エピローグ アークヴィラの選択、そして彼女が得たものは――

 夜 ―――


 アークヴィラの寝室。


 広い部屋に負けない大きさのベッドがひとつある。そこにアークヴィラがまた黒のキャミソールとパンツのみという裸同然の姿で寝転んでいた。


 蒼太は少し離れた所にある、足の高い丸い木の椅子に座り、なるべくそっちを見ないように窓の外を眺めていた。


「そういえば今日は弥生さん、いなかったんですね」

「そうなんだ。折角ヴァレリオの最後だったのにな。タイミング悪くロシアに帰っている」

「おお! って事はまたバージョンが上がって帰ってく……」


 それ以上話せなかった。


 いつの間に近寄っていたのか全く気付かなかった。物音ひとつさせず、アークヴィラは蒼太の横に並んで座っていた。


「……」


 何も言わず、ただ口角を上げて蒼太の茶と黒の瞳を覗き込む。


 その完成された造形にただただ圧倒される。


 瞳の色は赤を上回る真紅。

 燃える様な赤とクリムゾンレッドが入り混じり、宝石を超える程の見事な美しさを見せる。


 見惚れる様に時間を忘れ、アークヴィラの瞳をまじまじと見返した。


 やがて、アークヴィラが口を開く。


「お前が生きてて、良かった」


 ゆっくりとそう言った。

 そんな事を言われるとは思わず、うまく返す言葉が見つからない。


「あ、あの……はい。僕も……正直、生きられるとは全く思ってませんでした」


 アークヴィラの手が蒼太の頰を撫でる。


 その手の温もりは、彼が失神している時、ヴァンパイアになり初めてルノシェイドと戦った時、などを鮮明に思い出させる。


「さてここであたしは……ひとつの選択をしようと思う」

「選択……」


 鸚鵡返しのように呟く事しか出来ない。アークヴィラが一体何を言い出すのかが分からなかった。


「ひとつはお前の残り僅かな人生、お前の気が済むまでここで過ごして貰い、頃合いを見て無事に家族の元へ送り届ける」

「はい」


 短く答えるが(それがアキさんの選択肢?)と少し違和感を持った。どちらかと言うとそれは蒼太の選択肢のようではないか?

そう思いながらも次の選択肢を待った。


 だがそれはいつまで経っても彼女の口から出て来なかった。どう言おうか考えている様にも見えた。


「アキさん……」

「ソータ……」


 少し頰を染めたアークヴィラは予想外の事を言い出した。


「無理! やめた! やいソータ! あたしが今、お前にして欲しい事、当ててみろ」

「は、はあ!?」


 照れ隠しなのは流石に蒼太にもバレバレの言い様だった。


「いや、急にそんな事言われても……」

「なんだよわかんないのか!」


 かつて見た事がない、まるで駄々っ子の様なアークヴィラだった。


 その顔は怒っている様でもあり、照れている様でもあり、苦し紛れの言葉を言ったかの様でもある。


 図りかねた蒼太が仕方なく提案をした。


「ヒントを下さい」

「な……ヒントだとぉ!」


 少し考え込む顔をして、やがて小首を傾げ、


「えと……あの日、あたしがルーヴルドを倒しに行く前にお前にして欲しかった事、かな」

「ルーヴルドを……確か僕、意識無かった、ですよね……」

「うん」


 顎に手をやり、考える。


「ちなみに……これ、答えられなかったら何が起こるんですか?」

「答えられなかったら? そうだな……軽蔑する」

「えええ!?」


 アークヴィラは笑いもせず、ジッと蒼太の顔を見た。それを見て、


(どうやら当てて欲しい、みたいだ)


 そう思った。

 これは妙な事は言えないぞと真剣に推測を始めた。


(あの時、僕の体の方は意識が無かったけどははっきりと意識があったんだ)


(あの神さまのせいで……あの神さまと話している間と後は何も無かった)


(思い出せ……そうだ、神さまが出てくる直前、アキさんが言った言葉……)


(確か弥生さんに向かってシェイドを倒すみたいな事を言ってた)


(あの暗闇はとても寒くて、でもその声が聞こえた時、体がとても温かくなったんだ。いや、声が聞こえる少し前、か……)


「ふっっ!!」


 思わずアークヴィラを前にして声に出して呻いてしまった。

 何があったかを思い出したのだ。


(キキキキ……あれってやっぱり、キキキキスススだった、よ、な……)


 慌てる蒼太の態度を見て、いつもなら揶揄う様な仕草を見せるアークヴィラの筈だったが、今日はいやに大人しい。心なしか頰も赤い気がする。

 もっともこの時、蒼太の頰も人の事をどうこう言えたものでは到底無かったのだが。


「あの時……暗い意識の闇で神さまに会う前、僕は薔薇の良い匂いに包まれて……」


 口に出して呟いた。

 それは途轍もなく恥ずかしい事ではあったが声に出してアークヴィラの反応を見て自分の想像が本当に正しいかを確かめようと考えた。


 チラリとアークヴィラを見ると先程より頰が赤い。心なしか目線に不安が入り混じっている、気がする、と思った。


(こ、これは!)


 だが念には念を入れた。ここで先走って一人相撲の答えを出し、幻滅されるのは御免だった。


「そうだ。あれは一体何だったんだろう……僕はあんな幸福に包まれた事は生まれて初めて……きっとあの幸福感のお陰で僕はその後の神さまやルーヴルドとも負けずにやり合えたんだ……」


 アークヴィラから目線を外しながら独り言の様に長々と喋りながら人差し指でクイッと自分の下唇を摘んだ。

 瞬間、サッとアークヴィラが視線を外し、俯いたのを視界の端で捉えた。


 それには気付かない、再び考え始める。


(ややややっぱり……あれはアキさんが寝てる僕に……してくれたんだ……でも何で……)


(アキさん、ひょっとして……?)


 そうは思うものの蒼太の人生では少し考えられない事でもあった。


 これ程強く、美しく、種族として圧倒的に人間よりも上位のアークヴィラが自分の事が好きだなどと、論理的に説明の付かない事だった。


 そんなロマンチックな事は映画や漫画では当たり前の事だが実際に我が身に起きるなどとは到底考えられない。


 だがどれだけ大切な相手だったとしても、好きでもない人間に口付けなどするだろうか? そう思い及ぶ。


 そして遂に蒼太は賭けに出た。


「わわわかった、わかりました!」

「え!?」


 表情はさっきよりも不安げな色が濃くなっており、更に赤みを増した顔をハッと上げて驚いた。


 自分から問いを出しておいてわかったというと怖気付く。普通ではない。


 蒼太は腹を括った。

 だが最後の確認をしたかった。


「わかりましたが……それを言う前に」


 蒼太がそう言うとアークヴィラは露骨にホッと一息吐いた。


「な、情けないですけど、ぼ、僕、その答えを……口に出す度胸がありません。アキさん、僕に勇気を下さい」

「ゆ、勇気を?」

「初めてデートして貰った時、僕が誓った事、覚えていますか?」

「な、逆質問はズルい!」


 見事に膨れっ面をする。


(か、可愛い……)


 そう思った瞬間、思わずヴァレリオの姿を目で探してしまった。ふとまた睨まれている気がしたのだ。


(ふうふう……少し冷静になれた。有難うございます、ヴァレリオさん!)


「質問じゃないですよ。僕は、僕が死んだら……」

「あたしに泣いて貰える様に頑張る、だろ?」

「覚えて、くれてたんですか」

「トーゼンだろ! あんな意味わかんない誓い、いきなりされたんだから……で、それが?」

「ヴァレリオさんが僕を殺気で打った時、アキさんは僕の事、死んだと思ったって言ったましたよね?」

「ウッ」


 蒼太の言いたい事に気付き、ようやく口籠った。


「そそそそうだっけ」

「はい」

「いやぁ……そうだったかな……いや、1ヵ月も前の事だからな……」

「言ってました」

「ウッ」

「アキさん、僕が死んで……泣いてくれましたか? そ、それともやっぱり涙は出なかったですか?」


 上目遣いで心配そうに聞く蒼太にどう答えたものか、アークヴィラは大いに迷ってしまった。


 あの時、アークヴィラは初めて人の死で泣いた。自分でも驚くほど、それは自然に出た涙だった。


(クッ……しかしそれをこいつに知られるのは……)


 彼女の性格がそれを知られるのを良しとしなかった。

 だがさっき「あたしがして欲しい事を当ててみろ」と強気に言ったものの、よくよく考えるとそれの方が遥かに恥ずかしく、彼女の気性からすれば言いたくないものではなかったか。


(しまった。今更「ナシで!」なんて……)


 チラリと蒼太の顔を見上げると可哀想な程、僕は不安です、と顔に書かれてあるのがアークヴィラには見えた。


(ええい、くそ!)


 やがてアークヴィラの方も腹を括った。


「泣いて……ませーん!」

「えええ……」

「ウッ」


 首をガックリと落とし、項垂れた。


 それはもう見ていて気の毒になる程分かり易いものだった。思った以上の落ち込み具合にアークヴィラが慌てふためいた。


「あ、ちょ、ソータ……」

「やっぱり僕の一人相撲だったのか……う、ううう」

「あ、ヤバ、ごめ、ごめん! ソータ、違うの!」

「……え?」

「う――……あー畜生! 負けた! もう! 嘘だよウソ! ……泣いた! 泣いたよ! めっちゃ泣いた!」


 観念したとばかりに頭を振り、目を瞑って叫んだ。


「え……ほんと、ですか?」

「ほんとだよ! 今だってあの時の事思い出したら……背筋が震えるん……」


 そう言うと目を見開いて本当にふるふると震え出した。両手で自分を抱き、目からはポロポロと涙が零れ落ちてきた。


「ア、アキさん……」


 それは蒼太が今までに見た事のない、アークヴィラの弱々しい姿だった。


「何で出会って間もないあたしなんかの為にあそこまでしたんだよ……血はいっぱいくれるし、ヴァレリオに自分を殺せとか死ぬ決意までして」


 触れるか触れないか程の優しさでアークヴィラが蒼太の両手に指先だけを置いた。


「あたしはずっと後ろめたかったんだ。最初、あたしはお前を疑っていた。シェイドの仲間ではないとわかったけど、一方で怪物を召喚しているのはお前ではと……なのにお前はアキさんアキさんって懐いてくるし、あたしの知らない所でシェイドにやられて死にかけるし」


 捲し立てるアークヴィラに圧倒され、蒼太はただ呆然と充血した彼女の目を見ていた。


「シェイドにやられたお前をヴァンパイアにした時にお前に対して責任を取らなければと思ったんだ」

「責任なんて……アキさんが負う必要は」

「デート、楽しかったよ」

「へ!?」


 突然の告白だった。


「あの時言った有難うという言葉は本心だよ。お礼も……」


 そう言って自分のした事を思い出したのか、更に頰を赤らめる。

 その言葉がどう響いたのか? 蒼太の目からも涙がポロリ、ポロリと零れ出した。


「アァァアギざん……」

「さっ! あたしの罰ゲームは終わりだ! 答えろ、ソータ。あたしがお前にして欲しい事は何だ?」


 子供の様に涙を人差し指で拭いながら笑顔で言った。


「アキさぁぁぁぁん!」


 蒼太の手に触れていたアークヴィラの手を取り、自分から抱き着いた。

 今までは拒絶反応で身を引かれていたが今日はされなかった。むしろアークヴィラの方からも身を寄せて来た。彼女の両腕は蒼太の背中に回り、その愛おしい感触の素晴らしさは彼の想像を遥かに超えてそれだけで意識が飛んでしまいそうな程だった。


 1分ほどお互いの背中を弄った。


 やがてアークヴィラは頭を蒼太に擦り付けながらも絞り出す様にこう言った。


「ソータ……ブ、ブーだ。あたしが、今して欲しいのは……これだけじゃあ……50点だ」


 だが蒼太は巻き付けた手をすぐには離さなかった。


「知ってます」

「え」

「知ってます。答え。でも怖いんです。そんな事をしたら……」

「したら……?」

「こんな素晴らしい体験がまた、前みたいに夢だったら……ただアキさんが寝てる僕の所に血を吸いに来てるだけだったら……僕はもう立ち直る自信が、ありません」


 数秒後、アークヴィラは漸く蒼太から体を離す。だがその顔は文字通り、蒼太の目と鼻の先にあった。


 真っ赤な顔で蒼太の目を覗き込み、僅かに笑みを見せた。


「夢なものか。そんなの、あたしも立ち直れない」

「アキさん」

「さ、答え合わせだ、ソータ」


 女性にそこまで言われて躊躇するようでは男ではない、と思った。


(僕は、成長した……! ヴァレリオさん、弥生さん、そしてアキさんに助けられて)


 最早話す言葉も無い。

 蒼太はぎこちなく、彼女の唇に視線を移して動いたか動いていないか程の遅さで鼻から顔を近付けた。


 アークヴィラが目を閉じる。


 唇が触れ合う寸前の距離、そこまできて自分などで本当によいのかどうか、一瞬躊躇した。


 それ程の、最早神々しいとすら思えるアークヴィラの美しさだった。


 だがすぐに思い直す。


(僕はアキさんが好きだ)


 そしてそれは声に出さなければならないと思った。ゴクリと生唾を飲み込み、勇気を振り絞った。


「アキさん……僕は貴女が……好きです」


 アークヴィラは返事をしなかったが返事を待つ必要は無いと思った。

 その時、彼女の整った形の唇が少し動く。


《あたしもだよ》


 声は殆ど聞こえなかったがそう言った気がした。


(僕の人生はきっとこの女性ひとの為にあったんだ……)


 そう思うとまた涙が一本、頰を伝った。


 静かに唇を重ねた。

 自分の人生には有る筈も無いととっくに諦めていた、ほんの1ヵ月程前までは想像だにしていなかった出来事だった。


 それはアークヴィラへの輸血の際に死線を彷徨っていた時の幸福感を遥かに越えるもの。


 不思議とあの時程薔薇の香りはせず、代わりに鼻先が触れ合うこそばゆい感覚、何よりその唇の柔らかい感覚がより鮮明に感じ取れた。


 2人はそのままお互いの唇を食み、どちらからともなくベッドへと移動した。





 数年後。



 緑中ヶ丘町にアークヴィラはやって来た。

 蒼太が亡くなった時に来て以来だ。


 白いワンピースに日差し除けの鍔の長い帽子を深々と被っている。


 彼女の後ろにはメイド姿をした弥生が辺りを見回していた。


「う~ん。アークヴィラ様、懐かしいですね!」


 シェイドが居なくなった事で積極的なバージョンアップは止め、今は保守改修のみを施していた。


「懐かしい……そうだな。今でもあの頃の事は鮮明に思い出すよ」


 蒼太の実家の門の前でピタリと止まり、


「ふたりとも、バァバとジィジ、リンコに会ったら何て言うんだ?」


 両脇にいる4、5歳程の小さな子供に向かって言った。


「ジィジ、バァバ、リンコちゃん、こんにちは! アルって呼んでね」

「そうだなアルバストロ。バァバはパパが大好きだからな。お前も可愛がって貰えるぞ」


 目を細めて男の子の頭を撫でる。


「ジィジ、バァバ、リンコちゃん、こんにちは! ラモーナです! アイって呼んでもいいよ」

「ウフフ。ジィジは女の子が好きだから今の内、甘えておくといいぞ」


 優しく頭頂部から後頭部へと何度も女の子の髪を撫でた。


 2人の子供は嬉しそうにウン!と笑う。



 それはどこか気弱げで、だが優しさと勇気を併せ持った真紅の瞳を持つ、ママの事が大好きな彼女の子供達だった。


 ふたりの顔を見てふと思う。


(あたしが選択で得たものは……)


(フフッ。ソータ、ふたりともお前に似てきたよ……よく泣くとこなんか特にな)


 ふと、脳裏に(もーアキさん! アキさんだって……)とふくれっ面をする蒼太の顔が浮かんだ。


(……冗談だよ、ジョーダン)


 アークヴィラは笑って門を開けた。




 怪物とヴァンパイアの女王に囲まれて僕の人生は変わった(完)

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怪物とヴァンパイアの女王に囲まれて僕の人生は変わった 南祥太郎 @minami_shotaro

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