第12話 海、そして

 駅から出ると正面方向の先にもう海が見えていた。僕は駆け出したい気持ちを抑え、沙菜の歩くペースに合わせて海がある方向に向かって歩く。

 距離的に後10分もすれば到着すると思われる。

「駅から海が近くて良かったな、沙菜」

「うん」

「もう少しの辛抱だぞ」

「早くイルカさんに会いたいな」

「そ、そうか」


 僕の背中に冷たい汗がたれ落ちてくる。どうやら沙菜は完全に僕が言ったことを真に受けて、イルカに会えると信じているようだ。

 いやでも僕が言ったのはあくまで「会えるかもしれない」であって「会える」と断言はしていない。

 沙菜が勝手に勘違いしているだけなので、とりあえずは放っておこう。

 横で「イルカさん楽しみ~」などと呟いているがすべて聞こえなかったことにする。

 海に着いたら嫌でもイルカに会えない事実が判明するので、沙菜は悲しむかもしれない。

 後で食べ物で意識を逸らせてイルカと会えない悲しみを忘れさせる作戦だ。食べ物は別に特別なものでなく母が作ったお弁当である。


「美味しいもの何でもご馳走してやるぞ」と言って誘ったが、弁当を食べた後では大したものは要求されないだろう。全ては僕の計画通りである。

 思わず、ふひひとゲスい笑みが浮かびそうになり、僕は口元を引き締めた。

 そんなことを考えているうちに海は近づき、僕らは砂浜に降り立った。

 テンションの上がった沙菜が僕と繋いだ手を離し「海だー」といって駆け出した。

 僕も沙菜を追って走り出し、ギリギリいっぱい波打ち際まで行って僕らはそこで停止した。

 僕も沙菜に倣って「海だー」と叫び、どこまでも広がる青い海と青い空をしばし眺めた。


「やっと着いたよ、沙菜」

「着いたー。海ー」

「綺麗な景色だな、沙菜」

「綺麗。それに大きくて広い」

 僕らはふたりとも間近で海を見るのは初めてで、海の広さに圧倒された。

 展望台からの景色も素晴らしかったが、近くで見る海の景色も負けず劣らず素晴らしいと感じる。

 寄せては返す波の音が僕の心を穏やかに変えていく。まさに癒しの空間だなと僕は思い、疲れが海へ空へと溶け出していくようだ。

 僕が深く感慨にふけっていると、隣の沙菜がきょろきょろと辺りを見回していた。


「イルカさん、どこー」

 その一言で妙に現実に引き戻された気分になり、僕はやれやれとため息をつく。

 せっかく幻想的な気分に浸っていたのに台無しである。

 でも沙菜にとってはイルカに会うことが海に来た大きな目的のひとつなので仕方がない。

 到着して早々イルカを探したくもなるだろう。見つかるわけないが僕もイルカを探すふりだけはしておこうと思い、時間をかけて広い海を見渡す。

 当たり前の事だがイルカは見つからない。


「うーん、今日はイルカさんいないのかもな」

 僕が適当に答えると、沙菜が不満げな表情を見せる。

「えー、お兄ちゃんが海に行けばイルカさんに会えるっていったのに」

「それっぽいことを言ったのは確かだけど、今日はいないんだから仕方ないじゃないか」

 とりあえず、今日は、という部分を何度も強調しておく。運が悪いと諦めてくれたら、僕が嘘つきだと怒り出すこともないだろう。

 僕が沙菜の様子を伺うと何やら、うーん、と唸りながら考えていたが、しょぼんとした表情を浮かべてただ一言「残念」と告げた。

「そういう日もあるさ」


 僕の適当な慰めの言葉に沙菜は小さく「うん」と呟いた。

「とりあえず海を見ながらお昼ご飯にしないか、沙菜」

 僕は沙菜を元気づけるため出来るだけ明るい調子でいって、リュックサックを背中から下ろす。

「お昼ご飯? そういえばおなか減った」

「だろ」

 僕はまずリュックサックからレジャーシートを取り出して砂浜に敷いた。

 靴を脱いでレジャーシートにあがり、四隅を僕らの靴で抑えて風で飛ばないようにする。

 準備ができたら座り、僕はリュックサックから先に沙菜の分のお弁当箱と水筒を取り出し「はい」といって手渡した。

「ありがと」


 そして次に僕は自分のお弁当箱と水筒を取り出して、レジャーシートの上に置いた。

 箸は弁当箱の蓋に収納されているタイプなので、そこから取り出し手に持って蓋を開ける。

 沙菜とふたりで「いただきます」を言って僕らはお弁当を食べ始めた。食べながら僕はふと思ったことを口にする。

「こうしてると本当にピクニックみたいだな」

 僕の言葉に沙菜は少し不思議そうに首をかしげてから告げる。

「みたい、じゃなくてピクニックじゃないの?」

 そういわれ、沙菜にはお出かけしようと海に誘ったことを思い出す。沙菜からしたら今日はピクニック以外の何物でものないだろう。

 僕の中では地球の形の調査という目的が一番にあるのでピクニック感は少ないが、こうして海を眺めながら食事をすると何だか楽しいなという気分になる。


「そういえばピクニックだった。さっきの発言は気にしないでくれ」

 僕が適当にごまかすと、沙菜が「へんなの」といって笑い、何気ない感じで聞いてくる。

「お兄ちゃんはどうして海に来たかったの?」

 核心に触れる質問で思わずドキリとするが、沙菜に言おうか悩み、結局少し話してみることにした。

「僕は海の近くから水平線が見たかったんだ」

「水平線って何?」

 僕が水平線について説明すると、沙菜も水平線に目を向けて、感想を述べる。

「特に面白いものじゃないけど」

「それは想像力が足りないからだと思うな」

「想像力?」

「考えてみてくれ。あの水平線の場所は一体どうなってるんだろうって。沙菜はどう思う?」


「海だと思う。海しか見えないし」

「それは半分正解だろうけど、半分は間違っている可能性があるよ。沙菜は目の前に海しか見えないからあの水平線までは海が続いているって考えたんだよね。じゃあ水平線の向こう側はどうなっているんだろう。沙菜はどう思う?」

「水平線の向こう側? うーん、確か海の向こうには別の国があるんだよね。だったらやっぱり海が続いてるのかな。お兄ちゃんはどう思ってるの?」

「僕? 僕にはいくつか考えがあるけど、まず考えられるのは沙菜が言ったように海が続いている可能性」


 この考えが正しいなら地球は丸いことになり、僕の直感は間違っていたことになる。

 見えないところに海が広がっていても何の問題もない考えだ。

「次に考えられるのは水平線の所までしか地球が存在していない場合」

 こちらは地球が平面と考えた時の見え方で、僕の直感が示していた形だ。

 それを聞いた沙菜が、はい、と言って質問してくる。

「それは少しおかしいと思う。水平線の所までしかないなら、その前に外国が見えてないとおかしいよ」

「沙菜の言う通りだけど、外国まで遠すぎて、小さくなりすぎて認識できないだけかもしれない」

 僕がそう告げると沙菜は再び水平線の方に目を凝らして見て、少し考えた後にいった。

「でもあの水平線のとこまでそんなに離れてるように見えないよ」

「それは……」


 確かにここに来て僕も薄々思っていた。展望台から水平線を見下ろした時はもっと距離があるような気がしたけど、ここから見ると妙に近く感じてしまう。

 果てしなく長く続く先に水平線が見えるという感じがしないのだ。

 それにさっきは外国が小さすぎて認識できないといったけれど、注意して見てもまったく発見できないといったことがあるだろうか。

 目の前の大部分に水平線が横切っており、見える方向の先にはたまたま大陸がないという考えもできない。

 僕はここに来て自分の考えの旗色が悪いことを理解する。もしかして大人たちが言うように地球が丸いのではという気がしてくる。


 地球が丸いと考えて海を眺めた場合、何か気付くことはあるだろうか。

 横断する水平線に丸みは感じられない。裕が言うには高い所から見ると丸くなっているらしいとのことだがここからでは判別できない。

 近くに展望台も無さそうなので、目で確認することは諦めるしかない。

 その後も色々と考えたが地球の形がはっきりする考えは得られなかった。

 ここらが潮時かもと思い、僕はひとつ溜息をついて、考えを整理する。


 今日は海に来て目の前に広がる水平線を見たが、感想としては意外と水平線までの距離が短く感じられたこと、展望台から眺めた水平線の方が何となく遠くに見えていた気がしたこと、の2点が挙げられる。

 もしこのふたつが正しければ、地球は球体であるといえるが、ただの気のせいと言われれば、強く反論は出来ない感じだ。

 展望台からの景色と、ここからの景色を短期間に交互に見ることが出来れば、より違いがわかるかもしれないが、周辺に展望台がないためそれは不可能だ。

 だから断言は出来ない。だが自分の中にある、地球は平らである、という考えにひびが入ったのは事実だ。


 地球が球体であるという考えに、自分が傾きかけているのを実感する。

 結局、大人たちの言うことが正しいのかもと思うが、それはそれで何だかつまらないと感じてしまう。せっかく世界の秘密を見つけたと思ったんだけどな。

 でも秘密を探る旅は楽しかったし、悪くなかったと前向きに考えなす。それに自分の望む結果が出なかったから不貞腐れるのは、あまりにかっこ悪い。

 やはり現実を受け入れなければいけない。僕は気持ちを切り替え、もっと楽しいことに考えを向ける。

 今回のことで唯一心残りがあるとすれば、地球の形を実際に目で見て判断したわけではないことだろう。


 丸いなら丸いで実際に自分の目で見てみたいという欲求が強く存在する。でもそんなことが本当に可能だろうか。

 その時ふと空を見上げたら、飛行機がゆっくり飛んでいた。僕は一瞬あそこからなら地球の形が見えるんじゃないかと考えたが、すぐに疑問を抱く。

 飛行機に乗ったら地球の形が見えるという話は聞いたことがないからだ。

 だからもっと高く、あの空よりも高く、遥かな高みを目指して上昇せねばならない。

 僕の中で、宇宙飛行士という言葉が降りてきたのはその時だった。


「沙菜。今日は一緒に来てくれてありがとな。僕は今日ここに来て自分の夢を見つけたよ」

「夢? どんな夢なの」

「宇宙飛行士になって、宇宙から地球を眺めるのが僕の夢だ。地球が丸いことをこの目で確認するんだ」

 僕の力強い言葉は海や空に吸い込まれ、消えていくのだった。


  ☆


 結局その日、海の滞在時間は2時間ほどで、のんびり海を眺めたり、砂浜を走り回ったりして過ごした。

 遊び疲れた僕らはそろそろ帰ろうかとなり、再び電車に乗って家に帰った。沙菜は途中電車の中で寝てしまったので、自分も寝てしまわないように気を付けた。

「美味しいもの何でもご馳走してやるぞ」という約束は、別の日にお願いと沙菜に約束させられて後日ケーキを奢らされることになった。

 家に着いた僕は疲労でぐったりして休みたかったが、沙菜の口から海に行った事が母に漏れて大目玉を食らってしまう。


 そんなこんなで僕の地球の形を探る冒険の旅は、最後母に怒られるという形となり、終わり良ければ総て良しとはならなかったが、でも僕はとても満足だった。

 明日からはまた日常の日々に戻るが、それもまた良しと思える。

 とりあえず明日は裕に今日の旅の結果でも報告しよう。

 きっと興味深く聞いてくれるに違いない。

 その日、疲れていた僕は早めに就寝することにして布団に潜り込み、目を閉じた。


  ☆


 あれから長い長い時が過ぎた。


  ☆


 僕は大人になり夢を叶え、宇宙飛行士になっていた。

 現在、宇宙船の窓から地球を見下ろし、感慨にふけっている。

「子供の頃、僕は地球が平面だと思ってたんだよな」

 遠い昔を懐かしみ、様々な思いが胸に沸き起こってくる。

 親友と展望台に登ったことも、妹と海に出掛けたことも、大切な思い出の1ページだ。

 あの頃、僕は少しひねくれていて、大人たちの言うことを素直に信じない子供だったなと思い出す。

 だがそのおかげで夢を見つけ、今はこうして夢を叶えているのだから、悪い子供時代ではなかった。

 僕はもう一度、宇宙船の窓から地球を見下ろす。

 そこには青くて丸い巨大な地球が姿を見せているのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

世界の果て さまっち @nobuaki2022

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ