曹植と宝剣(短編)

岡上 佑

曹植と宝剣

 何時も脳味噌への負荷のあるような、頭の痛い文章を上げていてスミマセン。今回は単発もので、自分の作品ながら一番お気に入りの随筆をアップします。論文調ですが、一万字もないので、二十分も有れば読めるかと思います。一発アップで行きますので、じっくりお読み下さい。


 もし、貴方が本作を読んで、何か感じるものがあるとするなら、それは曹植少年の想いであるはず、と思いたいですね。


 ***


 今回取り上げたいのが、表題に挙げた曹植(字・子建)と宝剣についての関係である。


 曹植というと、何かと「七歩の詩」が有名で、兄・曹丕が曹植にわざと難題を出して七歩の間に詩を作れと言われたというエピソードが特に印象深いのであるが、これはどうも世説新語による創作であるらしい。この「兄弟いじめ」の真相としては、本論でも触れた通り、曹操の死の直後、曹彰が曹植を立てようとしたらしい動きがあったことなどにより、曹丕の猜疑心さいぎしんを刺激してしまったのが原因であり、曹丕が曹植を冷遇したのは、その反動と言える。


 ともかく、今回取り上げたいのが、創作された偶像としての曹植ではなく、実際の彼の作った二篇の詩賦である。まず、その一つが「野田黄雀行」である。制作年はおおよそ220年ごろであり、曹丕が魏朝の皇帝として即位した頃である。


 この詩が読まれる前後の曹植の置かれた政治状況は、大変に不穏なもので、前年の219年には、敬愛する知人である楊修ようしゅうが、結託の罪によって曹操によって刑死させられ、更に220年に曹丕が曹操の跡を継いだ後、今度は丁儀ていぎが曹丕によって刑死させられている。ウェブにある「柳川順子の中国文学研究室」に素晴らしい読み下しが公開させているので、今回はそれを紹介させて頂こう。


 高樹多悲風  高樹に悲風多く、

 海水揚其波  海水は其の波を揚ぐ。

 利剣不在掌  利剣 掌に在らざれば、

 結友何須多  結友 何ぞ多きをもとめんや。

 不見籬間雀  見ずや 籬間の雀、

 見鷂自投羅  はいたかを見て自ら羅に投ず。

 羅家得雀喜  羅家は雀を得て喜び、

 少年見雀悲  少年は雀を見て悲しむ。

 抜剣捎羅網  剣を抜きて羅網をはらへば、

 黄雀得飛飛  黄雀は飛び飛ぶことを得たり。

 飛飛摩蒼天  飛び飛びて蒼天を摩し、

 来下謝少年  来り下りて少年に謝す。


 冒頭の句、高い樹木には悲しい風が多いというのは、高貴なる身分ゆえに敬愛する人を失うことになった気持ちを率直に象徴させている。ついで、利剣(権力)が無いために交友を広げることができないと言い、雀が網に掛かったことを見て悲しむのが、現実の少年、すなわち曹植自身である。


 ここで罠に掛かったスズメというのは、楊修や丁儀などの曹植の敬愛した友のことである。後段最後の四段から、詩に描写される情景は、現実を反映したものからから少年の空想へと転換する。少年が剣を抜いて網を払うというのは、現実には利剣(権力)を手にしていない曹植の詩想の世界であり、放たれた黄雀が天高く舞い上がり、少年に謝意を表したというところに、例え利剣を持ち得たとしても、親友は既に遙かなる天上へ逝ってしまったことが暗示されている。

   

 私は情感に溢れるこの詩に大いに感動したが、それとともに不可解なところも感じざるを得なかった。その一つが、少年と雀の関係だ。それぞれ曹植本人と、刑死した友(楊修や丁儀など)を表しているのは分かるにしても、友を象徴させるのにスズメと言うのは、些か小さな存在にすぎやしないか、ということである。自分は手に「利剣」を持っていないと言っても少年である。自分自身がいくら曹家の御曹司であると言っても、死んだ友を例えるのに雀というのは少しバランスを欠いていて、尊大に過ぎるのでは無いだろうか。もちろん、曹植は尊大なところもある尖った青年で、その点が曹操の寵をなくす原因にもなったような人格的な欠点を持つ一個人であったにせよ、やはり死んだ友を例えるのに雀では、余りに無力で微小にすぎる存在では無いだろうか。文選に残る曹植から楊修への手紙を読むと、その敬愛の念がひと方ならぬものが感じられる。正直どうも釈然としない。


 そして、第二点が「黄雀」が「蒼天」に飛び立って、少年に謝意を表するというところだ。黄巾の乱の「蒼天已死、黄天当立(蒼天已に死す、黄天まさに立つべし)」というスローガンからも分かるとおり、当時漢朝は「蒼天」で象徴され、反対に黄色は新王朝のシンボルカラーである。新王朝のシンボルカラー黄色を小さな鳥(亡き友人の例え)に用いて、それが蒼天に飛び立って、少年のもとに謝意を表すというのは、どういう寓意なのだろうか。魏朝成立という時節を考えると、新王朝で活躍するべき人材が、黄天ではなく蒼天に飛び立ったということに、なんらかの寓意があるはずであるのに、それが具体的に何を象徴させているのか、どうしても掴めそうなところで、はっきりと掴めない。


 この詩賦を理解するには、もっと曹植という人と詩賦が読まれた経緯について知る必要があるということである。そして中国史の面白いところは、その為の資料は実は結構豊富に残されているという点だ。


 さて、丁儀らの刑死後に詠まれたものと考えられる「野田黄雀行」に対して、刑死する直前の丁儀のために詠まれたと考えられているのが、「贈丁儀(丁儀に贈る)」と呼ばれる詩である。例によって「柳川順子の中国文学研究室」から読み下しとともに引用しよう。


 初秋涼気発  初秋 涼気発し、

 庭樹微銷落  庭樹 かすかに銷落す。

 凝霜依玉除  凝霜 玉除に依り、

 清風飄飛閣  清風 飛閣にひるがえる。

 朝雲不帰山  朝雲 山に帰らず、

 霖雨成川沢  霖雨 川沢を成す。

 黍稷委疇隴  黍稷 疇隴にてらる、

 農夫安所獲  農夫 いづくんぞ獲る所ぞ。

 在貴多忘賤  貴きに在りては多くひくきを忘れ、

 為恩誰能博  恩を為すこと誰か能く博からん。

 狐白足禦冬  狐白 冬を禦ぐに足るも、

 焉念無衣客  焉んぞ無衣の客を念はん。

 思慕延陵子  思慕す 延陵子、

 宝剣非所惜  宝剣 惜しむ所に非ず。

 子其寧爾心  子は其れなんぢが心をやすんぜよ、

 親交義不薄  親交 義 薄からず。

 

 曹魏成立の目出度い時節に於いて、初秋の荒涼さや長雨を詠むのであるから、やはりこの詩についても、新皇帝・曹丕への批判的な態度が読み取れるのであるが、本作において注目するべきも、やはり最後の四段である。


「延陵子を思慕し、宝剣は惜しむところではない」というところを解説すると、延陵子とは、春秋戦国の呉の季札のことであり、季札は兄に遠慮して帝位を譲った謙譲の人である。また季札には宝剣を死んだ知人の墓に献じたという逸話がある。つまり、帝位を譲って宝剣を手放した人間を曹植は思慕しているということだ。この処刑の危機に瀕する友人に対して送る詩においても「剣」が重要な役割を果たしている。


 そして、それ続いて、「子其寧爾心、親交義不薄(汝、心を安んぜよ、親友の義は浅いものではない)」というのである。「親交」というのは、肉親としての交流という意味と、現在的な意味の親しい友との交流の二つの意味があるが、どうも、後者の意味で言葉通りに取ると、まもなく処刑されんとする友人に対して送るにしては、些か唐突で、重みもない気休めの言葉であるように感じられ、深刻さに欠けるような気がしてならない。


 事実の成り行きを見れば、程なく丁儀は処刑され、そして今度は、曹植は冒頭に挙げた「野田黄雀行」を詠むことになる。そして、もうその時の曹植は「利剣」を手にしていない、というのである。一般にこの二つの詩に現れる「剣」は、「権力」を象徴的に表したものと言われるが、私には曹植はもっと具体的なものを念頭にしていたのではないかと思うのである。そして、それこそが曹操が文学を好む息子に与えたという「宝刀」である。

 

 これは、曹植自身が「宝刀賦」にて報告する所によると、建安年間(196年〜220年)において、曹操は宝刀を5本作って、「龍、虎、熊、馬、雀」のシンボルマークを施して、曹丕・曹植・曹林に一本ずつ与えて、残りの2本は自らのものとしたとある。


 また、同じことを藝文類聚に載る曹操の「百辟刀令」によると、「百辟刀」と呼ばれたこの5本の宝刀は、まず五官中郎将である曹丕に与えられたとあり、曹操の庶子の中でも、武を好まず、文を好むものに与えられたそうである。


 <宝刀賦・序(曹植)>

 ■建安中,家父魏王,乃命有司造寶刀五枚,三年乃就,以龍、虎、熊、馬、雀為識。

 太子得一,余及余弟饒陽侯各得一焉。其餘二枚,家王自杖之。

 (建安年間、家父の魏王曹操は、役所に命じて宝刀を五本作らせ、三年で出来上がった。龍、虎、熊、馬、雀を持ってシンボルとして、太子(曹丕)が一つを得て、私と私の弟の

 饒陽侯(曹林)がそれぞれ一つを得た。残りの二つは父王自らが杖とした。)


 <百辟刀令(藝文類聚·六十巻)>

 ■往歳作百辟刀五枚適成,先以一与五官将,其余四,吾諸子中有不好武而好文学,将以次与之。

  (数年前に作らせた百辟刀五本が完成した。先に一つを五官中郎将に与え、残りの四つは我が諸子のうちで武を好まず、文を好むものに与えることにする)


 曹植の「宝刀賦」は、この刀を褒め称えたものであるが、それによると、この宝刀は大変精巧な作りでまた切れ味も抜群の上に作りも頑丈で、伝説上の名剣に比すべき代物とのことである。さらに重大なことに、この「宝刀賦」の中で曹植はこの宝刀を、


「真実の人の持ち物に相応しく、永遠の天禄(王位)を受けるに等しいもの」

(実真人之攸御,永天禄而是荷)


 であると、め称えていることである。もちろん、これは曹植自身の評価であって、曹操は五本も作らせて、まず曹丕に与え、その後、他の息子らに分け与えているわけであるから、この宝剣を王位継承権をそのまま象徴する「王者の剣」として作ったわけでないし、そのつもりで下賜したわけでもないであろう。


 しかし、重要なことは、これを受け取った曹植にとって、この剣を持つことは父・魏王の位を引き継ぐ権利でもあるように感じたであろうということだ。曹操は自ら文王を持って任じていて、息子の世代による禅譲を目論んでいたわけであるから、文を好む王子を選んで授けたこの宝刀の意味は、受け取る側にとっては王位継承権に類する特別な意味を持つものと受け取られても、そう突飛な発想とまでは言えない。


 一連の経緯を再度、整理しておこう。まず、210年には、魏国の本拠となるぎょうに銅雀台が建設されるなど、まずは漢帝国内に曹操の封国である魏国を作るべき一連の動きが表面化する。同年の12月には、曹操の布令があり、天下の三分の二を領有するに至った経緯が語られ、同時に漢への謙譲の意を表すために、領邑三万の内、二万を返却することが申し出られる(三国志・武帝本紀に引かれる「魏武故事」)。


 ただ、実際にはこれは、翌月の漢朝側の返書から分かる通り、曹丕を五官中郎将として本拠である鄴を守らせ、諸子のうち有望なものを候に任命することに関連した一種の政治的宣伝であった。返却を申し出た二万戸のうち実際に返却されたのは五千戸であり、残りの一万五千戸をそれぞれ、曹植を平原侯に、曹拠を范陽はんよう侯に、曹林を饒陽じょうよう侯として三等分して封じた。曹丕に封爵が無いのは、曹操のものを引き継がせる予定だからだ。


 曹植が「百辟刀」を下賜された時期は、弟の曹林が饒陽侯であった時期(211年〜217年)と、それが鍛造に3年もかかったことを考えると、214年か215年ごろのことになるだろう。百辟刀が与えられたのは、五官中郎将の曹丕、平原侯の曹植、饒陽侯の曹林の三人で、范陽侯の曹拠には下賜されなかったのであるから、この時に曹植が、自身が曹操の後継としての資格を強く意識することになったのでは無いだろうか。そしてその後に魏の後継者争いが表面化・激化するのである。


 216年には、丁儀らの策動により曹丕派の人物が処刑や左遷されられたことを考えると、曹操自身にも迷いが生じたのもこの頃のことだと思われる。ただ、217年には、曹植自身が天子のみが通行を許される司馬門を通ってしまったことで失敗し、賈詡の助言もあって曹丕の後継者の地位自体が揺らぐことは遂になかった。


 217年には、曹操の魏王就任、その後の曹丕の魏王の王太子への正式任命があった。ただし、219年には、曹植が敬愛する楊修が曹操に刑死させられるなど、後継者争いの余波は、完全には消えていない。こうして、220年には、曹操の死に際して、洛陽に駆けつけた次兄の曹彰が賈逵かきに魏王の印綬の在り処を問うなど不穏な動きがあり、即位後の曹丕による粛清につながる訳である。


 <関連年表>

 210年 冬、曹操がぎょうに銅雀台を作る。

  12月、曹操、布告して二万戸の領邑を返却する。


 211年 正月、曹丕が五官中郎将・副丞相に任命され、事実上の後継となる。

  朝廷は布告して、曹植を平原侯に、曹拠を范陽侯に、曹林を饒陽侯に任命し、

 曹操から返上された二万戸の領邑の内、一万五千を譲って各五千与える。

 

 (この間、曹操が「百辟刀」をまずは曹丕に、それから曹植と曹林に与える)


 216年 曹操が魏王に昇格し、鄴が封国としての魏国の首都となる。

  −曹植派の丁儀により、崔琰は処刑され、毛玠が免職させられるなど抗争が表面化する


 217年 曹植が天子専用の門を無断で使ったことで曹操の寵をなくす。

  −同年十月・曹丕が魏の太子に任命される。


 219年 曹操が曹植の敬愛する文人・楊修を刑死させる


 220年 曹操死す

 −曹彰が賈逵に魏王の印綬のありかを聞くも断られる。

  −曹彰が曹植を立てようとする。


 220年 曹丕が即位

 −曹植が自分の不甲斐なさに泣く

  −丁儀が刑死する (この頃、「贈丁儀」及び「野田黄雀行」まれる)

 

 確証があるわけではないが、こうして経緯を復元した上で、曹操から下賜された「百辟刀」を念頭にして、もっとも熱心な曹植支持者であった丁儀に送られた「贈丁儀」の詩の後半四段を読み直すと、ここで、「宝剣非所惜(宝剣は惜しむものではない)」と言われる宝剣とは、まさしくこの宝刀のことではないだろうかと気づく。


 そうだとすれば、(曹植自身は王位継承権を表すと考えた)宝剣を曹丕に献上すれば、王位継承の権利を自ら放棄すること意味するのであるから、「子其寧爾心、親交義不薄(汝、心を安んぜよ、兄弟としての絆は、義は薄っぺらなものでない)」と、刑死を目前とした友人に投げかた言葉の意味も、俄然重みを増してくる。「親交」には、「肉親の交流」の意味があり、字義的にはそちらが本来の用法だろう。


 実際のところ、曹丕の即位後には、曹植は父から授かった様々なものを曹丕に献上している。大宛の名馬や鎧、銀の鞍などである。曹子建集には、「獻文帝馬表」「上先帝賜鎧表」「上銀鞍表」など、曹丕に宝物を献上した際の曹植の言葉が残っている。


 曹操からの様々な下賜品をこうして曹丕に献上するのは、即位後の曹丕からの猜疑を恐れていたものと思われるが、それならば、これら献上品リストの一番上段には、もちろん曹操から授かった宝刀があったと考えるのが自然である。曹植としては、曹丕が曹彰が自らを擁立しようと動いたこと知って、猜疑心に駆られて友人を処刑しようと企んでいるのであろうと思うのであるから、兄の誤解を解き、その心を開くには、王位継承の象徴である宝刀を献上することが極めて有効だと思ったのだろう。曹丕と曹植は、卞氏という同じ母から生まれた同母兄弟でもあり、元来は、個人間の仲が悪かったというわけでもないのである。


 しかし、一方で曹丕にとってすれば、父が残したこの宝刀は、曹操が自ら述べた言葉の額面通りに、来る文治の世を象徴するだけのものに過ぎない。曹丕からすれば、その王位継承者たる証拠は、曹操の封国たる魏国の国都である鄴を、曹操から与えられた官位である五官中郎将として、更には魏国の太子として守ることであった。これだけ明白な事実を無視して、楊修や丁儀らの曹植の取り巻きは、曹操の曹植の文才への寵愛を梃子に後継者の座をひっくり返そうと運動したわけであり、曹植本人がどう取り繕うことをしても、死罪は動かしようがないわけである。


 丁儀死後に詠まれた「野田黄雀行」において、曹植は、すでに「利剣」は手に持っていないと言っている。そしてまた、想像の上でその剣を振りかざせば、黄雀が蒼天へと飛び立っていくという。曹操が曹植に与えた宝刀には、「龍、虎、熊、馬、雀」のいずれかのシンボルがあった。次に来る文治の世の中を象徴するのであるから、それらシンボルカラーは当然ながら黄色が相応しい。「龍と虎」をあしらった二本の宝刀を曹操が、太子である曹丕が「熊」をあしらった宝刀を持ったと考えれば、曹植が「雀」のシンボルのものを持っていた可能性もそう低いとも思えない。丁儀の命乞いの代償として、曹植が「黄雀の宝刀」を曹丕に献上したとすれば、この詩を読んだ際の不可解さは消えてなくっている。


 今は手を離れた宝刀によって黄雀は解放され、現実の黄天ではなく、旧時代の蒼天へと昇っていく。そして、血生臭い現実の束縛から解き放たれた黄雀は、友を助けること能わなかった無力な少年の前に降り立ち、律儀にも感謝の意を表してくれたのである。これは、実際には、刑死の場面に立ち会うことすらも許されなかったであろう曹植少年の自らへの慰めであり、そして何より、「黄雀の宝刀」を信じて自らを盛り立て、不運にも蒼天に置き去りにされることになった友への、少年による心よりの鎮魂歌であった。



 宝剣を抜いて、網を切り払ってやると、           抜剣捎羅網



 黄色い雀は、ふたたび飛ぶことができるようになった     黄雀得飛飛  



 青空の遥か彼方まで、飛んで飛んで、            飛飛摩蒼天



 それから、降りてきて「ありがとう」って言ったんだ     来下謝少年



 曹植は、確かに人格的な弱点を持つ、感情が豊かすぎる種類の人間だったかもしれない。正当な後継者を脅かしかねない自身の政治的な立ち位置といった生ぐさい話にはあまりに鈍感で、それ故に、敬愛する人や友人を次々となくすことになった。ただ、こうして私なりにでも、二首の詩を読み解いた今、私は、決して処世が上手いとは言いかねるこの少年のことが、大変にいとおしく感じるようになった。


 本稿の最後は、重複にはなるが「野田黄雀行」を今度は私なりに口語訳して終わることにした。もし行間から少年の嗚咽する声が聞こえたとしても、それは決して偶然のことではない。それこそが今から1800年前に実在した少年が、その亡き友に聞かせたかったはずの、真の心の声なのだから。

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曹植と宝剣(短編) 岡上 佑 @yu_okagami

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