エピローグ ヴァレリオの帰還

 それからひと月が経った。


 ここはクルジュ=ナポカの森によって下界から閉ざされたヴァンパイアの居城。


 一昨日まで日本にいた。

 アークヴィラにとっては2ヵ月ぶりに帰ってきた故郷だ。


 物憂気に窓辺から変わらぬ風景を眺めながら、アークヴィラはあの日の事を思い出す。



 あの後、ヴァレリオは全てを話してくれた。


 何故蒼太を殺さなければならなかったのか、怪物の呼び鈴ソネリア・モンストルアッサを知らないアークヴィラには全く理解できなかった。


 メルティなど放っておけばよく、その為に蒼太を犠牲にするなどは考えられない事だった。それについて蒼太の話を全て聞き、最後の怪物の召喚のルールについても聞かされ、蒼太がようやく死を選んだ意味がわかった。


 同時にヴァレリオはメルティが何を考えていたのかも推察混じりに話してくれた。


『メルティは色んな星に住む知的生命体の非常時の倫理や知識に基づく行動の研究をしている様です。その入力値のひとつとして怪物の呼び鈴ソネリア・モンストルアッサというものを作ったみたいですね』


 そもそも神とはこの宇宙を作ったひとつ上の次元の生命体なのだと説明した。


 その存在がメルティの様に下位の次元に現れ、興味本位にヒトと交配して生まれるのが自分の様な半神デミゴッドなのだと言った。


『最初はシェイドにルーヴルドという存在を与え、ヴァンパイアを一気に滅亡寸前まで追い込み、残ったヴァンパイアにあの呼び鈴を与えるつもりだったのではないでしょうか』


『そうさせない為、マディヤは私をここに送り込んだ。メルティのシナリオに無い私が現れて思いがけず戦いは膠着してしまった。そこで一旦シェイドを日本へと招き、ヴァンパイアを殺す病原菌の様なものを与えたのだと思います』


『アークヴィラ様が城におらず、外国にいたのは奴らからすると想定外だった様ですね。そして弥生の存在も。結局メルティはアークヴィラ様に呼び鈴を与えると言っても断ると考え、あの町に住み、人生を終える寸前だった蒼太に目をつけたのでしょう』


『その時点でもうメルティの中ではヴァンパイアとシェイドの戦いはどうでも良かった筈ですが……弥生が追跡してしまった為、仕方無くシェイドに加担したのだと思われます。主には私を殺す為に』



 アークヴィラは自問する。


 結局、シェイドが撒いた毒で一族が滅んだと知った時、ヴァレリオに問われた「如何なされますか」に対して即答で「全てのシェイドを根絶やしにする」と答えた自分の選択は正解だったのだろうか、と。


 あの時、恨みを捨てて弥生らと共に前を向くという選択肢もあった筈だった。


 少なくともそうしていれば蒼太を巻き込んでしまう事は無かった。


「お茶をお持ち致しました」


 ヴァレリオがアークヴィラの好きな紅茶を運んで来る。

 彼は今日、地球からいなくなるらしい。


「ヴァレリオ……色々世話に、なったな」

「いえ、私の方こそ。色々と勉強になりました」

「もう、会えはしないか」

「残念ながら……帰った後、私にどの様な命令がされるかは所ですので……」

「アハハ……そうか」


 ク……とひと口啜る。

 名残惜しそうにそれを胃の中に流すと、


「美味しい。もうこれが飲めないのはとても残念だ」


 笑って言った。ヴァレリオは頭を少し下げ、


「大丈夫です。レシピを伝授しておきました」

「何?」

ですが、それは私ではなく、が淹れたものです。美味しかったのなら良かった」


 その時、タイミング良く、その紅茶を淹れた男がスッと扉から様子を伺う様に顔を出した。


 その顔を見てアークヴィラの表情が一気に明るいものに変わる。


「ソータ! お前が淹れたのか、これを!」

「は、はい。お味はど、どうでしたか?」


 ふとアークヴィラは意地の悪い顔付きになり、


「なんだ、またあたしは安物のインスタントをヴァレリオが持ってきたのかと思ったよ……」

「えええ……す、すみません、すぐ淹れ直します!」

「アッハッハ! 冗談だよ、ジョーダン!」


 快活に笑った。



 稲垣蒼太は生きていた。



 ルーヴルドを倒し、メルティを蒼太から追い出したあの日。


 翌日になると自動で発動すると言われた怪物の呼び鈴ソネリア・モンストルアッサによる最後の召喚をさせない為に、ヴァレリオは蒼太を殺した、と


 それは憑依しているメルティがそう思い、自ら出て行く程のだった。


 期せずしてその直前にアークヴィラがルーヴルドの殺気によって首を刎ねられたと思ったのと全く同じ、強烈な殺気による死の錯覚。


 それは当人ではない、ただ見ていただけのアークヴィラですらそう感じてしまう程の凄まじいものだった。


 神をも欺く殺気の一撃、それを放つ為に半神デミゴッドから一時的にゴッドへと覚醒する『神化』をする必要があり、それまでに瀕死になってしまう訳にも、神化を使ってしまう訳にもいかなかった。

 メルティが『神化』に初見である事に意味があったのだ。 



 ヴァレリオは蒼太から怪物とメルティの事を打ち明けられ、日付が変わるまでに自分を殺せと頼まれた時からアークヴィラの蒼太への想いとの板挟みになり、折衷案を模索していたのだった。


 結果、死んだと思わせる、という離れ業をやってのけた。


 勿論それは弥生には効いていない。


 アークヴィラがショックでその場で泣き崩れる中、見ていた弥生はそっと首を傾げ、皆、何をやっているのだろうか、声をかけてよいものか、暫く悩んでいた、と後から言ったものだ。



「じゃあな、蒼太。後はお前に任せるよ」

「はい。ヴァレリオさん! ……って僕ももう1年ももたないですけど……」

「そういう暗い話をするんじゃない。それまでにお前より百倍優秀な弥生に引き継いでおけ。俺はお前に教えたかったんだ」


 蒼太はニコリと微笑むと「ハイッ」と大きく言った。


「ではアークヴィラ様、長い間お世話になりました。くれぐれもご自愛くださるよう……」

「分かった。お前も達者でな」


 ニコリと笑うと徐々に姿が薄くなり、やがてその場から消え去ってしまった。


「有難う、ヴァレリオ……本当に」


 アークヴィラがその場に佇み、呟いた。


 それから暫くアークヴィラと蒼太はその部屋から動けなかった。

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