、私のカメラのディスプレイを覗き込む。


 「うん、 梨絵のこんな表情の写真、あまりないよね? さすが麻里さん。梨絵の一番いいところ、よく捉えてるね」


 とは、スラっとした長身のしっとり美人、彩さん。

 なんだろう。柑橘系の香水? 上品で心地好い香りがする。


 彼女は梨絵より三つ年下。なのに、普通に見れば逆に見えるくらい大人びている。

 スッと切れ長の目元。梨絵より少し前髪が長いショートヘア。彩さんがいる場所はいつも涼やかな風が吹き、光が差しているように見える。

 バンドのフロントマンにふさわしく、カリスマ要素の塊だ。


 「んー、これでもダメなん? 下着はギリ見えてないけど? 全然平気じゃん? 」


 とは、スッパリサッパリ割り切りガールの涼華さん。公園の子供たちと砂場遊びに夢中だったせいか、少し埃っぽい。でもそれが、どこか野性的な色気を更に際立てている。


 彼女は一言で表せば「男前」。腰まで届くロングヘア。キリッとした顔立ち。彩さんより少し小柄だけれど、テンガロンハットにロングブーツという、西部劇の女性ガンマンスタイルが似合いそうな雰囲気だ。

 その雰囲気どおり、梨絵より二つ年上。バンドの下支えにふさわしい、細身だけれどっしり頼れるお姉さんだ。


「いやいやダメ! アウト! 下着見えなきゃいいってもんじゃないからね?ここまで腿晒すのはダメだかんね?」


 なんて大慌てで騒いでいるのが…さっきピンヒールのショートブーツでブランコ曲芸を見せてくれた、梨絵。良い子はマネするな?


 梨絵とは三年前からの付き合いだ。そして大抵の軽口が許される、私の大親友だ。


 私がフリーカメラマンに転向した後は、梨絵の個人的な依頼の他に、Iris japonica の撮影も頼まれていた。半年前から彼女たちの写真は、ほぼ全て私が撮っている。


 この三人が並ぶと、なるほど Iris japonica の名にぴったりだと、思わず納得してしまう。

 Iris japonica、つまりシャガの花は、白地で内側に楕円を描くような紫のライン、その中は黄色の点描模様という、幾何学的な鮮やかさを持つ。


 彩さんが地の白。

 涼華さんが太く印象的な紫のライン。

 そして梨絵は、内側の点描のように散らばる黄色。


 言われなくても、そのイメージがピタッとはまる三人だ。


「ダメ? んー、公開とか関係なくいい一枚なんだけどなぁ。こんな表情豊かな梨絵の写真、そんなにないから貴重だよ?…保存だけでもダメ?」


 勿体なくて、念押ししてみる。


 そう。梨絵はいつも、どこか理性的だ。自分を抑え、人のことをよく観察している。そのせいか面倒見がよく、手を差し伸べる時もさりげなく、嫌みがない。


 ただ観察が過ぎると言うか……。


 自分を抑え過ぎるのか、感情を表に出すことは殆どない。大口を開けて笑うようなこともあまりない。お酒も飲まないから、リミッターが吹っ飛んでハメを外すことも殆どない。


 もちろん彼女も人間だ。豊かな表情を全く持たない訳じゃない。ただ、出すことがとても少ないのだ。

 ほんの稀に表に出る、満面の笑みや無邪気な表情。いまここにカメラがあれば! と思った瞬間は何度かある。


 だけどいざ撮影の場になると、大抵張り付けたような表情になる。撮られ慣れていないこともあるだろう。勿体ない。

 だからずっと、梨絵のそんな表情を撮りたいと思っていた。その願いの結晶がいま、カメラのディスプレイに映っている。


 最高の表情だ。光の具合もちょうどいい。梨絵の笑顔が輝いている。スカートさえ舞い上がらなければ、傑作の一枚になっただろう。思わずニヤけてしまう。


でもやっぱり……。


「ダメダメアウト! 個人的に保存もダメ! て言うかなに? 麻里って脚フェチ? そういう趣味あったの?」


 いや、そんなこと真顔で聞くな。てかそもそも同性だぞ? むしろ百合の気はどう見ても、梨絵の方が強いぞ?


 梨絵は露出に非常に厳しい。ふくらはぎくらいまでしか許してくれない。

 その上警戒心も異様に強い。こんな時は目の前で消すことが、梨絵と上手く付き合う鉄則だ。


(勿体ないけど…ま、今日一日あればまた撮れる表情だし)


 梨絵に見えるよう、ゴミ箱ボタンを押す。1秒足らずで画像は消えた。


「……ありがとう。表情なら、また撮れるように頑張るよ」

「あ、それダメ。頑張るとあんたの表情、能面かハニワになるから」


 私の咄嗟の本音…いや心からのストップに、梨絵が盛大に噴き出だし大笑いする。


(おっ!来た!それいただき!)


 ファインダーを覗いてる間なんか無い。

 反射的にレンズを向け、秒でノーファインダーで連写した。


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